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現代小説訳「今昔物語」【隣を羨んだ一家の末路】巻二十九第七話  藤大夫□□の家に入りし強盗の捕へらるること 29-7

 今も昔も、人が持っているものって欲しくなるものであります。「富者をうらやんでこれを嫉視するのは、自分の努力の足りぬ 薄志弱行のやからのやることだ。幸福は自らの力で進んでこれを勝ち取るのみだ。」と渋沢さんは言いますが、勝ち取るやり方にもいろいろございますもので・・・

 左京の綾小路あやのこうじ沿いには公家の邸宅が並ぶため、小路は見た目以上に狭く感じられる。猪熊小路いのくまこうじと交差する辺りに来ると、さらに人出も増え、京の町の活気を感じることができる。ここを南へ下ると東市に通じるため、金や物が行き交うのだ。


 寅の刻、寝静まった猪熊小路を綾小路に向けて練り歩く集団がいた。道案内をしている先頭の男は小柄で、きょろきょろと落ち着かない様子で小路こうじつじに来るたびに左右を警戒している。後に続く男たちは、悠然と、むしろ気怠そうに上半身を左右に揺らしながら列を作るでもなく、互いに話すでもなくそれぞれに歩いていた。肩に抜身の直刀ちょくとうをからう者、弓を手にぶら下げる者、腰に太刀たちを帯刀する者。数にして十人あまりが、藤大夫とうだいぶの屋敷前で歩みを止めた。
 藤大夫とうだいぶは受領について地方に行っては京に帰って来るたびに多くの物を持ち返ることを繰り返し、財を成していた。だから、狙われた。
 先日、多くの長櫃ながびつや風呂敷が運び込まれたことを小柄な男が見かけ、仲間の一人に話をした。それから今宵の襲撃に至るまでわずか一日。
 急造の盗賊団であったが、盗人の一人が塀の向こうへかぎ縄を放り、身軽に動く一人がするすると縄をたどって塀の向こうへ姿を消し、一分いちぶ(現在の三分)もしない内に門が開いた。満月の明かりに堂々と姿をさらしてバラバラと屋敷に入り込んだ。
 
 屋敷ではそれぞれの寝室に人々は分散していた。盗賊どもが辺りをはばからず調度を打ち壊して屋敷中を物色したため、人々は異常な物音にすぐ目を覚ました。武に通じた者もいなかったので、ある者は物陰に隠れ、ある者は縁の下にもぐりこんだ。
 逆らう者もいないので、盗人どもは家の中をくまなく荒らし回り、あらゆる長櫃を開け、あらゆる風呂敷を破り、まったく残すも物もないくらい、すべてを奪った。

 盗賊どもが逃げようとする足音を、縁の下に逃げ込んで聞いている使用人の男がいた。使用人の男は護身用に枕元に置いていた太刀を胸に掻き抱いていた。最後の一人だと思われる足音が頭上を行き過ぎる時、奪われれる者の怒りが思考を満たした。
 ギシリ、と盗人が縁側の板を踏んで音が瞬間消え、両の足が目の前に着地する。その足に、抱きつくように体当たりをした。盗人がガシャガシャと音を立ててうつ伏せに倒れる。使用人の男は、盗人の背に馬乗りになり、抜いた刀で肩や首を刺せるだけ刺した。
「あいた、あいたた。いたい、いたい」
 盗人は天気の話をするかのようにのんびりした声で痛みを訴え、じたばたと手足を動かしたが、最初の刺突で肩の腱のどこかをやられたのか、肘を立てて押し上げることができない。使用人の男は、さらに背中の中心あたりを懸命に刺した。骨にあたって中々刺さらなかったが、何度か試す内に深く刺さって抜けなくなった。盗人も動かなくなった。まだ盗賊が残っているかも知れないと思い、両足首を掴んで、縁の下の奥の方に深く引き入れておいた。

 使用人の男が屋敷の中に入ってみると、逃げ隠れしていた家の者たちも、恐る恐る出てきたところだった。中には着物を剥ぎ取られ、裸で震えている者もいた。背や手足を切られ、おびただしい血を流している者もいた。家の中は、何もかも皆めちゃくちゃにされていて、打ち壊されているものは数限りなかった。

 盗みに入ったのは寅の刻過ぎ(午前三時頃)だったので、それからいくらもしないうちに夜が明けた。
 隣の人も集まってきて、大騒ぎになった。
 近くに住む藤判官とうはんがんという検非違使けびいし(警察のようなもの)も、この藤大夫と親しい間柄だったので、様子を見に来た。すると、盗人を突き殺した使用人の男は、藤判官のもとにひざまずいた。
「どうした? 何か言いたいことでもあるのか?」
「盗人の一人を刺殺し、死体を縁の下に隠してあります」
 藤判官は聞いて驚き、放免※を呼んで縁の下を調べさせた。放免が突き殺された盗人を引き出してみると、それは隣家の雑色ぞうしき(雑用係のようなもの)である。隣の家に多くの品物が運び込まれるのを見て盗みに入ったのであった。

 放免がこの事を藤判官に申し上げると、藤判官はすぐさまその雑色の家に人を遣って、妻を逮捕させた。尋問しますと、妻は隠しきれず、「昨夜、多衰丸たすいまろ調伏丸ちょうぶくまろが家にきて密談をしておりました。今頃、船岳ふなおかの麓※で盗んだものを分け合っているはずです」と白状した。
 思わぬ大物の盗賊の名も出てきたので、藤判官は検非違使庁の長官に申し出て正式に捕縛に乗り出した。船岳に行ったところ、盗賊どもは、昨夜の強盗に疲れ果てて寝ていた。ことごとく捕らえられ、片っ端から獄舎に入れられた。また、盗み取られた品物もすべてを取り戻した。捕らえられた者どもの名を記した帳面に、調伏丸ちょうぶくまろの名はなかった。
 そして、盗人を突き殺した使用人の男は、それから後は、立派な武士として用いられるようになったということだ。

※1 罪を犯して囚人となったあとに計らいをもって放免となった者で、犯罪者の情報収集などの捜査の便を考慮し、前科のある者を検非違使庁に採用したもの。犯罪係数高めで再犯率も高かったが、汚れ仕事も一手に担うなど便利屋的な存在でもありました。
※2 朱雀大路の真北にある小山。船の形のようだったことが名前の由来。一時は貴族が散歩する優雅な場所でしたが、平安中期以降は火葬場になるなど、廃れていました。

【ちょこと後付】

 物語の舞台は猪熊小路と綾小路の交差する付近と記されています。現在ですと、四条大宮駅から西南に行ったところですね。公家の邸宅が並ぶ綾小路と商業の中心であった猪熊小路が交差する辺りですので、それは華やかで物資も豊かであり、それを掠め取ろうとする輩も多く集まったのだろうと考えられます。
 また、そこに住んでいるのは藤大夫や藤判官。つまり藤原の姓をもつ人々。京の一等地に居を構えるなんて、藤原氏が勢力をもっていたことが伺える話です。

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【参考文献】

新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

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