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現代小説訳「今昔物語」【恋人は女盗賊首領?その壱】巻二十九第三話之壱 人に知られぬ女盗人のこと 29-3-1

人に知られぬ女盗人のこと その壱

 今も昔も、謎に満ちた女盗賊というものは妖しい魅力があるものです。平安の都にもそんな女盗賊がいたようで、不思議な女と出会った若者視点でご悠流里とご覧下さいませ。

 朱雀大路を右に曲がろうとして地蔵と目が合った。こんなところに地蔵があったろうかと太郎は訝《いぶか》しむ。朱雀大路は京を南北に貫く大きな通りである。昨日あった屋敷が畑になっていることもしばしばであるくらいだから、誰かが置いていったのであろう。それにしても、どことなく験《げん》が悪い気がして太郎は反対に、西に向かう小路に入った。どことなく瀟洒《しょうしゃ》な雰囲気のある小路である。
 綾小路だったか。
 太郎は通りの名を思い出す。小路沿いに綾を織る人が多いからそう呼ばれているのだと、猪熊《いのくま》のおばばが確か言っていた。そんなことには興味がない太郎は白土の壁に囲われた家々を眺めながら軽快に歩く。水干からすらりと伸びる手足は長いがしっかりとした筋肉を携え、細い腰回りの割に幅広い肩が歩むに合わせて弾むように上下し、しなるように前後に揺れる。歩む先に当てがあるわけではない。起きたら春の長雨がやんでおり、気の向くままに歩いてみたくなった。
 すると、チュッチュッと鼠鳴きして呼ぶ者がある。音の方へ振り向くと、ある家の半蔀《しとみ》(窓のようなもの)から、すらりと白く細い手が差し出され、ちょいちょいと手招きする。太郎は呼ばれるままに蔀に寄った。蔀の下の方を閉めてあるので顔までは見えないが、
「そこを左に入った向こうの戸は鍵がかかってないから、入ってらっしゃい」
と言うので、太郎は道を戻り、小径を入った先の戸を押し開けて入る。すると、女が声だけで「その戸、閂《かんぬき》を掛けてくださいな」と言うので、閂を横にすべらせる。閂は軽く、するすると動き、戸をまたぐと吸い付くようにぴたりと止まった。
 戸の細工に感心していると後ろから、「上がって来て」と言う。部屋には簾《すだれ》がかけてあり、声の主がどこにいるのか分からない。簾には、内側に房を下げているのが透けて見える。一つ一つ、作りが丁寧で、色合いが落ち着いている。縁に上がると、奥から衣擦れの音が聞こえ、甘い香の薫りが太郎を包む。そこから何も言わないが、流石に女性から「入って」と言わせるわけにもいくまいと思い、太郎は簾を軽く上げて内に入る。
 一歩、部屋に入ると、どういった光の加減か、すっと暗くなった。先ほど、太朗を呼び寄せたであろう半蔀は閉めてあり、陽の光が枠を形どっている。部屋の奥には几帳が置かれ、また視界を遮っている。几帳《きちょう》の帷《かたびら》はゆったりと床に垂れ、描かれているのは、藤の花か。一歩、中に歩み寄ると、また衣擦れの音がして香の薫りが太朗の思考を占める。言葉も交わさぬまま几帳の内に入ると、二十歳余りの女性が、脇息にもたれて微笑んでいる。気怠そうに投げ出した両の脚の単衣がめくれており、脚はただただ白く、太朗はもう何も考えないままに女を抱いた。

 事を終え、ようやく思考がめぐるようになると、他に人がいないのか気にかかる。そもそもこの女は何者なのか、と女が目の前でこちらをじっと見ているのに気づく。
「女、名は?」と聞くと、「沙金《しゃきん》」と答える。次の言を待ったが、何も言わない。太朗も尋ねない。横に触れる沙金の柔らかさが心地よい。香が濃ゆくなる。そうしてうつらうつらしている内に日も暮れ、門が叩かれた。
 誰も対応せず、沙金は気怠そうに横になっているだけなので、太朗がを開けると、侍らしい男二人と、女房らしい女一人が、下女を連れて入ってきて灯をともし、食べ物を銀の食器に盛る。
 太朗は、腹が空いていたこともあり、よく食べた。沙金も、遠慮することなく食べていてすっかり夫婦かのようである。食べ終わると、女房らしい女が後片付けなどして出て行った。

 こうして二十日ばかりが経った。

「人に知られぬ女盗人のこと」その弐へ続く

【参考文献】

新編日本古典文学全集『今昔物語集 ④』(小学館)

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