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「推しが武道館いく」の意味がようやく分かった

日本武道館

数々のアーティストとそのファンが、その舞台に立つことを夢みる場所

自分の推しがその舞台に立った


2021年2月24日夕方 
私は大学時代の友人と共に武道館に向かっていた。敬愛する女王蜂の単独公演を見るためだ。

「武道館なんて、卒業式以来だよねー。どこで見てた?」
「3階から。高みの見物だった(笑)」
「わかる。うちも友達と2階にいた」
「アリーナからの見え方ってどうなんだろうね」

私はこの時まだ、武道館=聖地でやることに、あまりピンと来てなかった


私がファンになったのは、1年半前
その時すでに全国各地のZeppやホールでガンガン、ライブをやってたし、有名アニメや映画に主題歌も提供してた。幕張メッセでのライブも発表されてた。(中止になってしまったが)

生粋の舞台畑の私から見れば、「テレビ出てないけど、すでに充分人気のあるアーティスト」だった。
ライブ初参戦だったNHKホールでは、長年ファンである方々の気合いに呑まれ、「メッセ行くのどうしよ…」と真面目に悩んだ。
THE FIRST TAKEでの注目に、「うちの推し、すごいから見て!!!」とネット内でちょっと頑張ってドヤったくらい。新参者が新参者でなくなるのって、いつからなんでしょうね。

だから昨年末、ライブ会場で推しの口から武道館の発表を聞いた時も「大きいとこですごーい!でも米粒サイズになっちゃうのか(とても良い席で観てた)」と思ってた。
「帝劇でメインキャストとして出るくらい、スゴイこと」て思い込んだ。うん、それなら実感が沸くかな。


実際、撮影カメラ越しに見えたアヴちゃんたちは、人差し指くらいのサイズだった。舞台だったら即オペラグラスを使う距離。

でも持っていたとしても、要らない、むしろ邪魔になるだろう。
武道館の広い空間が狭いんじゃないかと思うくらい、たくさんのエネルギーを全身に浴びていたからだ。

そのエネルギーは決してプラスのものばかりではない。
悲しみ、怒り、憎しみ、諦め…負のエネルギーもある。

それはもちろんコロナの影響で、長年準備してきたにも関わらず、やりたかった形で開催できなかったこともある。でもそれ以外にも、メンバーの脱退・一時活動休止といったバンドとしての負の歴史、観客含めて武道館にいる全員が内に抱える”闇”も含まれている。

様々な感情が、女王蜂の音楽に包み込まれ、互いに呼応し、1つの煌めきとなって昇華される。

武道館は、エネルギーが昇華するのにちょうどいい大きさ・構造なのかと実感した瞬間だった。
Zeppほどこぢんまりせず、かといってアリーナほどだだっ広くもなく、ホールのような真対面でもなく。


ライブ本体はそんな感情の混ざり合いを楽しめる構成だった。同時にバンドの過去もファン全員の気持ちもリュックに詰め込んで、新たなる未来へ旅立つような勢いがあった。

「夜天」で見せた7色の光の先には、どんな景色が待っているのだろうか。
常により美しく、よりかっこよく、より可愛く。我が道を進んでいく女王蜂の行く末にワクワクしながら、次回のライブを申し込んだ。

「これからもよろしくお願いいたします」と口にした。


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