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「やりたい」に真っすぐアクセス。

書きたいといって始めたnote。ちゃんと3日坊主で1週間くらいたてしまった。まあ、いいのだ。忙しい日々だってある。突如として押し寄せてくる、ただただ、書きたい欲に忠実に、筆を進めることにする。

そう、今日のテーマは、やりたい(want to)に素直な日々を、一人でも多くの人が送れたいいなという気持ちを込めて。そして、僕が何のために人と向き合っているのか。現時点でのその答えの近似解を自身で設定したので、それについても書いてみる。

未来の自分に対するコミットメントだけど、これを読んで誰かの気づきになったらいいなと思う。

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「やりたいこと」は「やっちゃってること」

さて、かつての自分も含めて、「やるべき事」にまみれがちな現代人。というか、日本人。責任感が強く、忠誠心の高い民族性や、圧倒的な村社会で育ってきたDNAを脈々と受け継いでいるので、「やりたいかどうか」ではなく、「やるべき」「やらなければ」がちらつくことが多い。

誤解なきようお伝えすると、自由気ままに過ごしたらいいじゃん、とは少し違う。ただ、自分の「本音」「やりたいこと」「want to」は何かということに、アクセスできている状態で、目の前のアクションや未来を考えられているのか、そうではなく、日々に没入しているのかでは、全くといっていいほど、世界が違う。

自身のwant toに素直にアクセスする一つの切り口は、have to(~ねばならない)を取り除くことが先決。仕事にまっすぐで、真面目な人ほど、have toにまみれていることが多い。丁寧にひとつづず取り除くだけでも、自分の本音パワーの源泉が見えてくる。

ポイントの一つは、自分にとっての権威(例えば上司とか、先生とか、先輩とか)に支持されたり、禁止されたりしても、無視してやっちゃっていること。まあ、あとは、シンプルな問いかけは、仕事をしているときとかで「何をしている時が楽しいか」。

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「やりたいこと」は誰かの為なのか

就職活動中の大学生や、若手の社会人とやり取りすることが多い。(最近はモニターセッションで、30代のオトナな方々とも話す機会が増えてきた。
以外と、「誰かのために」ということに、ある意味隠れて、自分のやりたいをとどめて居る方を見受けることが多い。

各言う私自身も、「社会のため」とか「世の中のため」とか「会社のため」とか、枕詞を付けて、ことに取り組むことがしばしばあった。「嘘」ではないが、本心としてのクリティカルな感覚は、あるようで、無い、そんな感じだった。

この数か月間、認知科学に基づくコーチングスクールに通い、お師匠さんからよくよく言われ続けてきた、「本音パワー」「want to」であることがマインドのカラクリ上、どれほどのクリエイティビティを発揮するはずなのに、、クライアントと相対すると、気づくのに、自分のことになると見えなくなるのだ。

毎回、出てくるね。これが盲点(スコトーマ)ってやつだ。。。
これに気付かせてくれたのは、スクールの同期や先輩とのセッションの時だった。自分では気づきにくい部分は、誰かを頼るということが一番だなと改めて沁みた。

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人生に「have to」などない

「本音なんて、わかんないよ」「本当にやりたいことって何?」
それを見つける切り口の一つは、have toを取り除いていくことだ。本音パワーが自分のクリエイティビティの発揮につながる。

自分自身もそうだ。結局、過去に誰しもが「無理だよ」と言ってきたことでも、自分自身は「なんだか行ける気がする」(エフィカシーと呼び「未来のゴールを達成する自己能力の自己評価」と定義される)と思って突破したことは、自分の本音パワーが発揮されていたからこそ、そのパワーが同心円状に広がり、結果として、「行けた」のだ。

こんなスーパーポジティブで、未来に対してわくわくしかない自分でも、今本当にできるのだろうか?と不安になることもある。だからこそ、本音パワーなのだ。そして、ハイエフィカシーたテーマで勝負するのだ。(エフィカシーの天敵がhave toだったりする)

さてさて、現在、コーチングスクール生として、たくさんの皆様とモニターセッションをさせていただいている。素敵なご縁を以って、クライアントの変革と、エフィカシー高くクラインとが未来に向かって進むこと、決断を以ってやらないことを決めることなど、セッションの時間のありがたさと尊さを感じています。

まだ見ぬ、未来を変革・創造する方に、セッションをお届けできるように、引き続き精進していきたい!

また、お会いしましょう。
すべては、関わるみなさんとともに。
小さな小さなきっかけが、一つでも多く生まれる今日でありますように

Tomo(さととも/もすけ)

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