身体拘束を受けた身として ただ一つ、従事者から忘れられていること
いま、ネット上で話題になっている、東京新聞の身体拘束をめぐる精神科病院協会会長のインタビュー記事について、身体拘束を受けた経験もある自分として、この手の記事や議論は、ほんとうは目も当てたくないくらいつらかったけれど、ついつい目にしてしまったからには、いろいろもやもやと思ってしまうことがたくさんあったので、アウトプットの意味でもここに、殴り書きではありますが、整理していちど、書き記しておきたいと思う。
まずはじめに、わたしは、精神科閉鎖病棟で入院中に、身体拘束を受けたことのある身でもあるが、マスメディアの記者としてのこの分野での取材経験もあり、その後、精神保健福祉士の養成校で支援を学んだり、ソーシャルワーカーとして実際の現場でも従事にあたった経験もある。
とはいえ、たとえばそもそも、じゃあ、殺人事件の記事を書いたり取材したりすることができるのは、実際に殺されたり亡くなったりした経験がなければ書いてはいけないんですか?といえば、そうではないわけで、死者の声は勝手になんでも解釈したりされたり、ましてや美化されたりとかもするのに、経験がなければ、あるいは、経験年数が少なければ、なにもそのことについて語ってはいけないのかといったら、まったくそうは思わないことを、まずはじめに申し上げておきたい。
そのうえで、この記事にたいするネットの反響を読んで、あらためて、精神科医療や福祉は、いやな世界だなあ、と思った。
◇
経験があるからなのか、ないからなのか、もはやわからないし、どっちでもいいし、なくてもわたしはきっと思うけれど、わたしは、従事者側の言い分や本音も、記者としての言い分もわかる。
だけど、記事上やネット上の一連の議論のなかに、いちばんあるはずの、身体拘束をされた当事者、それは、当事者の数だけ存在しているわけで、これまでも、いま、まさにされようとしている人も、いままさにされている最中の人もそうだけど、彼らの「声」や「人権」について、従事者側も、メディア側にも、なにも「ない」ということが、ただただ残念だった。
記者は、たくさんの「現場」を見てきたのかもしれないし、精神保健福祉士や社会福祉士なりの資格があったり、勉強熱心だったり、するのかもしれない。
従事者側は従事者側で、従事者の現場もしらない記者みたいな人間が、土足で入ってきて、なにがわかるのかという、専門領域外の人間への、なにげない見下しなどもあるのかもしれない。
だけど、あの記事は、それぞれが、お互いの「正しさ」を守ろうと攻撃しあっていたり、縄張りや、業界としての既得権を争っているだけのようにしか見えなくて、そういうのを見るのが、がっかりだし、残念だと思ったのが、感想だった。
そこにいないものが、なにも見えていなくて。
だけど、そのえげつなさや醜さが現実だという意味では、そういうのを照らし出すという意義があったのではないかとも思った。もうそれで何十年もかわっていないけれど。
◇
たとえば自分が福祉現場にいたときは、やはり、誇り高くそういう仕事をやっているという使命感からなのかわからないけれど、ぶっちゃけ、自分の「正しさ」を声高にぶつけて、ぶつかりあうような場をたくさん見てて、正しさ同士でぶつかり合うのがとても不毛で、時間の無駄なことばかりで、いやーな気持ちになった。
みんなじゃないけど、自分の意見を自信満々に、自分に酔って、自分のプレイを誇らしげに語ったり、シンパたちが崇拝者たちの言説を広めようとしているけれど、そこには「自分」はいても、患者さんなり、誰のための医療なり支援なのかというのが、患者のことを話しているようで、「自分」に酔っているだけのような、気持ち悪さがあった。
そもそも、そこまで考えてないからこそたちのわるい無邪気さに潜む、偏見や差別意識とかも見えてしまって、これ以上見たくない、聞きたくないと思った。
◇
記者であったときも、結局は、この人は自分自身の未解決の問題を、「取材」という手段をとおして、あるいは取材対象に投影なり利用なりして、敵討ちしているだけなのではないかという人もいたし、自分もそうなってしまいそうな危険は常にあって、それが世のためで正しいと完璧に思ってしまったら、人としてやばいな、という気持ちがいつも裏腹にありながら、恐る恐るやることに、神経がすり減った。
そんな、もろさや怖さがあるのに、たとえば、冒頭の記事を読んだ従事者であると思われる人がSNSで、「この記者は不勉強だ」とか、「従事者でもないのになにがわかるのか」などと言っていて、
とにかく、140字で、この問題を言い切れてしまう、仮に言い切れないとしても、こんないろいろと読み解けるような問題を、従事者の人間なりが、「140字で言い切れないかもしれないためらい」などもなくするする言えていることが、おそろしいと思った。
だけど、そういうふうに本音を言い切ってしまう人種がいる。
そんな人のたったひと声に、声すら持てないで傷つく患者や、それによって無力化する患者が、だから後をたたない。
だけど、一見、「熱い」、声の大きい人たちが、当事者不在の不毛な「議論」を繰り広げて、何十年となにも変わらない世界を守り続けている。
会長も、従事者の本音を、部外者にわかってたまるかと守るのに必死だ。
まるでその人たちの既得権を守ためだけに、精神科医療が存在しているといわんばかりに。
◇
わたしの身体拘束を受けた話を、ここで少しだけ(詳細に書くのは今回は割愛)。
若い頃、精神的に不安定で東日本地域の精神科の閉鎖病棟に入院したときの話。
入院から数日後、ワーカーだという女性がいきなりやってきて、かんたんに要約すると「あなたはこれから障害年金で障害者として生きていくから、退院後は、もう地域には帰らずに、近くのグループホームに住んでもらって、そこでB型事業所で働いてもらう。
ついては、そのグループホームの紹介と、事業所選びをしたい」と言われた。
わたしはそのとき、自殺未遂をしてこの世に絶望していながらも、それでも将来やりたい希望もあって、こんな仕事をしながら、こんな暮らし方をしたいとか、そんな夢がたくさんあった。
だけど、それが叶わない現実の環境との間でもがいていた。
そんな思いなどもしらずに、いきなり関係性もない、ましてや初対面のワーカーが勝手に人の病室に土足でやってきて、もうあなたは働かなくてもいいから障害年金で障害者として生きろと、人の職業選択や、住む場所などの自由まで、当たり前のように、ある日突然、奪い去っていったことが、わたしはとても許せなかった。
だけど、このままだと、この主治医から言いなりのワーカーによって、わたしの将来が勝手に決められてしまう。希望も、なにもかも、わたしという存在そのものが、奪い去られてしまう。
そのことを、もっとうまく言葉して伝えられればよかったのだろうけど、若いわたしには、そこまでの言葉を持ち合わせていなかった。
◇
だから、わたしは、衝動的に、B型事業所の一覧が書いてある手渡されたパンフレットをワーカーに「人の人生をなんだと思っているんだ」といって投げつけ、そして、その勢いで、自分の椅子をワーカーに投げつけたり、そこらじゅうにあるものを壁に投げつけて破壊した。
そうでもしないと自分が脅かされて、なにもかも奪われると思ったから。
気づいたら、わたしはかけつけた4人ほどの看護師と医師らによって、保護室につれていかれ、衣類をはがれ、おむつをされ、手や足をバンドでくくりつけられ、血栓防止のソックスをはかされ、鎮静の注射を打たれ、2日3日くらいだろうか、身体拘束というのをされた。
そのときもともと暴言ぎみの主治医は、「あんたがそうやって言うこと聞かないから、身体拘束してわからせてやるんだよ」と言った。
その病棟では、言うこと聞かなかったら身体拘束という、懲罰的な意味合いでの拘束が横行していた。
身体拘束されているから逃げようはないのだけれど、外側からしか鍵がかからずに、ナースコールもなく、患者の様子は、外廊下からの小さい窓からしかのぞけない。
そんな窓もない、白い壁だけの、時間もわからない場所に数日間(といっても、そのときは解ける目処もわからない)、拘束され続けたことが、どれだけつらかったか、怖かったか、いまでもそのトラウマが消えない。
◇
最後はもう、拘束を解いてもらえることしか考えられなくなって、数日経って訪ねてきた主治医が、「もう逆らわないで、言うこときくって約束するか。だったら、これ外してやる。ごめんなさいって謝れ」と言われて、
解けるんだったら、もうなんでもしますくらいの気持ちというか無力で降参という気持ちになって、それで、それからわたしは、そのときの諦めから、二度と、暴力や相手への攻撃というかたちで自分の思いを表出することをやめた。
正確にいうと、そういう問題意識が疑問を持つことが、できなくなった。
障害者であるということで、世間に申し訳なくこそこそと小さく生きて、諦めや無力感を感じて、障害者は従事者になにもものを言ってはいけないんだ、言ってもねじふせられるという気持ちになった。
◇
あれから歳月がたって、それはそれで非常に歪んだものだったことを、生々しいトラウマがフラッシュバックするのと引き換えに、思えるようにもなってきた。
そこまでのリカバリーまでの話も端折るけど、わたしはそんな世界から、それはそれでとても苦労したけれど、全力で逃げて逃げて、逃げまくって、いま自分なりの自由で生き生きとした世界を手に入れて、もう振り返っても追いかけてこないよという安心も感じる時間も出てきた。
だけど、冒頭のああいうえげつない記事によって、逃げて逃げて、そういうえげつない世界についてかかわること、考えること、思い出すこと、不毛な議論に首をつっこむことをやめて、自分の「いま」を生きようとしていても、目にしてしまうと、まーだこんなことやっているのか、とげんなりしてしまい、そのもやもやを言葉にしてみたいと思い、今回このnoteに綴ってみた次第でした。
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