【ザ・マジック序章】そもそも「感謝」ってなんなのさ?
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▶︎【ザ・マジック】28日間で本当に人生は変わるのか?騙されてみて欲しい。
最初は読んだだけで、
ウッとなっていた「ザ・マジック」
何が苦しくて
そこからどのように捉え直したのか?
ひとつの事例としてどうぞ。
あなたは魔法を信じていますか?
例えば目の前で誰かにこう力説されたとしたら、
「この人大丈夫かな?」
「あやしい…」
正直、そのような印象をまず持つ人のほうが多いのではないでしょうか?
「ハイハイ、また感謝ね…」と
右から左に軽く聞き流し、心の中では
うっせーよ。
私のほうが感謝されたいくらいなのに。
と小さくイラっとしながらも
私は感謝できる人間ですからと
自分をやけに肯定したくなったり。
感謝って当たり前のようで、
意外と自分の心を揺さぶるものでした。
はい、私の話です。
感謝の心なんて当たり前に持っているし
至極まっとうに生きてきた(と思っているわけで)
だってさ、
感謝すれば上手くいく?
ということは、
今現状に満足していない私は
感謝が足りないことになるじゃないの。
表現は違うけれど、
そう訴えかけてくるのです。
つまりそれは、
今のままではダメダメですよ。と
今の私を否定されているように感じて
それがとっても嫌だっだ。
初めてこのザ・マジックを読んでみた時の印象は
このように「嫌な感じ」でしかなかったです。
それでも持ち前の好奇心が少しばかり上回り、
とりあえずやってみることに。
しかし、なんとか頭で理解しようとするほどに
心をギュッと掴まれるような苦しさがあり
なかなか進まないのです。
当時はまだ、
母との関係に大きなわだかまりを持ち
全てを母のせい
育った環境のせいとし
被害者意識全開で生きていたので
なかなか受け入れられなかったのだ。
「ダメな自分を」
だって、本当は感謝なんてしたくなかったもの。
こんなに大変で
こんなに頑張って
それでも全てを受け入れようと
こんなに我慢して来たのに。
感謝なんてできなくて当然で
感謝なんてしてしまったら
今までの自分の苦労が間違っていたことになる。
そう思えて許せなかった。
つまり、
感謝の魔法を使って人生をよくすることよりも、
自分のちっぽけなプライドが大事で
なんとかわからせてやることに
一生懸命意識を注ぐことのほうが大事だったってこと。
人生が上手くいく人たちは、
感謝の陰に並々ならぬ努力があるからに決まっている。
感謝ごときで人生変わるはずがない。
そんなおまじないのような
綺麗事に騙されたらバカを見る。
結局は努力できた人だけが勝つんだ。
「そうだ、甘い言葉に騙されてはいけない」
だって、がむしゃらに頑張ることのほうが
まだ出来そうなんだもん。
そのくらい、
ダメな自分を知ることは
間違っていたかも知れない自分を認めることは
当時の私には、怖いことでした。
「正解不正解」
「良い悪い」
「勝ち負け」といったことに
がんじがらめになっていた頃です。
ただ感謝をすればいいだけなのに
出来ない自分=ダメな自分
このままじゃダメだから
なんとか克服しなければ
やっぱり人生は良くならないんだ。
でも出来ない!(したくない)
そんなことをグルグル考えてばかりでした。
本当は、
ダメだと思っている、
そうジャッジしている自分の
そのジャッジをやめていくこと。
これが大切だったのに。
そもそも「感謝とは?」
「感謝」とは、何かをしてもらったり
特別に良いことがあった時にするもので、
「私にとって」良いことがあった時、
嬉しいことがあった時に伝える言葉
だと思っていました。
そして無意識に
感謝される方が上で
する方が下という感覚を持っていたので
なんでもかんでもへり下って、謙虚に、
「感謝をしなければ」と思うことが
苦しかったのです。
心の中では「ありがとう」と思っているのに
「今、それを求められているな」と感じると
言いたくなくなる。
そんなこともよくありました。
自分を下げて、相手を上げる行為ですから
簡単には出来ないのです。
しかし、このザ・マジックは
私の感謝の設定を
大きく変えてくれました。
これは良いことだから感謝しよう、でも
これは嫌なことだけど
ポジティブに捉えて感謝しよう、でも
これは悪いことだから感謝出来ない、でもなく
ただ今目の前にある事実を
そのまま見て、受け入れるだけでいい。
事実を確認し「ありがとう」という
受領のスタンプを押すかのように
ただ受け取っていくだけで良かったのだ。
何を当たり前な、
と思われるかもしれませんが
もしかしたらあなたにも
未受領の豊かさが
まだまだ沢山あるのではないでしょうか?
ネガティブは排除できるものではない
あなたの感じたことや考えることが
引き寄せられるのだから、
ネガティブになってはいけません。
このような教えも多いように感じますが
基本ネガティブな私には
ネガティブになるなと言われたら
できる気がしません(笑)
ネガティブを感じないようにするには
心を閉じなくてはなりませんし
無理やりポジティブに変換したところで
押さえつけているにすぎないので苦しい。
すでにあるものを無視することほど
自分を傷つける行為はないと思うのです。
ただし、
ネガティブでい続けるかどうかは別の話で。
「悪いことを考えてはいけない」
と言われても思考はオートで湧いてくるわけ。
だからこそ、
自分が常にどのようなことを考えているのかを
ちゃんと見るために
「一旦ノートに書いてみる」
これを合わせてやるのがとても良いと感じています。
気持ちや考えは見えない分
見ないふりをしていると
延々と頭の中で繰り返すことが出来てしまうから。
それこそ年単位で!
気持ちを込めることは、重くすることではない
これは教えてもらって本当にそうだなと
思ったことなのですが、
「気持ちを込めて」
という表現に対して無意識に
「こみあげるほどの感謝を感じなければならない」と
勝手にハードルを上げていたのが
苦しさを感じるひとつの要因であったなということ。
感謝なんかしたくない私に、
さらにこみあげるほどの気持ちを感じながらなど
無理ゲーでしかなくて。
気持ちが湧いてこないのに、
感謝なんてできない。
そう思っていたけれど
ここが、違ったのです。
感謝と気持ちは別でいい。
気持ちはついてこなくても、
先に「ありがとう」をあてがい
そこから巡らせていく。
そうすると確かに、
気持ちは後からついてくるのです。
たとえ自分が欲しい形ではなくても
そこに感謝はいくつでも見いだせるもの。
そうやって先にあてがうことで、
相手をいい気分にさせるためでも
とりあえずその場をうまくいかせるためでもなく
自分の中でつくられる
その慈愛のエネルギーで
常に自分が充電されていくことになる。
自分で満たすって
こういうことではないのでしょうか?
それは毎回こみあげるほどの
震えるほどの気持ち、
ではないかもしれない。
私たちの感じる気持ちには
重いものから軽いものまで
色んなバリエーションがあるものだから。
感謝にも
シチュエーションにあった
色んなバリエーションがあるはずなのです。
心が震えて涙が出るような感謝も
サンキュ!といったポップな感謝も
どれも対等に
ただ数えていけば良いだけでした。
苦しさこそが、最大のポイント
本を読んでみて苦しく感じるところ
感謝をすることに対してモヤっとすること
こういった苦しい感覚は常に
「何かが違う」ことを教えてくれているものです。
苦しくても我慢しましょう、でも
苦しくてもこなしていこう、でもなく
確かに感じたその気持ちに
「なぜこんなに苦しく感じるのだろう?」
そう問いかけ、自分に聴いてみることや
「これが良いとされているのは何でだろう?」
と、知りたい気持ちに問いを立て放つこと。
そのどっちもが
自分だけの答えへと導いてくれるから。
この「私」がどう感じるのか?
是非試してみて欲しい。
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本文は以上になります。
参考までに私が実際に書いた読書ノートを
置いています。
(ノート見開き2ページ、片面1ページ分の画像)
頭の中をのぞきたい人だけどうぞ。
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