見出し画像

実は、予定埋め込み症候群でした。

「行動が苦手」

そう感じていた時のそれは、
「評価」や「成果」という
見返りばかりに目をくらませて

自分の頭の中だけの
「幸せ」
「正解」
「正しいカタチ」に
囚われすぎていた。

思ったような反応が返ってこない。
つまり予想が外れたら

「恥」という罰を自らに与え
さらに自分を縛っていく。

だからますます鈍くなる。
鈍くなるからまた
変えてくれる「何か」が欲しくなる。

そういう遊びを延々と
楽しんでいたことに気づくと

そっちのほうが恥ずかしくて
もう、
笑ってしまうしかない。

∞∞∞∞∞

(2022年7月のアメブロ記事を転記)
↓↓↓

今日は久しぶりのお休みでした。
「久しぶりのお休み」というと、

働きすぎじゃないの?
とか、
無理してない?

と声をかけていただくこともあるのですが

私にとって、
「久ぶりのお休み」とは
「2日ぶりのお休み」です。

長くても4日ぶりとか。

まとめて連休をとるのも好きだし、
今週も11連休を控えていますが

どちらかというこまめに
「またお休み♡」
と喜ぶのが好きです。

一日仕事をしている時でも、
ちょこちょこ休憩は必須。

生産性をあげるには
とにかく
より沢山のことをこなすこと、
だと思っていたけれど

全く逆でした。

そもそもそんなに集中力ないし。

しかるべき時に動けるようにするためには、
ユルっとする時間もしっかりと取る。

良し、やるか。

と思った時は

すぐ動く。

ユルユルしている時ほど
インスピレーションが湧いてくるので

その時もすぐ動く。

「めんどくさいな」も
もれなくセットだったりするけど、
とりあえず動く。

ちょっとやってみるか、くらいの軽い感じで。

すぐ調べる、とか
すぐ連絡する、とか
それくらいでも良いのです。

ちょっとでも良いから動いてみると
そこに「次」が必ず現れるから。

一日のToDoを決めて
とにかくこなそう。

としていた時より、
よっぽど省エネでサクッと進んでいくのを
感じています。


∞∞∞∞∞

話は少し変わりますが、
私は週間バーチカルタイプの
手帳が好きでいつも選んでいます。

以前はこの手帳の予定に
隙間が空くのが嫌だった。

隙間があると埋めたくなるし、
綺麗に埋まることに満足していました。

そして何もしない日、
予定が埋まっていない日は
一日の終わりに
こう思っていました。

「ああ、1日がもったいなかったなぁ」って。

何もできなかったと
責めていたのです。

「ああ、今日は何もできなかった」
「ああ、1日が無駄に終わってしまった」

もったいない。
ダメなことをした。

そうやって
めちゃくちゃ自分を責めていました。

空白が許せなかった。

もちろん体は疲れるけれど
その疲労感が逆に、

「めちゃくちゃ頑張っている、私」

という証明のようで
それを気持ち良いことだと
勘違いしていたのだと思う。

だから
「疲れる」
「疲れた」
と言いながらも、
止まることが出来なかった。

そんな風に過ごしていた時がありました。

がむしゃらに動くことで

自信のなさや
無価値感、焦る気持ち
を誤魔化し

無能な自分をとにかく感じたくなかったから。

がむしゃらに動いている割に
実りがないことに
気づいていながらも

止まることが怖かったんだ。

この予定埋め込み症候群も
動いているようで実は

「行動が苦手」な部類に入る。
苦手というより下手くそなのかもしれないが。


∞∞∞∞∞


凄そうにみえるか?
褒められそうか?
人から見て、良いことなのか?

行動の基準も
このように「他人から見てどうか」という
見られ方ばかりを気にしたものでした。

だからいつも
「これでいいのだろうか?」と

自信がない。
満たされない。

動くほどに枯渇していく。
そんなループの中にいた。

この時の私に必要だったのは
「止まる」ことだった。

動くことだけが大切な訳ではなくて
止まることも
休むことも行動なのだとわかった。

何をするかよりも、
どんな意識でするかが大切だったし

人の基準に合わせるよりも
自分の体の声を聴き、従うことでしか
本当の満足はやってこないのだ。

そして体の声を聴くためには
普段オートで繰り返されている
自分にとっての当たり前を
疑ってみること。

これもすごく大事なことで。
当たり前の中では
自分の感じている心地よさすら
当てにならなかったりするからだ。

自分がどんな意識で
何に従って動いてしまっているのか。

そこから捉えていかなければ

いつまでたっても
同じことを繰り返していく。

だって無意識なんだもん。

その全てが表れている
今の行動、言葉をしっかりと捉えて

違和感を放置せず
自分の純真な欲に従う。

そこを起点とした行動へと
純度を上げていきたいと改めて思う。

そうすると必然的に
沢山埋め込む必要がなくなっていく。

だって「感じる余白」が
新しい原動力になっていくから。

▶こちらも合わせてどうぞ

▶感じるお稽古始めませんか

クリックしてゲット

▶「お母さんのせい」が浮かぶ人はこれを是非

▶プロフィールはこちら
▶サイトマップはこちら

▶︎2月の日付けシートはこちら




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?