「願いを叶える」の落とし穴
(2022年7月のアメブロ記事をリライト)
ブログ始めて15日目。
ひとまず目標は続ける事。
としていたけれど
続けていると、
もっとこうしたい。
こうだったらいいな。
という、新たな願いが
自然と湧いてくるものです。
でももし
これらの願いが叶わなかったとしても
たぶんそんなに落ち込まない。
それは、
私は私がまっすぐに
自分の望みに向かっていることを
もうちゃんと知っているから。
今できることは
もちろん全部やりますよ。
願い事って、得意ですか?
私は本当に苦手でした。
願いを叶えるためにやる
イメージングも
アファメーションも
全然よくわからなかった。
何となくやってみても
その時は確かにちょっと
ワクワクしたような心地よさを
捉えるのだけれども
すぐに「で?」ってなっていた。
で?どうすればいいの?って。
願いを叶えるためには
「何か絶対的な方法」があるはずだ。
そう思っていたから。
さらにさらに、
心の探究を続けて
「全部ある」
「このままでいい」
と知れば知るほどに
私はポンコツになりました。
望むことが
ますます出来なくなった。
だって、
どうであっても
幸せにしかならないのなら
何もやらなくてよくない?
今のまま、
このままでいいのなら
わざわざ頑張らなくていいじゃん?
「もう全部ある」
「結局幸せにしかならない」を
頭で理解した頃です。
本当は、
「このままでいい」の裏側に
【望む=今が不満足】
だから望んだら、
今が不満足なことになってしまう。
という思いを抱え、
こんなに学んでいるのに
不満足だなんて言えない。
不満足なんて言ったら
「わかっていない人」みたいで嫌。
「満足」ということにしておけば
これ以上がっかりしたり、傷つかなくて済む。
だったらもう
このくらいで満足ということにしておけばいい。
そうやって、
本当は不満足な気持ちを
感じないようにしていたから
すでにあるものへの感謝や満足感も
感じられないまま
頭で抑えつけていたのです。
満足なうえに、
望んでもいい。
これがわかっていなかったから。
今に満足することと
願いを持つことは、
別でよかったのに。
∞∞∞∞∞
願ったら叶えなくてはダメ
叶えるために頑張らなきゃダメ
そういう思いも
願うことを重くしていく。
願いって、
本当はもっと気軽に
ポンポン放っていけばいいものなのに。
そして大切なのは、
叶っていることを認識すること。
ちょっとした変化や成果を
こんなことで喜んでいたらバカみたい
こんなもんで良しとしたら成長しない
こんなことで満足していたら
理想の世界は遠すぎる!
そうやって「無かったことする」から
いつまでたっても
「追いかけるもの」のまま
だったんだな。
さっさと満足しちゃえば
どんどん増えていくものなのに。
微細に丁寧に、焦らず。
ひとつひとつをちゃんと認めて
受け取っていくのが先だったんだ。
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