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死産という体験から17年経った今思うこと。


17年前の今日、空は眩しいくらいの晴天だった。

病室の窓から差し込む光と、その向こう側にどこまでも広がる青空。

悲しくて悲しくて仕方がないはずなのに、流れる涙が乾いてしまうくらい、その光と澄み切った空に心を奪われた。

「泣かないで」

そんな声と共に、そこに満面の微笑みが見えた気がしたんだ。だから私は彼女を「ソラ」って名付けたの。


∞∞∞∞∞


今日はお墓参りへ。死産だった我が子の命日です。

もう17年も前のことだけど、私の人生に沢山の学びをもたらしてくれた出来事でしたので、今でもそのひとつひとつをよく覚えています。

こんなに悲しく辛い出来事がこの世にあるのかと、大袈裟ではなく人生で1番の不幸な出来事で、絶対に忘れられない痛みだとその時は思ってた。

しかし、痛みはちゃんと忘れていくものです。むしろその痛みがあったからこそ、とどまることなく流れ続ける深い底なしの愛と、絶対的な安心領域に触れることができたのだと、今では感謝の気持ちまで感じるようになりました。

17年たった今も、手を合わせ静かにあちら側を想う時には涙が溢れて止まらなくなる。でも涙を流している私の状態は、確実に当時の私とは違っていて。

溢れる涙は変わらなくても、こんなに心穏やかに向き合える日が来たのは、記憶が風化したからではなく、この事象を通して感じた様々な気持ちや巡らせた想いが、しっかりと私の内側で一体化したからだと思うのです。

この腕に抱くことは叶わなかった我が子ですが、どんな時もあちら側から愛の経路を照らし続け

「ママ、こっちだよ」と、
向かうべき方向を示してくれていた気がします。

私の中に宿ったソラという存在が、あの時の出来事が、確かに私を育ててくれたし導いてくれた。それは日常で息子たちと育み合っていることと何ら変わらないのだ。

そばにいなくても、私たちは繋がっている。

それが本当かどうかの確かな証拠は見つけれれなくても、そう感じている私が今ここにいるのだから、もうそれは私にとっては紛れもない真実で。

「ごめんなさい」しか言葉にならなかったあの時から
「ありがとう」と言えるようになった今、

起きた事象によって不幸が決まることは絶対になく、どんなことからでも私たちは必ず「愛と感謝」に辿りつけるようになっていると、強く、そう思うのです。

いつかソラと私のストーリーもどこかに残していけたらいいな。

本堂の脇に咲く紫陽花。
高確率で雨が降る。



吹き抜ける風と虫の鳴き声に
揺れる天蓋の奏でる優しい音色が混じりあい

白檀の香りに包まれた空間には
時折、雨や草木の匂いが入り込む。

畳の感触や
頬を伝う涙の生暖かさが
私という肉体の輪郭を教えてくれる。

閉じた瞼の向こうに感じる黄金の光が
その全てを包み込んだ静寂の中で

私はまたソラと約束をしたんだ。

もう少しここで「生きていく」ことを。

_______

ただそこにいて
受け取りなさい

そして流していくのです

とどめることなく
流すのです

ただそこで
生きなさい
愛と共に生きるのです

_______

眩い光のその向こうから
そんな声が
聴こえてしまったから。

とっても優しい声だったなぁ。

瑞々しい。水滴が乗るとまた雰囲気が変わるよね。



死産はとても悲しい出来事でしたが、必ずセットで思い出すことがあって。

私の入院によって、当時2歳の長男とは初めて別々の夜を過ごすことになりました。だからすごく心配で、泣いていないかな?寂しい思いをしていないかな?ってとても気がかりだったんです。

しかし途中で会ってしまうとお互い余計に寂しくなりそうだったから、退院して家に帰るまでは実家でジジババと過ごしてもらうことにしていました。

でも手術が終わった次の日、
「タクトがママに会いたいって言うから一緒に行くね」
と主人からメールが来て。

てっきり、寂しくなって駄々をこねたのかと思ったんです。


コンコンコン

ノックの後にゆっくりと開くドアの向こうに、帽子をかぶりリュックを背負った姿で、パパに手を引かれながらちょっと恥ずかしそうに後ろに立っている息子の姿がありました。

泣いて飛びついてくるかな?という私の予想は見事に外れ、それどころか「抱っこ」のだの字も言わず、パパの横にちょこんと座り、なんだかちょっとよそよそしいくらい(笑)

いつも私が
「帽子かぶろうね~」
「リュックしょって~」 
と何度声をかけても

「イヤ!」
の一点張りで。たまにおとなしく身につけたと思っても数分後にはその辺に投げ出していたのに、借りてきた猫のようではないか。

「あれ、私がいなくても案外大丈夫なんだ?」
いい子ちゃんで居てくれたら嬉しいと思っていたのに、むしろ淋しいではないか。

でもめっちゃめちゃ頑張っていることも、すごーくすごーく伝わってくるから、ちょっぴり胸が痛いのだ。親の心はいつだって複雑に揺れているのよ。

そして一切ぐずることもなく、おとなしくちょこんと座っているちょっとムチッとした愛しい子は、慣れない手つきで背負ってきたリュックから私の大好きなバニラアイスを取り出して
「ママ元気になってね」
って小さな手で差し出すのですよ。

「隣のコンビニで『ママが好きなもの』ってタクトが選んだんだよ」
と主人が教えてくれました。

こういう時の「じーーーん」と奥の方まで響いていく喜びは、なんと表現したら良いのか未だに言葉が見つかりません。

術後、食事が全く喉を通らず何も食べれていなかったのが嘘みたいに、それは今まで食べた中でいちばん嬉しくて体中に沁みたバニラアイスです。

結局一度も「抱っこ」と寄ってくることもなく「バイバイ」とあっさりと帰っていった息子とは裏腹に、淋しさを隠せない私。成長って嬉しいだけじゃないんだなと知りました。

タクトを連れてきてくれたことへのお礼と
「大丈夫そうでびっくりした」ことをすぐに主人へメールしました。その返信はすぐに届き、それは私の涙腺を一瞬で崩壊させたのです。

「今、車に乗ったとたんに『ママ~』って大泣きしてるよ~。ママに心配かけないようにめちゃめちゃ頑張ったから、帰ったらいっぱい抱っこしてあげて」

「帽子もリュックもタクトが自分から用意したんだよ。ママを喜ばせたかったんだね」

まだたった2年しか生きていない小さな子が、こんなにも愛情を注いでくれている。この事実に、本当に胸がいっぱいになりました。

今思い出してもウルウルしてしまう、こういう忘れられないワンシーンが、私の人生全部を常に支えてくれているのだとつくづく思うのです。

たったワンシーン。
たったひとこと。

一度震えた心は、何年経ってもその喜びのバイブレーションを忘れることがない。そういう心が震える瞬間をどれだけ持てたのか?どれだけ分かちあえたのか?私はこれを「豊かさ」と呼びたいのだと、思い出すたびにいつも教えられています。

ちゃんと心の奥深くに、それがあることを。

お花と共に。




死産というひとつの体験が、私にもたらしたもの。それは痛み、悲しみ、喪失感、罪悪感、自己憐憫といった苦しいものだった。そこに至る経緯も含めて「自分を許してはいけない」という呪縛に囚われていた時期も長かったから。

でも同じところに、いつだって優しさや思いやり、私に向けられた沢山の愛情もあった。苦しみでうずくまっている時には、目に入らないだけで。

ネガティブと言われるようなものも、ポジティブと呼ばれるようなものも、本当はどこにも境界線などなく、常に今ここに同時に混在し続けている。

この体で感じることを恐れないこと。
どんな体験も、どんな気持ちも、同じように心を震わせていることに変わりはない。いつだって対等で美しく尊いものだ。だって、それが「生きる」ということだから。

悲しみを乗り越えなければ、
苦しみを排除しなければ、
困難を乗り越えなければ、
ネガティブを感じる自分を変えていかなければと思っていることこそが、そもそもの苦しみなのだ。

痛みも、悲しみも、嬉しさも、愛おしさも、感じることの全部が同じ場所に同じようにある。そのどれかを選ばなくても、全てを丸ごと受け取っていけばいい。ゆらりゆらりと移ろうままに、ただそのままを、その時を、感じても大丈夫なんだよっていうこと。

揺れ動く気持ちは一見不安定のようだが、ちゃんと感じるからこそ、丸ごと包み込んでいける深さと大きさを育て、そしてそれがそのままどっしりと安定した器になっていくのだと思う。

これはめったに起きないような大きな出来事だから感じることではなく、日常のささやかなことの中でも、心は全く同じ動きをするもので。

日々自分の状態、動きをよく観察すること。
この視点を持つことが、自分に対する何よりの愛なのだと感じています。

それを教えてくれるすべての存在に
愛と感謝を。

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17年前はまだ自分と育む方法を知らなかったから、当時の私にも教えてあげたかったなって思う。

∞∞∞∞∞

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