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【全2回連載】 エッセイ 観劇のすすめ 前編「童心を忘れてしまった僕から」

皆さんこんばんわ。  

深夜ガタンゴトンWEBディレクターの高橋 朋矢です。

今回と次回は「観劇のすすめ」というタイトルで全2回の連載エッセイをお送りしたいと思います。

本連載を書こうと思いたったのは、観劇をした時の個人的な感覚を文章という形で残せないかなと思ったからです。

もちろん、描かれていることは私個人の体験ですので、 皆さんに共通する部分を見つけるのは難しいかもしれませんが、 この記事を読んでいる間だけでも、皆さんと同じ時間を共有して、 子どもの頃の小さな世界のことを思い出して欲しいなという気持ちで書きました。 大人になってからも観劇を通して、あの頃にタイムスリップすることだってできるんです。 

それでは、前置きが長くなってしまいましたが、深夜ガタンゴトンマガジン第5回始まります!

雪を食べてみた

仕事をする上で効率的に業務をこなすことは大切だと思うけど、何か大人になってしまったみたいで寂しい。

小学校低学年の頃の僕と今の僕の目線は、2ℓペットボトル2本分の高さの違いがあるけど、目の前に見えているものはそれ以上の違いがあると思う。 

2020年3月14日、午後2時頃。 昨日のこと。 午前中布団から出れず、午後になってやっと這い出てきて、最寄駅のホームに立っている。 4駅先の、少し栄えている駅まで移動するのに電車を待っている。 気づくと、さっきまで雨だったモノが雪になっていた。 首都圏で、しかも3月に雪が降るのは珍しい。 隣に立っている初老の男性がスマホを出して、写真を撮っている。 僕もならって、自分の目の高さでパシャリ。 スマホが古いからか、雪の落ちるスピードが早すぎるのか、白い線が映り込んでいるだけだった。 年甲斐もなくはしゃいでしまった。 周りの目が気になり恥ずかしくなって、スマホをポケットに突っ込む。 雪を見て、はしゃいだのはいつぶりだろう。 年を取るにつれて、雪は楽しみなものから、移動を困難にするだけのめんどうなものに変わっていった。 

小学校低学年、父の務める会社の社宅に住んでいた頃。 放課後は近所の友達と「4号公園」に集まって、鬼ごっこや缶蹴り、自転車で公園のまわりを何周もするレースをしていた。 あの頃雪が降ると、僕の頭は子どもじみた妄想でいっぱいになった。 白い雪の上に寝そべったり、綿菓子のような雪を口に含んでみたいと。 実際に雪を食べると、想像していたのと全然違って、なんの味もしなかった。 今は仕事終わりにお酒を飲んでダーツをしたり、休日はドライブをする。 大人になってできることの幅はもちろん広がったけど、子どもの頃はもっと、小さな世界にたくさんのものを見ていた気がする。

僕は童心を失ってしまったのだろうか。 

キーボードと指が一体になってしまった

最近、何かをしようとする時に、どんなものでも筋道を考える癖がついてきた。 例えば、仕事で営業ツールを作る時や朝ごはんで簡単な料理を作る時。 まずはこれをやって、次にあれをやって。 最初にイメージしてから取り掛かる。 筋道がわかれば、あとは手をサクサクと動かすだけなので、やりきるという気持ちが続くかの問題だ。

営業用チラシの作成中、キーボードを叩く。 マウスを動かして、図形を動かす。 手で作るのと違って、簡単に図形は動く。 動かしたい部分を選択して、文字の丸みを調整する。 イラストをくっつける。 あまりにもスムーズに動くので、短時間で自分は大きなことを成し遂げたような気がしてくる。 でも、すごいのはパソコンとソフトウェアなんだよな。 Illustrator様ありがとうございます。 ちょっと休憩して、ウォーターサーバーで水を汲む。 朝買ったペットボトルに水を注ぎ足す。 会社の近くの自販機はミネラルウォーターが100円で買える。 だから、1日のドリンク代はそれだけ。 たまに、その100円がもったいない気がして、タンブラーを買おうかと検討するけど、いちいち洗うのがめんどくさいと思って、やめておく。 休憩から戻って、キーボードを叩く。 マウスを動かす。 たまにわからないことがあって、つまずくとネットで優秀な人が書いた記事を読んで、解決する。 あまり考えずに手を動かしていく。 集中すると、指がひとりでに動いているような気がして、キーボードが体の一部になったような錯覚にとらわれる。 一定の時間に一定の量の作業をして、ボディが熱くなったり、頭がフリーズする前に休憩を挟む。 たまに水を飲んで、同僚と談笑する。 仕事を終える。 家に帰る。 何か寂しい気持ちが残る。 寝る前にカチコチになった肩をさすって、パソコンと変わらないなと思う。

物語が始まる雰囲気

客席にいる時、想像上のスクリーンが目の前にあって、 自分で雪を降らせているような感覚になる時がある。 実際にあるモノが全然別のモノに見えてくる。 劇場を出た後も、街の灯りがいつもよりキラキラ見えて、 路地裏から何か物語が始まるような気がしてくる。 劇場は違った世界への入り口だといえるし、タイムマシンみたいなものともいえる。 パソコンの一部になってしまった僕が、雪を口いっぱいに頬張っていた僕に戻っていく。

-つづく-


長文、乱文にお付き合いいただき、ありがとうございました。 以上、深夜ガタンゴトンマガジン第5回の記事投稿でした。 

明日も皆さんにとって、笑顔で楽しい1日になりますように。 おやすみなさい。 

深夜ガタンゴトン WEBディレクター  

高橋 朋矢(たかはし ともや)

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