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おじいちゃんへのラブレター

私はお爺ちゃんお婆ちゃんっ子です。
生い立ちにも書いた通り、待ちに待って誕生した孫なので祖父母の甘やかし方は他の人からすると異常だったかもしれません。
今日は祖父へのラブレターを書いてみます。

         お爺ちゃんへ

 お婆ちゃんやお母さんが躾のためと思って私を叱ったときは私の味方になってくれ「大きくなったら分かる。出来るようになる」と言って私を守って?いや甘やかしてくれましたね。いつも私の味方、叱られたらお爺ちゃんの所に逃げたらいいやって小さい時から思ってました。でも逃げ場があったおかげで安心というか何と表現したら良いのかわからない感情があったのを覚えています。

 習い事の帰り時には必ず駄菓子屋さんへ寄り道をして祖母と200円だけという約束を内緒で100円追加してしまうようなお爺ちゃん。お爺ちゃんのお財布には勝手にお金が入ってくるって信じてました。でも、そうじゃなく一生懸命に働いてきたお金だったと気づいたのは小学校高学年でした。

 ピアノを習いたいと言った翌日にはピアノを買いに行き、犬が欲しいといったら学校から帰ってすぐにペットショップに買いに行き、母から「甘やかしすぎです!お義父さん」と言われても気にしないお爺ちゃん。家族の許可を得ず買っちゃうからお婆ちゃんとよく喧嘩してたね。

 ゲームボーイが流行した時、1台を仲良く使わせたという祖母の意見を「わしが買うから、ええんや!」と結局2機購入して夜にお婆ちゃんと喧嘩してたのを知ってるよ。お爺ちゃん。
ゲームの取り合いで兄弟喧嘩することなく感謝してますが、スーパーファミコンの時は1台で2人遊べるから結局は弟と同時対戦で喧嘩してました。
大喧嘩の度にお母さんにゲームを隠され、でも見つけてそっと元の場所に戻してくれるお爺ちゃん。いつも私たちの味方。叱られる時もあったけど、なぜか叱られても納得していました。

私とお爺ちゃんの最高の思い出
 それは結婚式のお色直しへの退場の時にお爺ちゃんと腕を組んで退場した時でした。背筋を伸ばし、すこし緊張した表情のお爺ちゃんは違う人みたいでした。私の結婚相手はお爺ちゃんが探すと小さい時から言ってて、最初は結婚も大反対。結局は誰を連れてきても大反対、両親に説得してもらって結婚できたけど、「わしのせいでこの子は何も家事が出来ん。今頃後悔してる」って主人に言ってたのをコッソリ聞いてたよ。
 私が妊娠して一人で産婦人科に行こうとしたら「心配やからついていく」と言い出し着替えだした時に、過保護すぎでビックリしました。内心、本当についてきてお爺ちゃんの子どもだと周りに思われたらどうしよう!!!とドキドキでお婆ちゃんも連れていこうかなとか、お母さんにお爺ちゃんを連れ出してもらおうかとか本気で考えてました。だから毎回、診察後に報告してごめんね。
無事に出産が終わり、ひ孫を抱っこする姿を見て緊張しながらニコニコしていたお爺ちゃん。私にもあんな表情してくれてたんだなーと心が温かくなりました。

 どんなにお酒や夕飯の途中でも私が眠くて手を引いたらお爺ちゃんの部屋まで「ヨイ。ヨイ。ヨイ。」と言いながら足の甲に私を乗せて歩き、私が寝るまでお爺ちゃんは子守唄を歌ったり、頭をなでなでしたり、足でカニバサミしたりして「こんなだけ!こんだけ好き!」とハグをするいう私の睡眠ルーティンを確立したお爺ちゃん。 
今、お爺ちゃんの作詞作曲の子守唄と「こんだけ、こんだけ好き」はバージョンアップして息子にしてるよ。
 
 お爺ちゃん。ひ孫もひいじいちゃんが大好きで学校の友達に自慢してますよ。お爺ちゃんが認知症になり、ひ孫の名前も思い出せなくなって悲しかったけど亡くなる1週間前にハッキリとした声でひ孫の名前を呼んで「来たかー」ってニコーっと顔をしわくちゃにして笑ったのを私は一生忘れないよ。それは息子も同じで最後に僕の名前を呼んでくれたって自慢してるよ。
 
 自分で棺桶に入れて欲しいBOXを準備していたお爺ちゃん。私が初めてのお給料でプレゼントした定期入れをお葬式の時に見つけました。定期入れをボロボロになるまで使ってくれてありがとう。色褪せた私のプリクラも貼ってあって愛を感じたよ。たぶん喫茶店で定員さんに見せたりしてたんでしょ?

 私はお爺ちゃんに何か恩返しができたのかな?恩返しなんて求めない性格なのはよく知ってます。私に出来ることはお爺ちゃんの事を家族で思い出し語ることかな。
これからも仏様に手を合わせ、お墓参りに行くからね。

いつも家族のことを空から見守ってくれてありがとう。
今までも、これからも大好き!お爺ちゃん
生まれ変わってもお爺ちゃん、お婆ちゃんの孫でいたいです。

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