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がんばらないってどうやるの?⑤~とらなくていい責任をとるため、奮闘する日々と『怒活メソッド』に出会うまで~

こんにちは。がんばりすぎる女、ともです。

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がんばることで、人生くぐり抜けてきた女が、がんばることだけじゃ、もうどうにもならないことに遭遇し、さぁ、肩の力を抜いていこう。がんばりすぎるのはもうやめよう!と思ったのですが…

そもそも、がんばらないってどうやるのかわからん!!ということに気づき、今、肩の力ってどうやって抜くんやろうと、いろいろと試行錯誤しております。

その試行錯誤の1つとして、過去を振り返りながら、どうしてこんなに何でもムリしてがんばるようになったのか、洗い出し中です。

前回までの記事はこちら。


大学3年生の夏に一時帰国~バイトに精を出す~

前回、4年制大学に入って半年のところで、一度夏休みに帰ってきなさいと、帰国要請が親から入ったところまで書きました。

一時帰国の間(3ヶ月間)、少しでも稼ごうとアルバイトに精を出します。驚異の2つかけ持ち!体力ないくせにようやるわ・・・

1つは、ユースホステルでのフロント業務。朝の7時から15時までやったかな?ときどき海外からのお客様が来るということで、英語を使える仕事だと大喜び!!働いている人たちもいい人ばかりで、楽しく働かせてもらいます。

もう一つは個別指導塾の講師。家庭教師経験しかないし、大学受験もしていないのに、妹が通っていた塾だったということと、高校が進学校だったということで、雇ってもらうことができました。

どちらも楽しくてやりがいがあって、すごく満喫していましたが、体力が続かないのと、夜は家族そろって食事がしたいという母親の要望により、ユースホステル一本にしぼります。ここでもまた母の要望に添って行動してるな。。。笑

ホント振り返ってみると、全然自分の意志で動いてないですね。自分で人生の選択をしてきたと思っていたので、書きながらそこそこショックを受けています(笑)他人のためにがんばってきたということを、改めて実感しています。

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アメリカ人彼氏の来日で揺れる心~日本に残るかアメリカに戻るか~

夏休み中、当時付き合っていたアメリカ人彼氏が、海を渡って会いに来ましたが、家族からは影で総ブーイング。家族と彼氏の間に挟まれ、苦しい日々を過ごします

というのも・・・

当時は大好きで見えていませんでしたが、その元彼は、驚くほど自分勝手で、自分で責任を取らないタイプ

●バイトしても環境や人のせいにして、すぐにやめる。
●浮気はする。
●元ジャンキー(マリファナとコカインは常習していたようです)。
●性暴力・モラハラあり。

んー、ええとこなし!!笑

ただ、その彼は、私と付き合い始めて絶対やり遂げられないと思われていた短大を卒業でき、クスリ断ちもでき、何とかアパートの管理人手伝いの仕事を続けることができ、彼にも彼の家族にも感謝をされていたのです。

私が何とかしなきゃ・・・という典型的な思考だったのですよね・・・
おっそろしい。。。

もちろん、全部は親には話していませんでしたが、嗅覚で感じ取っていたんでしょうか・・・ものすごい反対されました。

結局、家族を選び、日本に残ることを決心しますが、その後も国を超えてストーカーまがいの行為は続きました。
以下、ストーカー行為の一部です。

● 真夜中に電話がかかってくる→夜は電話線を抜いて対応
● いきなり知らない人からメールや電話が来て、元彼が話をしたいと言っていると伝えてくる
● SNSで私の周りの友達に危害を加えると脅してくる。ブロックしても新アカウント作ってさらに続けてくる。結果、私は自分のアカウントを消す。
● いきなり花を送りつけてくる。受け取り拒否。
● 和歌山の幼稚園から、元彼が日本で働く後見人?に私を指名してるが・・・と連絡してくる。もちろん拒否。
● 私の友達にぐちぐち言っていろいろと追い込む。(これは後から知りました・・・)

とまぁ、いろいろやってきたわけです。
その嫌がらせと、母親の介護と家事とバイトを両立するわけですから、もう毎日いっぱいいっぱいでした。


それだけでなく、一人暮らしを経験した人ならわかって頂けると思うのですが、一度親の目のないところで暮らす快適さを知ってしまった後に、家族とまた生活するのは正直かなり苦痛・・・。

バイトが唯一の息抜きみたいなところがあったのですが、母親の体調がどんどん悪くなっていったころ、介護に専念できるのが私しかおらず、辞めるように言われ、完全無職・家事&介護オンリーの生活が始まった時は、正直気持ちはどん底でした。


『自分の好きなことをやること=ワガママ』という価値観の完成


この頃には、自分の好きなことをやることは、ワガママであって、やってはいけないことなんだ、という価値観が完成します。

なぜそうなったかというと・・・

● 留学してやっと楽しくなってきたところで、もっと勉強したいと言っても通らなかった。途中で辞めて帰って来ないといけなくなった。

● 『私がアメリカに行ったせいで』お母さんは体調を崩した、と言われ続けた。背中を押したのは母なのに、母が喜ぶと思っていったのに、行ったら早く帰ってこいと言われ、自分の希望は否定された。お姉ちゃんはアメリカで好きなことやっていいよな、と妹に言われ、めっちゃがんばってたのにそこは認めてもらえず、アメリカに行っているという事だけを見られてワガママ言うな、と全否定された気がした。

● バイトも楽しくなって続けたかったし、必要としてもらえて社員になる話すら出ていたのに、母親の体調のせいで辞めざるをえなかった。続けるのはワガママという雰囲気があった

● 平日は介護に明け暮れて、土日だけが唯一解放される時間やったのに、当時付き合っていた日本人の彼氏と出かけるだけで、ブーブー文句言われた。彼氏とか友達と出かけたい=家族にとってはワガママ、という生活が続いた


介護を強いられ、好きなことをやろうとすると文句を言われ、私の心はパンク寸前でした。

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家族もそれぞれ、いっぱいいっぱいだったのはわかっています。むしろ、だから仕方ない、と、自分の感情を押し殺してきたんですよね。それが、潜在意識下に落ちて、悪さをしているんだと言うことを、『怒活メソッド』に出会って初めて知ったんです。


『自分の本当の気持ち、魂の叫び』を無視し続ける日々

母の死後も、私の『自分の本当の気持ちに向き合わない癖』はどんどんひどくなっていきます。

傾向として、

①新たな目標を見つける
②その目標めがけて突っ走る
③目標を達成する
④周りは、それ以上を私に求めてくるが、全力疾走を続けられない私はいっぱいいっぱいになる
⑤つぶれる。逃避する。
⑥別の道を模索する。
①に戻る・・・エンドレスリピート・・・


きっつ!


ちなみに、母の死後の動きも詳しく書こうとしたら、いつまでたっても怒活メソッドについて書けそうにないので、時系列でまとめてみました。

母の死後、家のことをほぼ全部一人で担当する

派遣で企業受付として勤務開始。慣れるまで必死

慣れ始めた頃、業務改善に必死に取り組む

完全に慣れた頃、この仕事に全く先が見えない事に気づく
この頃、今の夫と付き合い始める

英会話講師を目指したいが自信がなく、講師養成講座を受講する事を決意

講師採用に向け、必死に努力
この頃、父親が再婚して家を出る。
好きだけど気や価値観が合わない妹と二人暮らしになり、いろいろと限界に。

英会話講師の試験に合格・採用。講師業に慣れるために必死に取り組む

派遣を辞め、講師一本に。慣れるのにまたまた必死。
この頃、家を出て今の夫と同棲し始める。

慣れる度に業務が追加されていく。
この頃結婚。そして妊娠&流産を経験

何年か後に爆発。
契約だけ残して講師は副業にし、転職するが、合わずに講師に出戻り。

自分のペースで働けるようになる

長男を妊娠&出産。専業主婦に。

初めての育児に必死。

長男が7ヶ月の頃、親子英語サークルを立ち上げ
必死で運営する。レッスンは長男を抱っこひもで抱っこしたまま。
育児以外にできることがあって嬉しかった^^

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慣れてきた頃、週2回で英会話講師復帰
初めての専門学校での指導に悪戦苦闘・・・

双子妊娠。ひどいつわりのため、退職。
夫の実家に、長男と二人で里帰り

義実家での生活に慣れようと必死でがんばっていたら、お腹の張りがひどくなり、安静生活に。
ここで、頼ったり甘えたりせざるを得なくなり、居心地の悪さを感じながらも甘えられることのありがたさに気づく

双子を妊娠8ヶ月で出産。双子はNICUに入院。私は貧血の値が5.5という輸血レベルの低さになり、院内ではしばらく車椅子生活を送るも、鉄剤と食事で何とか回復。

退院後も毎日3時間毎に搾乳しながら、2~3日に1回は片道1時間かけてNICU通い。長男は義実家近くの保育園に入れてもらい、日中は比較的ゆったりすごす。

GCUに移った頃の写真がこれ。保育器からやっと出られて、病院に行けばいつでも抱っこできるようになった時、初めて二人を同時に抱っこさせてもらった時の写真。嬉しかったな・・・^^

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双子が生後2ヶ月(修正0ヶ月)で退院。長男が過剰なストレスにより自家中毒になり、吐きまくる。双子をお世話する私を、悲しそうに見つめながら静かに泣く長男の姿に、心が折れかけるも、友達のアドバイスでなんとか乗り越える。

双子が生後3ヶ月半(修正1ヶ月半)の時、関西に帰る。
完全ワンオペ生活スタート。
9月から長男は幼稚園に(満3歳児として、年少児に混ざって生活)

必死に家事育児に奮闘するも、四六時中子どもたちと一緒だと精神的にも体力的にも危険だと思い、双子を保育園に預ける事を検討する。ダメ元で申請。

まさかのまさかで保育園に通る。急いで起業準備開始

4月、長男は年少児として幼稚園に、双子は0歳児として保育園に入園。起業との両立がスタート。

親子英語サークル運営者兼講師&講師向けコンサルタントとして活動。
必死に取り組む。
ただ、3兄弟が体調を崩しまくり、月の半分も園に行けないことも。精神的にも体力的にも限界を感じるようになる。

義両親の住む新潟に移住を決意。移住に向けて必死に取り組む

無事移住。3ヶ月後、英語講師として活動スタート。
がむしゃらに活動。
レッスン開始後9ヶ月で延べ300組近くの親子に英語を教える。

コロナが広がり始め、英語クラスはほぼ中止し、コンサル業にシフト。
コンサルに集中し、英語クラスはやめる。ものすごい集中力で取り組む。

コンサルをするうちに、自分の感情が抑えられないことに不安を覚えるようになったころ、『怒活メソッド』を紹介してもらう。

ようやく自分の心や魂の叫びと向き合い始める


私は、今学んでいる怒活メソッドに出会うまで、ずーーーーーーーーーーーーーーーーーっとアクセルを踏みっぱなしの日々を過ごしてきました。限界になっても、オーバーヒートしても、ただひたすらにアクセルを踏み抜いてきたんです。

それが、怒活メソッドに出会えたことで、歯を食いしばって必死にこらえてがんばって耐えている、自分の本当の姿に気づくことができました。

やっと、自分自身に対して、がんばったね、もうムリしなくていいんだよ、と声をかけることができるようになってきたのです。


もちろん、長年染みついた癖は、そう簡単にはなくなりません。でも、少しずつ、本当にすこーしずつ、生きやすくなっているのがわかるんです。

そのおかげか、今まではずっと、1年に数回は高熱を出して、強制クールダウンさせられていたんですが、体調を大きく崩すことがなくなりました。

たぶん、がんばりすぎて苦しい人は、私がどうやって楽になってきているのか、ということが気になるのではないかと思います。ですので、次回からは、怒活メソッドと出会って、私自身がどう変わってきたか、ということを書いていきたいと思います。

お読み頂きありがとうございました^^
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とも プロフィール

新潟在住関西人。双子含む男の子3人の母。
塾講師、企業受付を経験した後、大手英会話学校で大人向けの英会話講師として、デビュー。延べ10000人に指導。講師育成サポートにも携わる。


長男出産後、親子英語講師として開業。
主宰の親子英語サークルがキャンセル待ちも発生する人気教室になる。


双子出産後に、講師向けコンサルタントとして活動開始。
講師力UPや講座構成のお手伝いをするうちに、起業コンサルティングや商品設計、広報コンサルのようなこともするようになる。


2019年3月、新潟県に移住。6月には親子英語レッスンを開始し、同年12月までに延べ250組の親子を相手にレッスンを行う。


現在は、英語講師は引退。
『あなたの魂の叫びを、誰かの魂を震わせる商品にする、魂震(こんしん)コンサルティング』を提供する、魂震コンサルタントとして活動中。
必要があればスピリチュアルリーディング能力も使い、見えない世界からのメッセージも伝える。

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