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【人間関係の悩み】相手への不快な感情は自己信頼の揺らぎだった

今回、noteで書いたことは自分の闇深さや弱さ、幼稚性が出ているので怖さと恥ずかしさがあります。しかしこんな自分も受け入れて次の段階に進みたいという思いで残しておこうと思います。


長年苦しんできた身近な人との関係性

長い間、身近な人との関係に悩みがありました。

その人(Aさんとします)と話していると軽んじられて否定され傷がえぐられる感覚になるので一定の距離を取るようにしていました。

一定の距離を取る方法として行ったことは、自分の本音は伝えない、そして心を「無」にすること。

無にするとは、自分の心の中に厚い板を置き、Aさんが板よりも奥深くに踏み込んでこないようにしているイメージです。板よりも先に足を踏み込んで来ようものなら、Aさんを心の中でシャットアウトして何も感じないようにしてきました。

「Aさんが私を傷つけるので話したくない。この方法が最善策だ。」と正当化をしてAさんを排除しているような状態です。

関係性はもちろんのこと自分の生き方も不健全で窮屈でした。どうにか解決したかったのですが、自らメスを入れることはできなかったのです。

なぜなら、また傷つくから。

しかし、尊敬する方から、
自分が大切にしたいことを自分で信じきれないから傷つくのであって、自己信頼があれば傷つかない
という言葉を言われてハッとさせられるました。

Aさんは自己信頼の揺らぎを教えてくれていた

Aさんの言葉の端々に不快感を感じ、嫌な気持ちになっていた私。

私の考えに「考えすぎ」「神経質」と揶揄され、仕事で大切にしている価値観に対しても「理想論」「甘い」と言われ否定される感覚。

そしてAさんの価値観の中に私が苦手とする
勝つことが正義であり、
ジャッジ的な評価が社会の現実であり、
優劣が存在する、
という価値観があるのです。

Aさんの価値観と相容れないと思っていた私ですが、過去をさかのぼると、
評価されるために頑張るしかない、
怠けた人はそれなりの結果になる、
価値を出した人が評価される対象である。
これらは価値観というよりも当たり前の社会の現実。
という感覚が私にもありました。

しかし様々な学びや対人支援をしていく中で、そのままのその人で価値があり、さらには全ての個性が素晴らしいことに何度も気付かされてきました。そのことで自分の価値観が変容し、今までの価値観がいかに(自分も含めた)人を不幸にし、能力を小さくさせてしまうのかを理解していったのです。

だからAさんが自分の価値観が正しくて、私は間違っているという感覚で来られると苛立ちがあったのです。

しかし苛立ちがあるということは、Aさんの価値観をスルーできない自分がいるということ。

価値観が合わない別の存在、とできなかったのです。身近な存在だから大切な価値観として一緒のものをもっていてほしいという願いではなく、あったのは、自己正当化をしていると感じる私の自己信頼の揺らぎでした。

Aさんが持つ優劣、勝ち負け、上下という考え方は昭和、平成の資本主義社会の中には色濃く存在していたと思います。

しかし私は「資本主義社会の勝ち組になっていない」と思っており、そのことに負い目があったのです。

誰もが存在しているだけで価値があり、誰もが素晴らしい個性があり、それらを解放していくと人生の可能性が拡大していく、という考えを自分に都合がいいように社会を解釈し、正当化しているだけなのではないか、という思いが心の奥底に潜んでいたのです。

大切にしている価値観が自己正当化の言い訳なのではないか?という揺らぎ

だからAさんの言動に感情が振り回され、自分の感覚を信じきれず正当化するために必死になっていたのです。

張りつめていた心に針を刺されているような感覚・・・

しかし私が大切にしたい価値観は自己正当化のために握り占めているのではないことに改めて思い至りました。

ダメな人間も、怠けている人間も、劣っている人間も存在しない。全ての命が輝く素晴らしさを持っている。

自分の中にあった揺らぎに気づき、認め、負い目からではなく本当に大切にしている価値観に改めて気付けたことで心の中にあったAさんをシャットアウトする厚い板がスポンジのような柔らかく吸収できるものに変化しました。

Aさんがどんな言動をしても大きく揺さぶられないかもしれないという可能性が見えてきて、「無」になっていた心が溶けて感じることが怖くなくなってきたのです。

「この人が私を傷つける」は私にとって最後の砦だった


Aさんとの関係性が良好ではない要因はいろいろあるのですが、それを一つずつ紐解いてだいぶ改善してきました。しかし、これ以上は距離が縮められないという思いがありました。

理由は「私はこの人と話すと傷つく」から。

この言葉を最後の砦にして、良好になり切らない関係性の言い訳にしていたことにも気付かされました。何度も試行錯誤を重ねて疲れたのも事実。不快をどうにかしたいけ、精神的にきついのでやらない言い訳にしてきたのです。

Aさんとの今後の関係性が改善するのかどうかわかりません。

しかし「無」になって排除するというやり方は辞められそうです

Aさんとの関係で受ける自分の感情に対して「この感情が沸く理由は何か」をちゃんと見たいと思います。Aさんのせいで不快な感情が生まれる、と思っていましたが、それでは自分の人生の選択権をAさんに渡しているようなもの。相手の言動で自分の快・不快を決めるのではなく、自分が快になるようにするための体験を自ら選択していきたいと思います。まだまだ道のりは険しそうですがチャレンジしていきたいと思います。

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