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愛とは想像力。

まだ独身の頃、といってもバツイチになった後の事です。

職場の同僚と仕事終わりにラーメンを食べに行くことになりました。

同僚は、まだ30歳になったくらい。同僚の娘が産まれて半年くらいが過ぎた頃。

娘はどう?パパになった気分はどんな感じ?

そんな会話をしていたと思います。

返答は、

うーん、まだよく分からないんですよ。

でした。

半年以上もたってまだ分からないものなの〜?と当時の私は思っていました。

同僚は、

女の人はお腹の中で育ててるし、一緒にいる時間が長いからか、あっとゆーまにお母さんになっちゃうんですよ。僕はまだ父親になった気がしないです。

と言ってました。

そうゆうものなのか…

今、振り返ると女の人は、母親にならざるを得ないと思うんだけども。

同僚からは、こんな話も出ました。

もし、旦那と子どもが溺れたとしたらどっちを助けますか?

えー、わからん。

当時は、助かる見込みのある方と答えていた気がする…

彼の答えは

娘です。

でした。

その答えは何で?と聞くと、

たぶん嫁だったら娘を助けてほしいと思うんですよ。自分が逆の立場でもそう思うから。仮にもし、娘を助けなかったら何でって自分も言うと思いますし。

わ〜、さっきの父親になった気がしないと言ってた彼じゃないみたい!



こんな件の会話をしていて、ふと2015年に行ったミスチルのライブでの言葉を思い出しました。

ライブ中、ブッタの愛についてのエピソードを桜井さんは話します。

生まれたばかりの我が子が死んでしまったが、
それをどうしても受け入れられない母親。
もはや腐乱しかけている我が子を抱いたまま、
ブッダのもとを訪ね、こう懇願します。
 
「ブッダ様、この子をどうか生き返らせてください」
 
するとブッダはこう答えます。
 
「わかりました。では、街へ行って、ケシの実をもらってきてください。
 ただし、そのケシの実は、親も子ども兄弟も、
 誰一人死人が出ていない家からもらってきてください」
 
母親は一目散に街へ向かい、ケシの実を探しました。
 
・・・しかし、一向に「死人が出ていない家」などはなく、
母親は散々走り回り、疲れ果ててしまいます。
 
そして、その疲れ果てた体ながらに悟ったのです。
「そうか。いずれ人は死んでしまうものなのだ。
 私の子だけではく、それはどこにでも起こることなのだ」
 
そのことに気づいた母親はブッダにそれを話して聞かせます。
 
するとブッダは、
「生きている子は生きているまま愛せばいい。
 死んでしまった子は死んだまま愛せばいい」
こう母親に言い聞かせたのでした。


これを読んで桜井さんは、

愛とは想像力

なんじゃないかと思ったそうです。


話を戻しますと、父親になった実感のないと言っていた同僚の色んな話を聞いて、きちんと相手の思いを想像して行動してる、つまり、これは愛。きちんと父性愛があるじゃないか〜と思った訳です。

お酒も飲んでないのに、仕事後のテンションで熱くこの内容を話して、同僚にまで興奮を伝染させると言う…

いいお酒が飲めそうだったけど、可愛い娘がいるからね、ラーメンすすって帰りました。


あれから5年くらいたったのかな。

彼はもう立派なニ児の父。

父性って何だっけ?なんて言わないくらい仕事を頑張ってるしっかりパパです。

うちの旦那はどうなんだろう?

今度聞いてみようかな。

そして、私も。

今なら娘と旦那が溺れていたらどっちを助ける?という質問にきちんと答えられそうな気がします。

あの時より成長したかな。


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