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生成的対話って?

44年前の3月・・これって生成的対話かな・・
この問いを考えた時に、思い浮かぶ私の経験なんです。
ちょっと古いですね、昔々ってほどじゃないですが、
40年以上前の話ですが・・・
私が大学1年生の3月、20歳の時のことでした。
大学の英語研究部(ESS)のメンバーであり、その中の当時、ドラマセクションという英語劇をするグループに所属していました。ドラセクの4年生を送り出す、合宿が神戸の摩耶山観光ホテルで開催されました。その年、4年生の男性2人、女性4人、特に女性陣はESSの中でのエレガントで人気のある人たちばかりでした。一泊二日で行う合宿も、飲み会がひと段落した後から、ストーブを囲みながら4年生の人が中心に語らっていました。1年生は、私を含めて7名いたのですが、私以外は飲み会が終わったら、自分たちの部屋に行きました。私は、4年生に先輩を話すラストチャンスだし、その話が面白いので、一年生は私一人だけでしたが、ずっとストーブの前にいて、話を聞いて、時になんか発言していました。遅くなっていくと、眠くなった先輩が一人ずつ抜けていきます。最後、あっちゃんさん(クラブ1のチャーミングと言われていた女性、ちょっと憧れていた人です)と私の二人になりました。時間は深夜を超えて、1時にはなっていなかったと思います。あっちゃんさんは、「なんか今日は寝たくないのね」と言われて、「私もそうなんです、お話ししましょう」と二人で話をしました。結局、朝まで、ストーブの前で、憧れのあっちゃんさんと語り合ったのです。何を話したのか、なぜそんなにながく話がつながったのか、わかりませんでした。ただ、4時間ぐらいずっと語り合っていました。言葉があり、それをきいて素直に反応し、私も随分といろんなことを語ったような記憶があります。そして、それはゆるゆるだけど、つながっていって、きっと、どうなるかは、あっちゃんさんも私も知らないで、言葉を紡ぎながらつながっていたんです。朝を迎えた時、私は憧れの人と語り合った高揚感よりももっと静かな豊さに満ちていたと思います。あっちゃんさんもその時間を喜び、そして幸せに感じてもらえたような記憶があります。これが生成的かどうかはわからないのですが、ある時、ある人と言葉でつながって幸せに感じることができた経験は、語り合うことが大切なことを与えてくると思えるのです。あっちゃんさんとその後、40年を超えてお会いしたことはありませんが、私の思い出の中で焦ることなく、語らう力を教えてくれるエピソードとして残っています。私には生成的対話であったように思えるのですが。

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