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お計らい。

お祝いごとが色々重なって、4人分のささやかなプレゼントを買った。

何にしよう、から始まって、この色がいいかな?これは持って帰ってもらう時かさばるかな?とか、それぞれの顔を思い浮かべながらああでもないこうでもないと悩むのが楽しい。それぞれに対してしっくり来るものに出会えて、喜んでくれたらいいなーとうきうきしながら、プレゼントたちが詰まった大きな紙袋を抱えて帰った。

家に帰って、それぞれのお店でもらったレシートを見ながらざっくり支出を計算。予算より少しはみ出たけど、まぁいいや、どれもベストだと思うもの買えたしなと、特段気にしなかった。
ただ何だか少し寂しくなって、自分の気持ちを探ってみたら、私は誰かに喜んでもらうことにはぱっとお金を使えるのに、自分自身にはずっと出し惜しみをして、欲しいものをいつも我慢しているのが寂しいと行き当たった。(ミュージカルのチケット代は例外だけど!)
例えば今回でいうと、人へのプレゼントには数千円のものを躊躇なく買えるのに、自分自身には700円のハンドクリームも買わなかった。この香り好きだけど、もっと安くて量のあるやつでいいか、とか思って。大好きなカフェ巡りも、500円のコーヒーだってチリツモだよなぁ…と、最近は少し控えめにしている。

プレゼントはあくまで一例で、私は知らず知らずのうちに自分自身をないがしろにしていることが多いかもしれない。特に、夏に転職してからこの方、右も左もわからないまま仕事をこなしている。そんな中でも誰かに困りごとを相談されるたび、どうにかそれを解消できないかと、パニックになりながらひとつひとつ手探りで道を探す。解決してありがとうと言ってもらっても、嬉しさよりも疲労感の方が強くて、すり減っていく。週に何度も「You're the best! (あなたって最高!)」と言ってもらえていて、人の役には立てているはずなのに。誰かに対してイライラしたり仕事を投げ出したくなったり、周りに仕事のことを愚痴ったりして、働けば働くほど、そんな自分を嫌いになっていく気がする。
その自分を労るためのお金を「勿体ない」と我慢して、欲しいとかやりたいとかよりも、何かをする基準はあくまで「安いかどうか」で。無駄遣いするよりいいのかも知れないけど、やっぱりこれじゃストレスを溜める一方だ。もう少し、自分にも何かを与えてもいいのかも。

そう思っていた矢先に、たまたま有名なアメリカ人ジャズトランぺッターのドキュメンタリー映画が公開されることを知った。

普段、サブスクでも映画はあんまり観ない。まして映画館でなんて、最後に行ったのがいつか覚えてないくらいだ。
しかも、私はこのトランぺッターさんのことを知らない。
それでも、フライヤーを見て直感的に「あ、行きたい」と思った。

調べてみたら、上映する映画館は数えるほど。ただラッキーなことに、家からそう遠くない街の映画館でもかけてくれるのと、調べていた日の翌日はその映画館のサービスデーで、チケットが普段より安くなるとのことだった。
これは!と思って、そのサービスデーにいそいそ観に行った。古き良き雰囲気を醸し出すその単館映画館、まさかのチケットは現金のみ。キャッシュレスに慣れ過ぎて手持ちを確認しないまま行ったから、ヒヤヒヤしながらお財布を確認したら、なんとぴったりの金額が入っていた。ここでもラッキー。文字どおりすっからかんになったお財布へチケットを大事にしまって、真っ暗な中、良い音に包まれながら、大きなスクリーンに映し出される彼の生きざまに見入った。久しぶりに、雑念が湧かず何かに集中できた。

映画を観てスッキリした気持ちで帰路についてから、何故だか頭の中に色んな知りたいことが溢れてきて(ちなみにジャズとは全く関係ないことばっかり)、ずっとスマホで調べものをしていた。
その中で偶然、海外在住のとある方のnoteを目にした。
年齢ややってきたことに共通点がたくさんあって、私のやってみたいことを実現されていて、わあすごいな、いいなあ、と思いながらいくつかの投稿を読んでいたら、もうすぐ日本に一時帰国される予定で、交流会を開催されるとのこと。その日時は、ちょうど前後に詰まった予定の合間で、会場も次の予定にほど近い。申込日の期限は2日後に迫っていた。
普段人見知りで、交流会とかどうしていいか分からないから苦手な方なのに、これも直感的に「参加したい、お会いしてみたい」と思った。そしてこの日時と場所だ。
2日連続のこれは!を感じて、えいやっと参加申し込みをした。ご本人から温かいメッセージつきでお返事をいただいて、気持ちがふわっと浮足だった。来週が楽しみだ。

映画を観に行ったこと、この方の投稿を見つけて交流会に申し込んだこと。お金を気にする普段の私なら、どっちもしなかったと思う。でも行動してみたら、なんというか、かちっとハマった感じがした。「そうそう、これが私だった」「こうやって好奇心のままに動くのが私らしい」ってしっくり来たというか、帰ってきたような安心感というか。
翌日のサービスデーにチケット代ぴったりの所持金、ちょうど良い予定日時と場所に締め切り直前の申し込み。ラッキーもたくさん起きた。
敬虔な仏教徒だった祖母がよく、「お釈迦様のお計らい」という言葉を口にしていた。主には、もっと悪い状況になる可能性があった中でもそうならなかった時なんかに使ってたけど、ツイてた話をした時にもよく言われた。「それはお釈迦様のお計らいだね」と。
私自身は全然仏教徒じゃない。でもこういう時は祖母の「お計らい」という言葉を思い出す。お釈迦様か神様か分からないけど、そういう存在が「こっちで合ってるよ」「守ってるから大丈夫だよ」と教えてくれる、サインみたいなものだと思っている。いきなりスピリチュアルな話に突入しちゃったけど、何となくそう感じるのだ。昔から日本には八百万の神様がいるっていうんだし、不思議じゃないよね。

いきなり大金をどーんとはたくような「やりたいこと」は叶えられないとしても、こういうちょっと心が触れること、もっと大切にしたい。理性でねじ伏せてしまう前に、動けるときは素直に動きたい。


ガチガチだった心と身体が少しほぐれた今の状態をキープできるように、なんならもっとゆるめられるように、またアンテナを立てておこう。



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