上記の記事の続きです。下記の記事と論文を引用しながら、考察していきたいと思います。(私は芸術、演劇は専門としておらず、なるべく資料と論文に忠実に記事を書きましたが、見解が誤っている場合はご指摘ください。)
ルーマニアにおける演劇は、独裁政権に対する批判的な意見や不満を、代弁してくれるものとして、国民達に受け入れられていたようです。また、「独裁に反対する活動で大きな責任を負っていた」ため、職業演劇人の評価も高かったと、キリアック氏は述べています。
キリアック氏は演じる側でしたが、一般市民であるホストファミリー達も、革命中に演劇を心の支えだと感じていたと述べていました。
この記事を書くにあたり、日本では戦時中演劇がどのように扱われていたのかを調べてみました。
つまり、「戦争に向けて国民の思想を統制するため」という本音を隠すべく、建前としては「演劇文化の向上」をうたっていたということですね。
この論文には、移動演劇を通して農民たちの演劇に対する評価が「だらしのない連中」から「立派な社会人」に変化したと書いてあります。(pp.78 l8-13) 国策として演劇を通して戦争への士気を高めようとすると同時に、農民にとっては、初めて一流の演劇に触れるきっかけとなったことが分かります。
戦時中に国策劇以外で、「旧来の作品が人気を呼んだ」とあるように、笑うことができる演劇も上演されていたことを考えると、国民の娯楽的な要素もあったように考えます。観劇中のひと時だけ、戦争のことを忘れることができたのではないでしょうか?
国民性、それぞれの国における演劇の位置づけ、戦いの目的等、ルーマニアと日本を単純に比較することは難しいと考えます。ただ、有事の際に芸術がどのような役割を担ってきたのか?を考える一つのきっかけとして、この記事を読んでいただけると幸いです。