喧嘩ばっかりしてた父ちゃんが死んだ日
「アキラ...」電話の向こうの母のただならない声にドキッとした。
「仕事から帰ったら、お父さん死んでるねん」
「えー!」でっかい声で叫んだ。
昨年の夏の昼過ぎの出来事だ。
父は肺がんで余命一年と宣告され、半年が過ぎていたのだ。
母は「どうしよう」とかなり動揺している様子だった。
「どうしようって、救急車呼ばなあかんやん、早く呼んで」と焦った。
母は「仕事から戻ると、お父さんが死んでいる」としか言わなかったのだ。というか、混乱して詳しい状況を説明できる精神状態でなかったのだろう。
「警察を呼ばないといけないのだろうか」と一瞬頭をよぎったが、母の説明だけではではどうも、私には死んでる状態がイメージできず、まだ息を吹き返す可能性がある状態なのだと信じていた。
「とにかく救急車!」と電話口の母に告げ、リュックサックを背負い必死に、実家まで5分ほどの距離をチャリンコで走った。途中景色は真っ白で、実家への道しか見えていなかった。
ガチャーン
途中で、チェーンが外れた。
「なんでこんな時に...」
チェーンが外れた自転車は致命的だ。
それでも私は「お願いチャリンコ、動いて」とペダルをこいでも空回りするだけで「歩かなあかんかな」絶望しかけたときに、「ガリッ」と鈍い音がして自転車が動いた。
「奇跡や!外れたチェーンが戻った!」
またチャリンコをこぎだした。
その間「父ちゃんが死ぬわけないやん、母の勘違いや」という気持ちと、母は正しくて「ほんまに死んだんかな?苦しんで死んだんかな?誰にも看取られず、独りで死んだなんて嫌や」と頭の中がごちゃごちゃだった。
実家に着いたら救急車が家の前に止まっていた。
「よかった」
「運ばれてないということは、死んでないということや」と解釈し、急いで家に入ると、父ちゃんが寝ているベッドの周りに母と救急隊の人が2、3人いた。
「生きてる?!」半べそで、でっかい声で叫んだ。
母が「死んでるわ」と言い放った。
「嘘や絶対生きてるわ」と父ちゃんの体を触ったら、冷たく硬くなっていた。「ウソや父ちゃんが死ぬわけない、父ちゃん、父ちゃん!」と呼びながら、何度も身体を力一杯揺らしたり、たたいた。
全く反応がなかった。
「アキラ、お父さん冷たく硬くなってるやろ、もう落ち着きなさい」と母は首を左右に振りながら私をさとした。
それでも「ウソや」と言う私に、救急隊の1人が「寝ているように穏やかな顔をされてますし、もがいた形跡もないから、眠るように亡くなったようです。苦しんではないようです」と私を落ち着かせるように説明した。
苦しんではない。少し救われた。
やっぱりいつものように横向きになって眠るように死んでいた。父ちゃんは長年脂肪肝で大きなお腹をしていたので、真上を向いて寝ることが出来なかったのだ。
「ほんまに死んだんや。誰にも看取られず、独りで...」リビングの椅子に座って口を空け、フワッとしていた。
警察の人達がやってきてから1時間ほど過ぎて、現実に戻らなくてはいけなかった。仕事だ。
「ごめん、これから仕事行かなあかんねん。お客さんに迷惑かけられへんから頑張って仕事行くわ」と、非情にも実家を去った。
私は、地下鉄で仕事に向かった。改札を通るとき、いつもリュックの右側にぶら下げていた定期券がなくなっていることに気づいた。ビヨーンと伸びるリール付きのものだ。
そう、自転車のチェーンが外れたと思っていたのは、リールが伸びて定期券がタイヤにからまったせいだったのだ。勢いで、定期券とまあまあいいイヤホンを入れた小さな巾着も引きちぎられていた。
「よく考えてみろ、外れたチェーンが勝手に戻るわけがない」
「神さまが奇跡を起こしてくれただなんて、都合のよいときだけ神様を引っ張り出してくるもんじゃないんだよ…。私のうんこタレ」
ほんとうに奇跡があるなら父ちゃんを生き返らせてくれるだろう...。
ヘタレで情けない私は、仕事を終えてまたチャリンコでさっきと同じ道を通り実家へ向かった。チェーンが外れたと勘違いして焦った辺りをくまなく探すと、道沿いにある車止めのポールの上に、私の定期券と巾着袋が親切に置かれていた。
いい人もいるもんだ。
早速中身を確認すると、イヤホンはきれいになくなっていた。前言撤回。
定期券は無事だった。記名式だったので、どうにもしようがなかったのだろう。
不謹慎ながら、「イヤホン悔しい...」その気持ちを引きずりながら、実家に着いた。
父ちゃんは、いなかった。奇跡は起きない。
警察の人に、横向きに寝たまま担架に乗せられて、司法解剖のため警察署へ運ばれたらしい。あの身体だ、さぞ重かっただろう。
死因は急性心筋梗塞。
母が朝8時に仕事に出るときはベッドで機嫌よく寝ていたらしいが、その1時間後の9時にそっと息を引き取ったらしい。母が発見したのは5時間後だった。
家族全員、癌で亡くなることを覚悟していた。誰も口にはしなかったが「痩せ細って弱りきった姿を見ないといけないのか」と胸が痛かったに違いない。本人は想像を絶する苦しみだったろう。
特に余命宣告されてからの気持ちを思うと「よく頑張ったな、辛かったやろうな」と胸が痛む。
本人は死にたくなかっただろうが、苦しまずにポックリと死ねたのは救いだ。なぐさめるように周りもそういってくれる。
頑固で変に心配性な父ちゃんとは意見が合わずよく衝突した。私は親不孝だったと後悔している。
実家に行くたび、にっこり笑った父ちゃんの遺影をみて、もう苦しんでないことを確信している。
私に怒っていないことも祈る。
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