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メキシコ系移民の文化 in Los Angeles チカーノ、パチューコ

チャイナタウンで朝食をとって
(昨日のパン詰め合わせセット)⇩

たまたま、お友達が近くにいるとのことで、
ちょっと会おうかー?

お昼何食べたい?

私、ラテン服しか持ってないし、子供好き嫌い多いから
ハンバーガーとかタコスとか軽いものがいいなー!

完璧!

じゃあ、オルベラストリートに行こう!
という話になった。

ペルー人と、プエルトリコ人だったかな?の両親を持つ
Richiさんと会う。



OLVERA STREET

ごめんなさいはしゃぎすぎて、
写真撮るの忘れてた。。


ユニオンステーションの前。

Richiとお散歩。

私Richiがスペイン語喋れるって知らなかったんだよね。
ずっと英語でコミュニケーションとってて、
再会して初めに、私英語忘れちゃったんだよね〜。

って話をしてると、知らないうちに
スペイン語に変わってた。。

知らなかったよ。。
バンドの曲そういえばスペイン語だよね?

なんて話してたんだけど、
中心メンバーの兄弟はさ、
スペイン語喋るからね〜。と。

でもRichiはあんま得意でないと言ってた。
うっそーん!私より流暢じゃん!

えええ?そうでもないよ。

って。

親は喋るけど、自分は生粋のLAっ子だからと。
なんか恥ずかしいんだろうな、、

スペイン語。

そういうやりとりの中に、
ラテンアメリカへの愛と、
アメリカ人っていうプライドが
垣間見れて、
この土地でラテン系として
生きることの大変さも少し感じた。

このオルベラストリートの入り口のタコス屋さんに
よく両親に連れてこられたんだ!なんて話をしてた。

ここは作られたメキシコ。
として有名な街。

観光客に向けたもの。
それっぽいお土産物屋産が並んで、
みんなを喜ばせる。

いわば文化の盗用として問題視されることも多い。

実際のラテン系アメリカ人はここには住んでいない。
もっと郊外の貧しい街に多くは住んでいる。

ここにリアルラテン系アメリカ人の暮らしはない。
とはいえ、象徴としてこの場所には意味があると思う。

そのうち書くけど、治安最悪と言われるイングルウッドのあたりを通った時
ラティーノとアフリカーノだらけだった。

バスの雰囲気はめっちゃ南米っぽくて、
ほっこりした。

では、チャイナタウンの記事で簡単に説明した
ロサンゼルス発祥について。


El Pueblo de Los Angeles

オルベラストリートはこの歴史地区にある
メキシコを感じられる通り。

エル・プエブロ・デ・ロス・アンヘレスと言われる
歴史的な地区は、私たちが前日スラーピーを買いに行くとき
メヒコーって騒いでたPLAZA(上の写真)からオルベラストリートの一帯を指す。

1781年にメキシコからスペイン人、アフリカ系移民、メキシコのインディヘナの44家族がカリフォルニアへ移り住んだ。

後1815年に初めの移住地が水害にあったため、この地に街を築く。
年平均25人人口は増加していき、1850年、アメリカの一部となったときにロサンゼルス市となった。

1900年代に入ると人口は1万人を超え、大きな都市と成長していた。
1970年代にはこの土地に暮らしていた先住民族の遺骨が発見されている。

ネイティブアメリカンの時代から、スペインの植民地へ、そしてメキシコの領土からアメリカへ。

ロサンゼルス最古の街として保存対象となっている。


Museum of Social Justice

Richiがこのムゼオがすごくいいんだって連れてきてくれたんだけど、
閉まってたの。⇩⇩

コロナ禍で閉館してたみたい。

見れなかった。

仕方ないので?、ロサンゼルスにおけるメキシコ系アメリカ人について少し。。書きたい。



Mexican americans en Los Angeles

ロサンゼルスの32%を占めるというメキシコ系アメリカ人。
LAが急成長する1915年から1960年にかけて多くのメキシコ人がこの地にやってきたという。
1970年には推定815000人、チカーノとしてアイデンティティを確立した時期もあった。

以降は中央アメリカの各国からも移民が押し寄せ、東部と南部に定住した。
サウスロサンゼルスは2000年代にはアフロ系やアジア系よりもラテン系人口が多くなった。
ロサンゼルスはメキシコ国外最大のメキシコ人の人口を持つ街であり、スペインやラテンアメリカ以外で最大のスペイン語話者を持つ街でもある。

あかん、私の街。スパングリッシュ、Spanglishが通じる。。

1900年代は、アメリカ政府がメキシコ政府に対し、移民を促していた。
しかし、第一次世界大戦の後、国はナショナリズムに傾き、アメリカ様式の生活に同化させる流れがあった。

中国人や日本人と比較して、見た目がアングロに近いということから、メキシコ人への同化政策はより厳しいものだったという。
最終的に標的はメキシコ人女性となった。女性をアメリカの生活様式に訓練することで、家庭からアメリカナイズしていこうというものである。
食事はトルティージャからパンへ。。。
家事労働においてアメリカナイズを図ったのである。
しかし、家政婦として女性が収益性の高い労働を得ることが反感を買い、学校教育に焦点は置かれた。アメリカ的理想の押し付けと、二流の市民権。。。

1930年代には、政府からメキシコ系アメリカ人へ、多くの抑圧があった。メキシコへ送還される人は50万人に。英語を話さなくてはいけなくなった。


Pachuco… Zoot Suits Riotという名のリンチ事件

一方でメキシコ人への職業差別や、人種差別的プロパガンダによりアングロアメリカンとの間に大きな壁が生まれるようになる。

この頃、現れたのがPachucoパチューコ。アフロアメリカンのスタイルに影響を受けたメヒカーノたちの間で流行り出したZOOT SUITSスタイルで、アメリカ社会への同化に反発するカウンターカルチャーであった。
ジャズやスイングを好み独特の方言で話す。ロサンゼルスのパチューコスはカリではなくアフリカ系アメリカ人の話すJiveを使っていたと言われている。
パチューカ、女性は中性的な服装を好み、非アメリカ的だと非難を受けていた。パチューカめっちゃかっこいい!

スペイン語の話者が減ったこと、そこにアフリカ系アメリカ人の文化と交差が起こり、JIVEを話し、ズートスーツを纏い、ジャズとマリファナを嗜む、新たな文化として形成されていった。

ズートスーツはロサンゼルスではメキシコ系の他に、アフリカ系アメリカ人、日系アメリカ人、イタリア系アメリカ人、ユダヤ系アメリカ人が着ていたとされる。

手に十字架のタトゥーを入れることがパチューコの間では流行っていたが、アリゾナのネイティブアメリカンのヨエメパチューコの間ではじまったらしい。



第二次世界大戦中に、生地をふんだんに使ったスーツを着ていることが
反社会的として、軍人たちから暴力を受けた。大多数はメキシコ系であったが、アフリカ系やアジア系が暴力の対象になることもあったという。

ズートスーツライオットなんて言葉があるけど、
それは反逆精神の暴動なんかじゃない。
自由を探すパチューコを警察や軍隊が捕まえて、殴り、身ぐるみをはいで
服を燃やすというただの暴力である。


暴徒化した数千人の兵士、水兵、民間人が見かけたすべのてズートスーツを
攻撃した。数日間に渡りこの攻撃は続いた。
暴動じゃない。リンチだ。


以降、パチューコはズートスーツを脱ぎ、髪を剃り、タンクトップにワークパンツ、警察や軍隊の暴力の標的になったことに学び、軍隊スタイルを取り入れた。野球やボクシングという娯楽を好むようになり、車の整備をする。
ローライダーやギャングスタイルのベースが出来上がったと言われている。




Chicano

アメリカへの同化のプレッシャー続く中、そこに反感を感じる人たちがパチューコの影響を受けた新しいカウンターカルチャー、Chicanoチカーノとして、1960年代から70年代にそのアイデンティティを形成していく。

政治的エンパワーメント、民族連帯、先住民族の誇りというもの。そして、ブラックパワー運動との連帯。

しかし80年代にかけて、急速に勢いは弱まり、政治から離れていく。チカーノからヒスパニックへ。草の根レベルでは、フェミニスト、LGBTQ、反アパルトヘイトなどの運動に参加している。特にチカーナ、女性活動家は声を上げ続け、チカーノの家父長制を植民時代の負の遺産として批判している。男性を批判するのではなく、平等なパートナーとして。ラテン系女性マジで好きです。尊敬する。

2000年代、チカーノのアイデンティティはさらに近代化され、民族の誇り、先住民族の意識、文化的表現、LGBTQ、フェミニズム、移民保護など、国境を越えた繋がりとして、メキシコという枠を超え広がっている。

このチカーノという考え方は、メキシコという国より
先住民族としてのアイデンティティが強いと思う。
ネイティブアメリカンと同じ民族ということ。



CHEECH & CHONG

そういえばさ、CHEECH & CHONGのチーチってさ
すごいメヒコなんだよね。。
アメリカ人なんだけど、ご両親がメキシコ人らしくて。。
この笑いのセンスとか、すごいラテンなの。

ラテン的なイケイケ感を保ちながらも
映画はさ、アメリカなんだよ。
アメリカでまとまってる感じ。
音楽的にも、カルチャー的にも。

チカーノたちがどう思うのか知らないけど、
というのは少し馬鹿にした感じに見えるのか、
それとも逆手にとった感じなのか、どう映ってるのか知らない。

私はすごくこのユーモアセンスが好き。
80年代チカーノ文化がヒスパニックとしてアメリカに同化しようと弱まっていった時代にチーチはこれをやってたんだよね。。
彼はアクティビスタでもあるんだけど、
どういう感じだったんだろう。。
とすごく興味があるの。
チカーノとCHEECHについて詳しい方おられましたら
教えてください!

マリファナ、ヒッピー映画として紹介されるけど
私はもっとアメリカの人種的、思想的文化の裏付けを感じる。
いや、堅苦しいことじゃなくて、意図としてじゃなくて、
背景がよくわかると思うのね。

チカーノの流れ、自然とくんでるというか、
もっと、身近にいや、コメディだから
さらにぶっ飛んじゃうんだけど、爆笑
本人がチカーノだって言ってるから表現されてて当たり前で、
うまくその辺のを演出してるような気がしないこともない。


チーチ&チョンのチーチが語るチカーノ。

チカーノはメヒカーノじゃないんだね。
アメリカ人。

Richiもそんな感じなんだろうな。
私のようなラテンアメリカに染まってる人とは
別のアイデンティティを持ってる。

ラテン人としては私のようにラテン国で七年過ごしてた人に引けを感じる。
そしてアメリカ人であることが誇らしい。
だけどラテン系の冠の下に生かされてる=チカーノ。
メキシコ以外の人も同じかなー。というかもっと肩身が狭かっただろう。

結局ラテン系アメリカ人ということ。
そういうキョーレツなアイデンティティ。

っていう空気が伝わってくる。
パラグアイに暮らす日系の子たちを思い出す。

私は日本人だけど、スペイン語を話して、
メスティソみたいな顔してる。
長らく日本とは切り離されてたし。。

アイデンティティってなんなんだろう。。

長くなっちゃったから、今日はこの辺で!
まだオルベラストリート入ったとこなのに。。


続く

tomiko

https://note.com/tomikotakino/n/n0625ca1adece

追記:日本語でチカーノと調べたら、ギャングスタしか出てこないね。
もちろん、生きていけない状況で育って、ドラッグ売買やよくない仕事に手を染めるというのは移民たちには当たり前の現実だと思う。貧困国のスラムだってそうだから。
ただそもそも論で言うと、チカーノはアクティビスタであると思う。
パチューコはカウンターカルチャーで、チカーノってのはそこからさらに進展したムーブメントで、次回のチカーノアートに大きな影響を与えたメキシコ人アクティビスタのアートについての記事も読んでもらえたら嬉しい。

カウンターカルチャーであったパチューコはパワーを持ってなかったんだよね。ズートスーツライオットの記憶。
そこでチカーノはパワーを持つことにもっとこだわったと思う。
ムーブメントとしては1960年代から1970年代。
その後政治から離れていく。
その流れでチーチがぶっ飛んだ脱力系スターになるのがすごく興味深いということ。

この記事で話しているのは、日本で有名なチカーノではなく、
闇社会ではなく、ムーブメントとしてのもの。

上に貼り付けた写真のグラフィックにブランパワーとあるけど、
公民権を得るためのメキシコ系アメリカ人のムーブメントであり、そこにアートや音楽もあった。

そしてメキシコという本国自体がとても混乱している。
彼らはメキシコに帰りたくないと思ってた。
メキシコに帰ってもそこに人権があるとは思えない。
そしてアメリカの帝国主義にも翻弄されている。
南北アメリカを通じて。

同化への圧力への反発。
ヒスパニックというスペインルーツだけでなく、
先住民族やアフリカ、さらにはアジアのルーツへの誇り。

ベトナム戦争ではメキシコ系アメリカ人の死亡率が高かった。
そういう背景もあり、反戦運動も主導した。
目的はエンパワーメントと公民権。

マッチョなギャングスタもかっこいいかもしれんけど、
こういう部分も知ってもらえたらな。。

特にかっこいいのはチカーナ。
マッチョなギャングとは全く別の闘い。

そもそも論でなぜ貧困と犯罪に晒されるのか?
ということ。
そこに拳を上げたのがチカーノの始まり。

ちなみに私はあんまり闇社会とか興味ない。
私は多分アクティビスタだと思う。
普通の日本人より海外でよく
身分証提示を求められる。

見た目からして怪しい。
海外のデモにも参加する。

でも闇社会なんて好きじゃない。
マリファナに関しても以前書いたけど。

興味がない。
むしろ権力が取引してるクソビジネスと思ってる。
闇社会なんて嫌い。

チカーノがかっこいいのはアウトサイダーだからじゃない。
闘ってるから。
マフィアはマジ怖いから嫌だ。
これは私の意見。
ギャングスタとしてのチカーノのことは調べる気はない。

マジで暴力はいらない。
暴力から解放されたいと願うのは
ラテンアメリカに共通しているんじゃないかな?
その大元にあるのは
アメリカ帝国主義という考え方でもあるし、
先進国のツケを払わされていると感じることも多い。

地球を一周して、バイオレンスに憧れるのはやめてほしい。
と心底思う。


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