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世間知らずは暴徒と化す

真面目で素直な人間が、社会で恥をかく事は、多くの方が周知していると思う。

学生時代の愚直さは、社会に出れば毒にもなる。

僕は34歳で初めて社会に出た世間知らずだ。

これは、大人の世界で、全力で人にぶつかって行ってしまった大人が書いた文だ。

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社会人になるにあたり学生→社会人という経路が多いと思う。

しかし、僕は違った。
学生→自営業→社会人という、本来の経路の中に家業という自由奔放で自堕落な生活をいれてしまった。

自営業という、味があるようでないような肉の塊を入れてしまったハンバーガーを想像してもらえれば分かりやすい。僕の自営業歴は、中身があるようでない肉の塊なのだ。

学生と社会人のバンズに挟まれたこの歪なハンバーガーは、決して綺麗な形はしていないし、本当に食事として頂けるものかは、僕は知らない。

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僕は農業を3代目で継ぐはずの跡取り息子だった。

生まれた瞬間から家業を継ぐ事が半ば強制に決まっており、生活の一部として家業が取り込まれていた。少なくはあるが、何十年も会社を支えてくれた労働者の方々もいて、僕は、その人達と遊ぶ事が子供の頃から好きだった。

そんな思い出と、人がいなくなっていくボロボロの工場への感情に浸りながら、不器用な僕の傷だらけの就活2年が始まった。

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不景気やコロナの影響と僕自身の家業への興味の無さが仇となり、2023年廃業になった。

なんとなく頑張っていれば、なんとかなると思っていたけど、どうにもならないほど、大きなエネルギーにより、3代目になるはずの僕は、職を失った。

生まれた瞬間から将来が決まっていた事を認められずに、自堕落に過ごした34年間は、漫画の主人公的な素直さと、行き場のない情熱を育んだ。

ストレートを投げる事しか出来ない投手でありながら、「社会」という本番の試合のマウンドに立ってしまった野球選手だと思ってもらえれば、その滑稽さが分かりやすい。全くの素人が、自己流で考えた練習法で悩んでいる中、試合の号令が掛かってしまったのだ。

ここからは地獄の始まりだった。

自営業で培った技術やマナーは、社会では違和感となり、真っ直ぐしか投げるしか能のない僕は、肩を痛めながら社会と闘う事への厳しさを知った。

そして、時間経過の割に、対応できない自分の不甲斐なさに打ちのめされ、逃げる様に仕事を辞めた。

60%で続ける事が必要な試合に、初手100%の力配分で挑んでしまうので、体力も気力も残ってるはずはなかった。その後、暖かく見守ってくれる奥さんを横目に、否定と肯定を繰り返す日々が始まり、34年間育んできた時間の断捨離が始まった。

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自分のペースで働く自営業の働きは、協働する事への弊害を生み、必要のない労働を行う、要領の悪い社会人を作り上げてしまった。

時間を掛けて、ペースを落としたり、脱力する事を覚えても、周りとのモチベーションの温度差に窮屈さを感じることも多々あった。

自堕落とはいえ、一回は本気で会社を支えようと行動していたので、どうやったら生産性を上げられるか?どうやったら利益が生まれやすい環境が出来るか?など、経営者や労働者の目線で考えていた人間になっていた僕にとって、言われた事を淡々とこなす事への物足りなさは、常にあった。

しかし、実際に人を動かす能力があるわけではないので、机上の空論を頭で重ねるばかり。労働者としては、どこでも1番下の立場だったので、そこのギャップも認めるのに時間は掛かる。

分かりやすく言えば、ボンクラ跡継ぎだった。

それを自分で認めるには時間は必要だったし、未だに諦めきれていない部分もある。

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僕は現在、人事や能力開発、転職に使えるキャリアコンサルタントを目指している。それは自分の就活の不安と、無能力でありながら、人事に興味のある現実と理想の穴埋めの為に勉強しようと思った。

それと、根拠のない自信で人を幸せな道に導けるという謎の気合いだ。

目の前の不甲斐ないギャップを埋める為には、勉強と経験が必要だと悟った。
認められないなら、認められるまで頑張ろうと思った。

キャリアコンサルタントの講座を受けている中、興味深い話を聞いた。オリンピックを目指すオリンピアンと呼ばれるアスリートの人達は、引退後に犯罪に手を染める人が多いそうだ。

講座の先生は、犯罪に手を染める手前で、転職や能力開発などを行う活動をしているとの事。

「僕と感覚が似ている」

そう思った。

社会に出て、対応が出来なくなったギャップに耐えきれずに、自尊心を支える為に犯罪や不安感に縛られるオリンピアンの感覚は、自分の中で近いモノを感じた。「情熱の行き場を失った」人間は、一気に崩れ落ちる儚さを感じたのだ。

自営業の廃業ではっきりわかった事があった。
僕は誰かが用意して、決められた事をする事が苦手だという事。裁量権があり、自主性があればどこまでも深く考えていてPCDAを回す事に、生き甲斐を感じるタイプの人間だった。

自営業の頃から薄々は感じていたが、責任感と、そこから這い出るほどの夢も希望も大してなかったので、行動は出来ない意気地なしだった。

それが、廃業という窮地に立たされる事で、やっとピリピリとした緊張感を肌で感じる事ができ、僕は34歳にして本気で就活した。

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30代の転職といっても様々な経路があると思うが、僕は自営業という足枷とも取れる経歴を持ってしまっている。

「この歳まで、自営業やってちゃきびしいよね…」コレは、僕が実際言われた言葉で、この会社は1ヶ月も経たずに辞めた

原因は言葉だけではないけど、自営業を長くやり続けて30代で転職する事の困難を激しく感じた。
資格を取っても、優秀に見せても、経験がないのだから現場では使えない。コレがハッキリと分かった。

それならば、元の業種に戻ればいいじゃないか?と言われれば、それはしたくなかった。価格の低迷や、異常気候に対応できない体力の問題で、農業から離れたかった。

正直な話を言ってしまえば、農業は働き方がめちゃくちゃな業種だ。魅力のある業種である事は変わりがないけど、家族経営、マニュアルの無さ、モラハラ、パワハラ、過剰労働は、農家が見て見ぬふりしている大きな課題だと思っている。

1ヶ月で辞めた会社でさえも、ここまで酷い環境はなかった事で、農家の劣悪な環境を再認識した。(限られた農家の話)

ここら辺で自分は、暑い現場作業と人間関係が複雑な仕事場を選択肢から外した。到底耐えられないと思ったのと、選べるのなら涼しく人間関係が良くなくても普通レベルの環境で頭を使って仕事をしたいという特性が見えてきた。

合わない環境で無理に頑張る事で、自他共に負担が掛かる事を、他人に迷惑を掛けてきて分かったのだ。1ヶ月で仕事を辞められる会社の為にも、自分は選択しながら仕事を見つけようと思った。それが、僕に出来る事だと思った。

自分の道は自分で決めなければ、自堕落な34年間に戻ってしまう事も、うっすら感じ始めた時期でもある。

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多くの人と関わって、会話を重ねてきた。

どんな人でも大概、意識や意志を持って動いているのだなぁと思うけど、それはフリーランスや自営業の人達に多い事が、最初は分からなかった。

僕が興味を持って話す人達がそういう人だったのだ。

会社の不満を他人のせいにして、自己研鑽をしない人達へ向ける感情は特になく、出来ればそういう人達との時間は避けたかった。

彼らと僕は生きる道が違うのだと思った。
断っておくが、自分で選択する事が賢いとも立派だとも思わない。むしろ、生きる為のエネルギーを緊張感を持って生きなければ行けない体に、なんとも言えない残念な気持ちもある。

安定に守られる事が肌に合わない人間は、動き続ける事で自分らしさを見つけてしまうのだ。

精神疾患一歩手前だとさえも思う。

そうして、世間体が用意してくれたレールから自ら外れ、困難な道へと迷い込んでいった。

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こんな僕を面白がってくれる人がいるのがビックリだった。とは言いつつも、昔から考える事や、人に対する偏見とも取れる洞察力には人一倍自信があった。

人に対する刃として、冷たい感情で研ぎ澄ましていた学生時代から、大人としての用法容量を知っていく度に、この刃を人の為に使おうとなってきた。

コレが、地頭という言葉で形容される事を知ったのも、この頃だった。

僕は、自分の中で作り出した物語の中で、人が幸せになるストーリーを作っている。それは、色んなことを棚に上げて、机上の空論やドラマの如く自分に都合の良いように。

到底現実に叶うはずもないと、押し殺していた空虚な物語を、面白がって、サポートしてくれる人達の存在は、死んでしまった自分の感情を蘇らせてくれた。

この物語は、とてもじゃないけど言語化出来るほど具体化されておらず、未熟で世間知らずの僕には、一生掛かっても実現できるか怪しい。
だからこそ、やるしかないのだと言い聞かせて今日もこの文章達を書いているのだけれど。

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話外れてしまったが、僕は何度か転職に失敗した負け犬だ。

だからこそ、地面の燃えそうな香りと雑草の力強さを知っている。アスファルトは硬く痛いし、世の中は僕に対して優しくはない。
常に焦げ臭さ感じながら、這いつくばって前に進むしかない。

そうやって刃を鋭くしているのだ。

何も出来ない、なんの価値もない自分を知り、はじめて、自分の強さを知る事が出来る事を多くの人は知らない。

そんな人間が集まり、暴徒と化し、世の中は変わっていくと思って、僕は今日もコーヒーを飲みながら反撃の時を狙っている。

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世の中にはだらしない自分を棚に上げて、利益を産むテクニックが蔓延ってる。血眼で、それを会得しようと僕も日々を奮闘している。

そうして虚しさを大事に抱きしめてきたものだから、自分らしさを見失ってしまった事に気付くのには時間が掛かった。

テクニックを会得する事は、生きる上で必要な事で、人との差を付ける事は有益な優越感を生み出す。

人知れず努力をする事はカッコの悪い事ではなく、誰よりも幸せになりたいと意気込んでいるのだ。

テクニックに群がる様は、甘い蜜を誰よりも早く舐めようとグチャグチャになる蟻の山に見える。

不器用な自分の情けなさを見えないフリをして、多額の利益を誰かに差し上げてしまう。

ビジネスはこうやって大きくなって行くのだと、蟻の山を横目に、地面に顔を擦り付けながら思った。

そうやって顔の皮が厚くなっていく日々を愛しく思える所まで来てしまったのだ。多少殴られても、痛さには慣れてるので我慢は出来るし、笑ってその場を避れる器用さも多少なりには手に入れたと思っている。

蟻の山に群がる蟻などに興味は無い

傷だらけになりながら、甘さに惑わされた輩に唾を吐きながら、舗装されてない迷路を歩き続けるしかないのだ。

そうする事でしか、自分を認められない気がしている。

マイノリティに逃げ込んで、自分の個性を光らそうという魂胆は20代で終わらせなければ酷い目に遭うのも分かってる。人と違う道を歩き続ける優越感ではなく、誰1人として、周囲と同じ道は歩けない事に気付いただけだ。

最短ルートを省エネで進む事は、どうやら簡単な事ではなく、想像以上の労力と孤独を抱え込む事になる事になりそうだ。

それでも好き好んで困難な道に行きたがる性分なので、トホホな人生だ。暇があればずっと寝ていたいのに、どうやらそういう訳にも行かないそうだ。

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2024年7月25日
溺れそうな湿気と不快な熱を帯びた日
激しさと優しさを問う

執筆終了



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