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人を非難するということ

(この記事を読む目安:5分)

こんにちは、とみやまです。

北京オリンピック、あっという間に終わりましたね。
スキージャンプの失格騒動やらフィギュアスケートのドーピング騒動やら、いろいろと話題となったオリンピックでしたが、個人的にはカーリングが印象に残っています。

残念ながら、女子カーリング日本代表は決勝戦でイギリスに敗れてしまい、銀メダルとなりましたが、個人的にはとても感動しました。
あんなに真剣にカーリングを見たのは初めてでした。
カーリングは「氷上のチェス」と言われるだけあって、どこにストーンを投げるか、どういう戦略でいくのか、非常に頭を使うスポーツなんだとあらためて感じました。

さて、今回の北京オリンピックの日本選手たちの結果を見て、さすがに非難する人はいないと思いますが、スポーツにおいてはしばしば「人を非難する・ブーイングする」場面をよく見かけます。

たとえば、サッカーの試合をスタジアムで見ていると、なかなか結果が出せないでいるときに、「フォワードの〇〇は決定力がない」とか「〇〇監督は全然ダメだ」などの声を聞くことがあります。
オリンピックやW杯で日本代表が負けたときには、SNSで「〇〇使えない」とか「俺のほうがうまいわ」とか、いろいろな発言を目にします。

私は、このような発言を目にするたび、どうしてそんなことが言えるのだろうかと疑問に思うのです。そう思うだけだったり、閉ざされた空間内で話すだけならまだしも、どうしてわざわざ不特定多数の人に見えるように発信するんだろう、と。

もちろん、犯罪など、倫理的・道徳的になにか大きな悪事をはたらいたのであれば、非難されるのもわかります。

でも、スポーツにおいて負けることは悪事なのでしょうか。彼らがなにかとんでもないことをやらかしたのでしょうか。

彼らもその道のプロです。だれかが勝ってだれかが負けるという勝負の世界で、勝たなきゃいけないというプレッシャーと一番闘っているのは選手本人です。負けて一番悔しいのは選手自身でしょうし、自分のプレーが負けにつながったのだとしたら、後悔、落胆、絶望など、そういう気持ちは本人が一番感じているでしょう。

そういう人に、さらに傷つくような言葉を、SNSという匿名性のあるもろく、しかし殺傷生のある凶器を平気で投げる人がなんと多いことか。

そういう人に限って、案外そのスポーツ、もしくは選手本人についてよく知らないど素人だったりします。

試合の緊張感もハンパないと思います。
プロであれば、日頃からメンタルトレーニングも行っているかもしれませんが、それでも大舞台であればあるほど、独特の緊張感があることでしょう。

私も、中学3年生のときにアーチェリーで国体に出場しました。
国体は中学3年生から出場できます。つまり、最年少での出場だったのです。当然、まわりは自分より年上で体格も大きい人たちばかりです。
それでもいい結果を残そうと、国体に出場するまで毎週のようにチーム合宿を行い、暑い中練習をしました。
ある日の練習メニューで、「2日で矢を1000本うつ」というのがありましたが、あれは本当にきつかったです。その合宿後、弓を引いていた自分の右手の指を見たら、自分の指じゃないのではと思うくらい第2関節が肥大化していたのです(今でも太いままです)。

これだけの練習をしたのに、ですよ。
結局、私のいた少年男子チームは予選敗退。
予選は前後半で72本の矢を放ち、その合計点で勝負するのですが、あの場には本当に独特の緊張感がありました。全国大会でもあれだけの空気でしたから、世界大会となるともっとすごいんだろうなと思います。
私の場合、前半、いつもどおりやっているつもりでも全然的の真ん中に矢が入りませんでした。後半はなんとか修正でき、個人的には悪くない点数を出すことができましたが……。
私と同じチームの当時高校3年生の人は、終始調子が出ず、ふだんなら絶対にしないようなミスもしていました。試合では常に上位に来るような選手だったので、私も驚きました。こういうことがあるんだ、と。

でも、あの緊張感も意外といいものです。なにせ日常では味わえない感覚ですから。負けたのは悔しかったですが、終わってみれば爽快感がありました。優勝したらそれはもう最高に気持ちがいいでしょう。
だから、つらい練習に耐える人の気持ちも、大きな大会の出場をかけて必死になる人の気持ちもわかります。

そういう努力をしてきた人に対して結果だけ見て非難をする人は、きっとあんな爽快感を味わったことがないんだろうなぁ、もったいないなぁと思うのです。

国体で予選敗退が決まったとき、落ち込む私に一人の雑誌記者が話しかけてきたのを覚えています。まあ開催県出身で最年少でしたから、インタビュー相手には最適だったのでしょう。
落ち込んでいたのでどんなインタビューだったかはよく覚えていませんが、その記者は自己紹介もなにもなく、しかも初対面にもかかわらずかなりなれなれしく「どうだった?」みたいなことを突然ぶっきらぼうに聞いてきたのです。驚きました。いらだちすら感じました。自分が話した内容もよく覚えていないので、当時の私は「なんやこいつ」と思いながら適当に答えたんだと思います。(笑)
まあ、その記者の気持ちも理解できなくはないですよ?
彼も「選手の気持ちを聞いて雑誌に載せること」が仕事だったわけで、私はその仕事を終わらせるための単なる「材料」にすぎなかったのでしょうから。

さらにひどいことに、予選敗退が決まったその日、宿泊する予定だったところが急きょ泊まれなくなったのです。
あぁ、これが敗者という裏切り者への仕打ちか……と私は悟りました。

さんざん期待させておいて、いい結果が出せなかったからどういう扱いをしてもよい。
選手とは、見えないスポンサーの手駒なのか。

国体が終わって学校に行くと、私はビックリしました。
教室に入ると、黒板に「おかえり」や「お疲れ様」といったクラスメイトからのメッセージが書かれていたのです。
私は泣きそうになりました(強がって涙は流しませんでしたが)。
こんな自分を温かく迎えてくれるのか、と。
見えないスポンサーのうち、一部の良きスポンサーが見えた瞬間でした。

アーチェリーは手元が1ミリぶれただけで大きく変わってきます。
その1ミリのぶれを生む要因は風や周囲の音などいろいろありますが、それらに動じないメンタルが重要になってきます。
ですからオリンピックという大舞台に立って、観客やカメラに囲まれ、パシャパシャというシャッター音に包まれながら矢を放つ選手たちは本当にすごい人たちなのです(国の代表に選ばれている時点ですごい人なのは明らかですね)。

そういうトップの選手でも、いや、トップで戦う選手だからこそなのかもしれませんが、本当に、本当にちょっとした心のぶれがパフォーマンスに影響してくるのです。
これはアーチェリーに限った話ではないと思います。

そういうトップで戦ったことのない人が、あるいは選手と親しくもない人がブーイングを送ることがいかに無惨なことか。
結果やミスプレーという目に見える餌に飛びついて、わざわざ言わなくてもいいのに、自分じゃ決して敵わない「すごい人」をSNSで寄ってたかって攻撃する人たちが、私の目にはとても無様に映るのです。

「いやいや、これは叱咤激励なんだ」というわけのわからないことをいう人もいるかもしれませんが、残念ながら、赤の他人からのそんな陳腐な叱咤激励は、選手を傷つけることはあっても励まされることはありません。

長くなりましたが、SNSで発信する際は、今一度見直して、「だれかを傷つけやしないか」をしっかりと考えたいものですね。

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