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【春秋一話 12月】 W杯カタール大会と日本代表

2022年12月19日第7175・7176合併号

 先月から約1か月にわたり4年に一度のサッカーの祭典であるW杯カタール大会が開催されたが、これまでは欧州や南米のサッカーシーズンがオフになる6月から7月に開催されており、この時期の開催は異例のことであった。
 今回の開催地は2010年に決定されたが、カタールの6月から7月の時期は気温が40度に達することもあり、選手やサポーターの健康面が不安視された。カタールの大会組織委員会は、スタジアムの空調設備を整備することで乗り切れるとしていたが、国際サッカー連盟(FIFA)は危険として納得せず、最終的には11月からの開催に決着した。
 一方、11月という時期については、欧州や南米のサッカーシーズン中であることも問題視された。従来であればシーズンオフを利用し、各国ともなるべく早めに選手を集めた合宿を行い本番に備えるところだが、今回は直前までリーグ戦が行われていたこともあり、各国とも大会前の準備期間が短く、選手のコンディションにも影響を与えることとなった。
 また、開催間近になってカタールの人権問題も指摘された。今回のW杯開催が決まった2010年に、カタールでW杯クラスの試合を開催できるスタジアムは1会場しかなく、大会に必要とされる会場を用意するためには新たに7つのスタジアムを新設する必要があった。そのため、スタジアム建設やインフラ整備で必要な労働力にインドやパキスタン、ネパールなどからの出稼ぎ労働者を月数百ドルという低賃金で雇用し、酷暑の中で命を落とす者も相当数いたとされ、「恥のスタジアム」との見出しで人権問題を伝える海外メディアもあった。
 さて、日本サッカー界にとって今回の大会会場であるカタール・ドーハは因縁の場所である。1994年アメリカ大会のアジア最終予選、イランとの最終予選に臨んだ日本代表は勝てば初のW杯出場が決まるところだったが、土壇場で同点に追いつかれ出場を逃してしまった。後に「ドーハの悲劇」と呼ばれるこの試合のメンバーの一人である森保一氏が、日本代表監督として今回のカタール大会に挑んだわけである。
 1998年フランス大会に初出場した日本代表は、その後、連続してアジア予選を突破し(日韓大会を除く)、今回のカタール大会で7回連続出場となった。フランス大会時には海外のチームに所属する選手は一人もいなかったが、今回は26人の代表メンバーのほとんどが海外チーム所属、あるいは経験のある選手で、期待も高く、初のベスト8を目指した大会となった。
 日本代表チームは、グループステージで強豪国のドイツ、スペインに勝利し、グループ1位で決勝トーナメントに進出し世界を驚かせたが、残念ながら決勝トーナメント1回戦で敗退しベスト8への進出を逃し大会を終えた。しかし、この強豪国に連覇したことは「ドーハの歓喜」として日本国内に勇気を与え、日本サッカー界にも大きな影響を与えたと絶賛されている。
 次の2026年北米大会から出場国が現在の32か国から48か国となる。地域ごとに割り振られる出場国も増えることとなり、アジア地域はこれまでより4か国増えて8か国となることが決まっている。
 これまで日本代表が薄氷を踏みながら勝ち上がってきたアジア予選を勝ち残れることは間違いないだろう。その時には、日本代表チームがさらに実力を上げ、ベスト8よりもさらに上を目指し、将来は優勝候補の一角となっていることを期待したい。
(多摩の翡翠)

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