猛き武士の心をも慰むるは芸術なり
芸術・アートの役割とは一体何であろうか。
人によって様々な意見があると思うが、私は「人の心を慰め今生の疲れを忘れさせること」だと思っている。
生きていると良いこともあるがその逆も然りである。そんな時、好きな音楽を聴いて心が軽くなった、元気が出たという経験がある人は多いと思う。
家族や友人、あるいはカフェやバーで不意に出会った人と絵画の話をし、その間楽しさで満たされた経験がある人もいるだろう。
何らかの集まりで俳句や和歌について意見を交換し、夢中になった人もいるかもしれない。
人は、芸術に癒される。健康も大切であるが、「文化的」という一文も同様に重要なのである。
縄文時代の土器もこういった思いがこもっているかもしれない。
さて、近年は芸術の参入障壁が大幅に低くなった時代でもある。別の記事でも書いたが、YouTube等による制作情報の圧倒的増加、デジタルによる各機材の価格破壊(特に絵や音楽に顕著であろう)などがその大きな要因であると考えている。それに加えAIの発達も目覚ましい。
このような環境の中で「芸術に疲れさせられている人」が見て取れる。すなわち制作競争の激化によって疲弊した制作者である。
以下の文章は特に疲弊した制作者に向けたものである。
前述のように芸術の本懐は「人の心を慰め今生の疲れを忘れさせること」だと思っている。しかし、これは芸術を鑑賞できる程度には心に余裕がある状況で成り立つものである。厳しい環境に身が晒されていては心の余裕も減ってゆく。
無論、未来のために一時的に気張るのは悪い事ではない。また、厳しい競争の状況を楽しめる者もいるだろう。こういった経過を経て大作が生まれることもあろう。これはこれで良い。
しかしながら、度を越して競争に参加し、芸術を楽しめなくなっているという状況にまで陥るのは健全ではない。さらに進んで健康まで害するのは論外である。ただ、こういった制作者も少なくないのではないか・・・。
筆者も趣味に毛が生えたレベルであるが音楽制作を行い、お金を稼いだ経験がある。当時は色々やってみた。
マシンライブの動画を上げてみたり、一般受けしそうなBGMを作ってみたり、HPを作った上で映像制作会社数十社に営業の電話&メールを送ったことさえある。
結局、某ストックサービスに乗せていたBGMがボチボチ売れ始め、「本腰を入れれば案外稼げるかも」と思った矢先にサブスクの波が到来。月間4桁円程度稼げていたのが3桁前半に減少。ここでもうひと踏ん張りして曲数を増やせば以前以上に稼げたのかもしれないが、この出来事を「この道に進む流れは無いサイン」だと解釈し、音楽事業からは撤退した。
実際、今から考えればサブスク段階で撤退できたのはラッキーであった。まさかAIの発展がこれ程早いとは思ってもみなかった。読者の方もいちどAIの自動生成音楽を聞いてみることをおすすめする。あんなものを数十秒で生成されていては手作業での制作は話にならない。BGMのような「とりあえず鳴っていればいい」音楽は間違いなくAIに取って代わられる。足をしっかり突っ込む前に撤退できたのは幸運だったとしか言いようがない。
当時は結構無理をしており、実際体調も崩した。到底音楽など楽しんでいなかったように思う。
しかし、自分なりにやるだけやったため、音楽で稼ぐことへのわだかまりは解消できた。今となっては何の未練もない。
若干話が脱線したが、何が言いたいかと言うと
「無理をしている自覚のある制作者は一度立ち止まるのも手」
という話である。
近年は芸術の参入障壁が大幅に低くなったと書いたが、逆に言うと片手間でも制作がやりやすくなった側面がある。
本業の傍ら、自分なりに無理のないペースで制作を行う手もある。
このような動きを取れば極端な競争から降りつつ作品を発表していくことも可能だ。本業があれば採算度外視で制作ができるのも強みである。制作数は減ってもクオリティは大きく上げられる可能性がある。返ってここから道が開ける場合もあるかもしれない。
方々を見ていると、制作活動について大いに悩んでいる人は多いように思えてならない。あまりの負荷から芸術が嫌いになったという人もいるだろう。こうなってしまっては本末転倒である。
現在制作を行っている方、とても立派だと思う。しかし、市場がとんでもないカオス状態になっているのもまた確かである。無理を感じたら一度立ち止まり、また歩を進めるも良し、一旦降りるのも良し、違う角度から付き合うようにするのも良しである。
そして心が落ち着いたならまた芸術を楽しみ、今だけは今生の疲れを忘れようではないか。
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