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テレビはマスメディアじゃなくなったのか?


■テレビの「ターゲティングメディア化」が進んでいる

 テレビはマスメディアじゃなくなったのか?

 と言うのも、最近の広告代理店やITベンダーのリリースを見ていると「ターゲットにあった出稿プラン」だとか「広告効果を最大化したテレビプランニング」といったコピーを見かける。もちろん、そうできたらいいね、という立場は私自身も変わらないのだが……

 ここから感じるのは、デジタルが得意とする「ターゲティング」や「最適化」の視点が、マスメディアであるテレビの領域にも入り込んできている、ということである。

 テレビメディアは、今後どういった方向に進んでいくのだろうか。

■デジタル広告が生んだ「最適化」の流れとその弊害

 デジタル化されたデータが主流になった昨今では、マーケティング自体は複雑化したものの、より広告効果を可視化できるようになった。

 たとえば、ある商品を「買った人」と「買わなかった人」を可視化できるようになり、買った人はこういう人、買わなかった人はこういう人、というのがわかるようになった。それはつまり、「これから買う人はこういう人」だと予測できようになったということでもある。

 その場合、「買わなかった人」はムダとみなされ、無視されることになる。買った人から類推し、似たような人にどのメディアであれば接触可能かがプラニングの一つの指標になるからだ。

 一見すると、これは非常に効率的な広告に見える。しかし一方で、「買った人」が鮮明になればなるほど、ターゲットのサイズも小さくなる。

 そのため、広告をより的確に当てていかなければならなくなる。そうしなければ、的確にコントロールされた他社に負けてしまうからだ。すると広告主は、最適化に向けて多くのオペレーションコストを支払わなければならなくなる。リスティング広告の入札費用や、メディアごとに担当者をつけるための人件費などだ。

 しかし、もちろん競合他社も同じように最適化を実践してくる。これにより、他社と「最適」の取り合いをしているような状況が生まれ、広告主はみな疲弊している。

■マスメディアの「優位性」を忘れてはいけない

 デジタルが作り出した、この「ターゲティング」と「最適化」というマーケティングの潮流は、テレビにも大きな影響をもたらした。テレビメディアも、ターゲティングを売りにしようとし始めているのだ。デジタル領域の得意分野である「パーソナライズ」「カスタマイズ」にベクトル転換を図ろうとしている。

 もちろん、それが良い変化をテレビメディアに促しているのも事実だと思う。この変化に対応するために、テレビメディアはインナーの意識改革も含めて、今後は広告代理店依存を下げ、様々な問題、課題に立ち向かわなければならない。

 ただ一方で、「マスメディアとしての良さ」を置き去りにしているのではないかとも私は思う。

 日本で、テレビに変わるマスメディアは現状ないと思える。先ほどの「買った人」「買わなかった人」の話でいえば、テレビ広告では買わなかった人にも広告を当ててしまう。だが、この一見すると非効率に見える部分が、実はマスメディアの非常に重要な特徴でもあるのだ。

 たとえば、人には、「みんなが知っているものが欲しい」「人と違うことをしたくない」という欲求があるだろう。それにはターゲット以外の認知も重要になる。

 また、「買える人」「買えない人」という視点で見れば、「欲しいけど買えない人」がいるからこそ、買える人のプレゼンスが上がることにも注目したい。たとえば、ポルシェやベンツが「買える人しか知らない車」だとしたら、どうだろうか?

 こうしたターゲット以外も含めた幅広い認知という意味では、マスメディアに勝るメディアはないだろう。

■今後のテレビメディアは、「デジタル的な良さ」と「マス的な良さ」の両立がカギを握る

 もちろん、現時点でデジタルの潮流がもたらしたテレビメディアへの変化は「良い部分」もあるし、「悪い部分」があると言うのが私見だ。

 しかし、「変わる」ことばかりに主眼を置きすぎると、大切な部分を見落としがちになる。「大は小を兼ねる」と言うが、この言葉の意味は、「どちらかで良い」と言うことを指さない。むしろ「両立できること」の良さを示すのではないだろうか。

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