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真実を追求すると人の問題にぶち当たる

僕がデジタルインテリジェンスの代表を引き継いだのは昨年の7月で、今尚続くコロナ禍の最中でした。まぁそれからも色々とありましたし、今なお困難の中にいると思います。けれどこのNOTEにはそんなことを徒然と書きたいわけではなく、これから僕が描きたい未来とその過程なんかを社会に向けての意思表明として書いていきたいと思っています。もしかしたら、そのうちこのNOTEにもこうしたことを始めようと思ったきっかけや心境の変化など通り過ぎたことを書くこともあるかも知れませんが、それはそれで。改めて、過去ではなく僕自身の行き先についてを書いていければいいかなと思います。

僕は今、ここ数年していなかった自分自身に向き合うという作業を日々繰り返しています。これは結構根気のいる作業でとても重要な作業だと思っています。僕自身はどうしたいのか?を内面から引き出す作業です。自らの内面を割る逡巡や躊躇を取り払いたかったので、信頼できる方にコーチングによるサポートもお願いしました。人を目の前にして、自身の思い描いていることを伝えようとすればするほど壁を取り払い、本当の言葉で伝える必要が出てきます。これは不思議な体験です。どれだけ今まで自分自身を語るのを苦手としてきたことか…(泣)この過程で僕の中から抽出された言葉に「真実を追求したい」というキーワードがありました。まずはここを分解しながら書き始めたいと思います。

僕が広告やマーケティングに関わるようになってから...まだ20年弱です。そんな僕が言うのもなんなんでしょうが、この業界には真実がよくわからないようなことが数多くある、というよりもほとんどのことが何かしら都合の良いコトにカタチに書き換えられていることを感じ続けています。もちろん伝達手段であることは承知で。例えばデジタルトランスフォーメーション(以下:DX)なんかもここ最近の流行語として持て囃されていますが、これが概念なのかツールなのか、はたまた組織体制の話しなのかよくわかりません。僕が知り得る限りDXとは?を語られている方たちもそれぞれ違うことを言っている。でもそれって当然なんですよね。DXは本質じゃないから、定義する意味なんてない。それぞれの事業や組織によって手段であるDXが違うのは当然。けれどもそれらのことをあたかもDXとは?〜という文脈で語るので定義がバラバラに見えてしまいます。ここにDXと書きすぎて僕自身わからなくなりかけるくらい(笑)、ここを定義しようとすればするほど議論はブレる。あくまで手段ですから。

我々デジタルインテリジェンスもデジタルマーケティングを標榜してきた以上は一定量の責任はあると感じています。DXは本質じゃない。ちゃんとコレを伝えられるコンサルであろうと、会社のビジョンを設定し直しました。

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「DXは本質ではない。正しくDXを実現する」

本当はこう伝えたかったのですが、長々と言い訳がましいのと、敢えてDXという言葉を使用しアンチテーゼの意味を込めたいなと思いました。そしてミッションとして掲げたのがこちら。

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本質は悩み・課題づくりにあると思っています。そして寄り添うことによって悩みは磨かれ続ける。一つでも多くの答えを見つけ出すことで真実に近づいていく。僕自身は仕事のみならず、そのことこそが人間の本質だとも思っています。ビジョン・ミッションを再設定したところで、まだHPのリニューアルも間に合ってはいないんですけどね(笑)。

悩み・課題を磨き続けるプロセスは非常に困難です。そもそも悩み・課題にすら行きついていないケースも数多くある。その場合の多くがトップダウンによるオポチュニティに振り回されているケースですね。これまた無意味です。きちんと悩み・課題を分析し、設計から考えられたオポチュニティだからこそその考えは浸透し機能します。でもそう困難の末に導かれたコンセプトや戦略でも、大体がセクション間の障壁とお財布の違いによって突然スタックし、考え抜かれた戦略がただの紙の束になる瞬間があります。最早予め予測できたこととも言えるんですけどね。我々も今まで数多くの大規模から中規模な構想・プロジェクトやマーケティングモデルの変更、そして組織体制の再構築などに携わってきました。そしてそれらのスタックの原因のほぼが「人」に行き着きます。能力の問題ではなく、この「人」の覚悟の問題。鼻から覚悟がなければ大量の紙を作るのに時間をかける必要はありません。大量の紙は組織の壁やお財布を一つの箱にするために周囲を説得する材料です。

もしこのNOTEを読んでくれるような稀有なひとがいらっしゃるのであれば、そんな数%のひとに向けて悩み・課題の発掘の仕方など考えをお伝えしていきたいと思います。

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