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のら努力家は日本語わかる?(2)のらねこ、「責任」ってよく分からない

何か責任を果たすべきとき、具体的に何をすべきでしょうか。
もしくは無実の罪で「おまえの責任だ!」と責められたとき、冷静に「いや違うだろ」って返せる人はなかなかいないですよね。
そんでそれをいいことに、人に責任を押しつける人の多いこと多いこと。
責任って、なんなんでしょうね?

皆様こにゃにゃちわ、もしくは初めまして。
僕は目標管理アプリ Project Sylphius の開発・運営を行っております、TOMCAT HEART の中島です。
このコラム のらねこに何ができる? では、毎日の暮らしをハッピーにしていくために必要な必須スキル ≪目標管理≫ を1人でも多くの人に身に着けてもらうため、目標管理のプロとして僕自身が計画を立て、そして学んできたことを、なるだけ面白おかしい内容で皆さんにお届けできればと思っています。

現在の連載は “のら努力家は日本語わかる?” です。
意味を間違えて覚えてらっしゃる方が多いと僕が感じた言葉について、その正しい意味を物申していきたいと思います。
本日のテーマは “責任を果たす” とは具体的に何をすることなのか、について。

全体の執筆計画はこちら:
1. “正しい”ってどういうこと?
2. “責任を果たす”って何をすること?(今回)
3. “特技”を聞かれたら何を答えればいいの?
4. “やる気”や“愛”の大きさを数値で計る方法
5. “ちゃんとやる”って、何を?
6. “ちょっと考えれば分かる”って本当?
7. “最優先の業務”よりも大切な仕事
8. “休む”って何をやること?
9. “努力”という言葉が嫌いだなんて絶対おかしい
10. PDCAとかOODAとか、考えすぎじゃない?

今までのバックナンバーはこちらです

目標管理においても、この責任という概念は非常に重要になってくるのですが、でも何をどこまでやったら「これで責任は果たした。バイバイ」って自信を持って言えるかなんて、ぶっちゃけよく分からないですよね。

で、それのせいで、「おまえの責任だ」って言われて「え? あ、そ、そうなんですね、はい、、、」って余計な責任を素直に負っちゃってる人、ぶっちゃけメチャクチャ多いです。
そういう状況を今後防げるようになっていき、最終的には果たしたい責任だけを、負いたい分だけ自分でコントロールできるようになっていくために、まずはここでは責任ってものが何なのか、おさらいしてみようと思います。

1. 責任とは

日本語に “責任” という言葉が追加されたのは実は比較的最近のことで、明治頃に英語 responsibility を訳す形で取り入れられました。

でもその際に当時の人々が上手く意味を説明できなかったために、大部分の人が意味を間違って覚えてる言葉の代表のようになってしまっています。
普通なら「みんなが間違ってるなら、その意味が正解ってことでいいじゃん」といきたいところなのですが、とはいえ意味を間違って覚えているせいで責任の果たし方も間違っており、そのせいで鬱病になる人もいるんです。
そういう人がかなり多い昨今、素直に「じゃあその意味で決定!」とってわけにもいかない現状があります。

Weblio辞書 によりますと、責任という言葉には大きく3つの意味があるようです。

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。
  「引率者としての—がある」「—を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。
  特に、失敗や損失による責めを負うこと。
  「事故の—をとる」「—転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。
  特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。
  主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

あらかじめ今回の結論を知ってる僕からすると、これらの書き方はとても不自然に見えます。
なぜなら上記の 1 と 2 は実は、後から追加されたもともとは間違った解釈だったものだからです。
しかも 3 にしたって英語の法律用語としての responsibility を直訳しているだけ。

つまり上記3つは、responsibility を何1つ正しく訳せていないのです。
もちろんそんなこと言ってても始まりませんが、現時点では日本人にとって責任とは、これら3つの総称ということになるのでしょう。

- 立場から負う責任
- 失敗に対する責任
- 法律で定められた責任

でもここで疑問。
立場があるからって、具体的に何すればいいの?
失敗したからって、具体的に何すればいいの?
法律で決まってるからって、何をすればいいのか国が教えてくれたことなんてあった?

そう――。
責任という言葉は、具体的にどうすればいいかがはっきりしないのです。

対して英語の responsibility は分かりやすいですよね。
やれと言われたことに、正しい結果をレスポンスしなければならない状況のことです。

でも日本語の “責任” は違います。
「言われたことだけやってりゃいいわけじゃないだろ」って言う人もいるくらいで、英語の responsibility とは違い、日本語の “責任” には自ら能動的に行動をとる義務も含まれた言葉です。
だから何をしたらいいか分からない人が大量発生してしまうんです。

2. 昔の日本人はあきらかにおかしかった

で、この責任という言葉の意味を間違って捉えていたせいで、昔の日本人はあきらかにおかしな行動をとってました。

昔の人は不祥事の際に責任をとって丸坊主にするなんて人がいました。
あるいは政治家なんかの場合、責任をとって辞任するなんてことをしていました。

で、「そんなことしても何の解決にもならない」という考えが広まり始めたのが、なんと 2000 年代。本当につい最近です。
それ以前は丸坊主や辞任でさっさとトンズラが当たり前だったんです。
それがようやく最近になって、責任をとるなら最後まで事態を収拾するに変わってきました。

一見すると、この変化は正しいことのように感じられます。
でも考え方のシフトが始まった当時は、丸坊主や辞任をする人が減ったことを根拠に「ちゃんと責任をとらない日本になった」という主旨の記事を書く人もいたくらいですから、本当の意味を理解したうえでの変化ではなさそうです。
(※あ、ちなみに昔のことなので上述の記事が実在した証拠はありません、ごめんなさい。僕の目から見てそう読める記事が当時相当量あった、と認識してください)

責任って言葉の捉え方、あきらかにおかしいですよね。
もちろん、正しく理解できてた人も昔からちゃんといたんだろうけど、でもこれが群集心理ってものですよ。

つまり、それまでの日本では “反省している姿を見せる” ことが責任を果たすってことだったわけですね。

3. 責任という言葉のコアイメージとは?

では、責任を果たすとは本当は何をすることなんでしょうか。
最後まで事態を収拾するって、具体的にどうすればできるんでしょう。

そのためにまず、責任という言葉の3つの意味を統合し、コアイメージを作ってみようと思います。

- 立場から負う責任
- 失敗に対する責任
- 法律で定められた責任

仮に、あなたがこの3つの責任を、それぞれ個別に負わされたとします。
(まぁ、社会人ならそれぞれ何がしか負ってるのではと思います)
この3種類の責任に対し、全てに共通する行動はなんでしょう?
それが責任という言葉のコアイメージのはずです。

具体的には、成功まで導くことなんじゃないかと、私の場合は思うわけです。

あなたが会社員であれば、上司から命じられた業務を “成功” させないといけない。
何か失敗してその責任を負うのなら、なんとか一発逆転 “成功” までもっていかないといけない。
法律上定められた納税義務があるなら、「お金を工面して支払う」という行動を “成功” させないといけない。

つまり責任を果たすとは、“その物事を何とかして成功させること” って意味なわけです。

4. 責任を果たすには成功の定義が重要

だからこそ、正しく責任を果たすには成功した状態が具体的にどういう状態なのか、ハッキリさせる必要があります。

責任という言葉には、この “成功の定義” が必ずワンセット
成功を定義せずして責任を果たすことは絶対不可能です。

この “成功の定義” をしないから、責任という言葉の意味を重く捉えすぎる人が出てしまうんです。

重く捉えすぎるとは、たとえばアメリカの大統領が「この戦争に勝ち、世界に平和を取り戻す」と言ったと仮にします。(※ホントは言ってません)
するとこれを、単に敵軍に勝利するという意味ではなく、

  • 世界中の戦争をなかったことにする

  • 兵士を全員、健康体で家に帰す

こんなところまで責任と捉える人がいるんです。

そういう極端な人が自分の子を修学旅行に出すと、学校の先生の引率に対して “100%の精度で事故を防ぎ、仮に死亡事故が起こったら全員を生き返らせる” ところまでを責任と捉えたりするんです。
常識で考えて、そんな責任を人間に成しえるわけがありません。

また、日本にそういう考え方が根強いことを逆手にとって、現場に全責任を押しつける経営者もまだまだ多い世の中。
プロジェクトをどうしたいのかを話もせず、「とにかくやれ、このプロジェクトを成功させるんだ」と息まき、自分の目分量で失敗したように見えたときだけ責任とれとか言い出す。

そんなことにならないよう、仕事を任された以上は「自分は何をすれば責任達成ですか?」の部分をはっきりさせないといけません。
これをはっきりさせる勇気がない人がもしいれば、その人は一生責任を押しつけられまくる人生を送ることになります。
(そういう意味では、気が小さすぎるのも罪といえるのかもしれません)

5. 成功を定義できないことを「できる」と言ってはいけない

昔の日本で責任という言葉が曖昧だったのは、強烈なまでの上意下達で序列偏重な国民だったからです。
このあたりの考え方は、昭和を知る人にはおおむね納得してもらえるのではないかと思います。
責任範囲を曖昧にしておいた方が、何か問題があった際に、上の裁量1つで実はそいつの責任だったことに自由にできるからですね。

そういう被害に遭わないためには、「これこれを、こういう状態にしてみせます」と、成功を具体的に定義することが大事。
また失敗する可能性があるなら、それも宣言しておくこともポイントに含まれます。

巧くいかないかもしれない仕事は「がんばりはしますが、失敗してこういう状態になってしまうかもしれません」とはっきり言う。
または遅刻しない自信がないなら「がんばりますが、遅刻しないとは宣言できません」と断言する。

で、はっきりと定義した結果怒る人がいるようなら、その人はそもそも全責任を押しつけるつもりだったと言えるわけです。

6. つまり

責任のとれる大人になろう。

って言葉があります。
昭和時代にポッと出て、当時の人々にとにかくメチャクチャ嫌われました
なぜなら当時はこの言葉が “どんな重い責任を押しつけられても、全部1人で背負いこもう” と解釈されたからです。

あきらかに違いますよね。
この言葉は、

  • 成功を定義できる人になろう

  • 自分で定義した成功を、自分で実現できる人になろう

ということなわけです。
それが “責任を果たす” ということなわけです。
ここには、できないことは「できない」とはっきり言うことも含まれています。

これらを踏まえて、もっかい国語辞書の定義を確認してみましょうか。

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。
  「引率者としての—がある」「—を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。
  特に、失敗や損失による責めを負うこと。
  「事故の—をとる」「—転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。
  特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。
  主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

ほら。
上記の文章を書いた人達には、“成功を定義する” って認識がほぼ無いですよね。
昔はそれくらいが一般的だったからです。
成功の定義を全くやらず、常識で考えてできるべきことができること というイメージで書かれちゃってます。

当たり前ですが、成功を定義しなければ、責任を果たせるのかどうかは判断できません。
そして成功を定義した結果、もし「普通の人にはできるかもだけど、自分には無理」だと思うなら、それはそれで「私にはできません」でいいんです。

また責任とは、負った時点で何を成功させればいいかが具体的に決まっているものです。
(自身が了承できる場合以外は)責任範囲が後から増えてはいけません
なぜなら責任とは、そんなに無尽蔵にポコポコと膨れ上がっていったら、いつか絶対支えきれなくなるに決まってるからです。

責任の意味を間違って捉えたせいでそういう被害に遭ってないか、一度自分を見直してみるのもおすすめです。

ではまた次回。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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