見出し画像

のらねこ、歴史の真実が1つじゃなさすぎる

「真実はいつも1つ!」とは言うけれど。。。

本当の意味で真実が常に必ず1つに定まるのなら、いわゆる歴史上の解釈なるものがそんなにコロコロと変わるわけがないわけで。
つまるところ、真実が1つだなんてことはないんですよね。

だとすると、以前から思われていた歴史的真実と、現代の歴史的真実はいかほど違うんでしょうか。
中学校の歴史の教科書を、僕らのときと比べてみようと思います――。

いつもお読みいただいている皆さん、ありがとうございます。
そして初めての方、久しぶりの方も、ありがとうございます。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

毎日がつまらない。面白いことなんてない。なぜなら自分はそういう運命のもとに生まれたから。
いつもそんなふうに感じている人達に足りないのは、物語の主人公のような幸運なんかじゃありません。
ただ待ってるだけじゃ何も変わらないし、美少女は空から降ってきません!

そういう人に足りないのは “目標管理スキル” です。
自己管理されてないから目標が叶わないのだし、管理されれば夢はちゃんと叶うのであって、それは当たり前ことなのです。

この のらねこに何ができる? では、目標管理というものがいったい何で、どうやって管理していけばいいのかを理解していただくため、僕が計画して自分で取り組んできた様々なことを、なるだけ面白くお届けするという内容になっております。

現在のシリーズ “のら大人は中学の勉強わかるの?” では、中学校の授業の今昔を比較し、学びなおし・教養的なネタにしてただける情報をお届けしています。

全体の執筆計画はこちら:
1. 国語科
2. 数学科
3. 理科
4. 社会科(今回)
5. 英語科
6. 道徳

過去のバックナンバー

1. 歴史の教科書、分厚くなりすぎ問題

僕らのときも、社会はざっくり “歴史” と “地理” に分かれていました。
でも教科書は1冊だったんじゃなかったっけ??
(どうだったかな? 忘れた)

地理は補足として地図帳がついてきたけど、だからってそんなに何冊はなかった気がします。

対して今の中学生――娘の教科書は、まず歴史科だけで2冊あります。
普通の世界史と、それから “千葉県版” ってのがあんねん。

地理の教科書は、本人が学校に忘れてきたらしくて、執筆時点では手元にないんだけど、おそらく教科書と地図帳の2冊。
だから社会科全体で計4冊あることになります。

しかもこれが中学3年間の教科書ではなく、1年生の1年間の量だってんだから笑っちゃう。

文部科学省の学習指導要領では、中学1年の社会科の時限数は105時間。
教科書が1冊あたり300ページだから、4冊で1200ページよ?
105時間でやる量じゃないでしょww

1200 ÷ 105 ≒ 11.4ページ

チョーーーーーーー駆け足授業!!!😰

しかもそれが3年間だから全部で3600ページよ。
あきらかに多すぎwwwwwwwwwww

昨今では、子供が本を読まなくなっていることが問題視されていて(つっても、“昨今では”って割にはそんな話も昔から聞きますけどね)、本を読む習慣を身に着けさせる必要に迫られています。
そんな状況で子供をジャブジャブの活字漬けにしたら、そりゃあ本嫌いにもなるわ

国語と数学の教科書んときもちょっと思ったんだけど、ふざけてんのかな? って思う。

2. 歴史の教科書に主語がない

外国語を勉強している方には理解してもらいやすいと思うんですが、英語は主語を省略できない言語ですよね。

  • You are genius.

  • He has a girl friend.

  • I am a pen.

どんな状況でも必ず You / He / I などの主語が必要です。
このことを授業では「英語は主語を省略できない」と習うわけなんですけど、これ、考え方が逆なんです。
むしろ日本語の方が、いつでも常に好きなように主語を省略できすぎる言語なだけなんです。
通常多くの言語では、“主語はつけるのが当たり前” なんです。

対して日本人は、

「たこ焼き食べた」(←誰が?)
「昨日やった?」(←誰が? そして何を?)
「さっさと行きなさい!」(←誰が? そしてどこへ?)

このような、主語も目的語もない謎の言葉を、ほぼ日常的に使っているわけです。
よくコミュニケーション成り立つよなって思う。
てか多分、コミュニケーションできてるようでできてないケースも多くて、だから日本の家庭は喧嘩が多いんだろね。

んで、、、
こういう主体のない文章をよく使う国民性、、、のせいなのかどうかは分かりませんが、娘の中学の教科書も似たような状況にあります。
誰を主体として見た歴史なのかが全く分からない書き方になっています。

これは僕らんときも似たようなもんではあったんだけど、それでも何となく日本史と世界史にはちゃんと分かれてたんじゃなかったっけ。。。?
娘の教科書の場合、それが完全にバラバラ。

日本の古墳時代から始まった教科書が、次のページでいきなり民族大移動の項になり、さらにエジプト文明 ⇒ ローマ帝国 ⇒ 宗教史 と、ようもまぁ元気いっぱいポンポン話が飛びまくる。
なんだこりゃ。
子供が書いた本を清書だけ大人がやった感じ。

なんでこんな変な構成になっちゃうのかというと、“誰の目から見た歴史か” という視点が設定されてないため。
世界中のあちこちで起こった出来事を、分かりやすさ度外視で物理的に古い順に並べるっていう狼藉っぷり。

んで今の中学生はそんなんを、1時限で11.4ページ読まなあかんのよ。
税金ドロボーってレベルじゃねぇ。
こんなひどい教科書、いったい誰が好きになるの?

3. 改善点がないでもない

でも、歴史の教科書の全てが最悪かというと、よくなってる場所はちゃんとあるようです。

僕らの教科書では、最初の1ページ目にいきなり縄文時代の話が書いてありましたが、娘のだと最初の数ページが “歴史調査のやり方” になってます。
つまり、歴史科の目的そのものが “歴史調査をすることに慣れる” という目標になってるわけ。

詰め込み知識をとにかくやたら詰め込むしか能のなかった昔と比べれば、このあたりは少し進歩したと言っていいかもしれません。

そもそも歴史科は、学科そのものが他の教科の補助とすることを前提としています。
歴史ってのは、本質的に単体で学んでも何の役にもたたないし、楽しくもなんともありません。

歴史は、他のジャンルに活かす前提がないと面白くないものなんです。

たとえばギター。
スーパーギタリストになって世界に名を売りたいって人がいたとして、そういう人が音楽の歴史の勉強をしないなんてありえるでしょうか?
そんな変な人まず考えられないし、たかだかそれくらいのこともやってない人が世界的有名人になるなんて絶対に無理だし、そもそもギターやってたらギターの歴史の勉強は自然とやりたくなるものです。
でも “歴史を学ぶ” ことに慣れていないと、何から手をつけたらいいか分からなくなって、そのせいでギターの成長まで止まってしまいます。

「いやいや、私は歴史を単体で勉強するのも好きだよ」って思ってる人はいるかもしれませんが、そういう人は歴史上に好きな人・好きな物事がまずあって、その人・物事について学ぶのが好きなだけのはず。
好きな事柄がありきで、その歴史を調べるのが好き。
そういう人ならいっぱいいると思います。
が、歴史という概念そのものが好きで、歴史と名がつきゃなんでもいいなんて、そんな変な人は絶対いないです。

学校の歴史科は、そうならないための基礎として有益だから学んでいるのですから、だから “歴史調査をする” ことを目標にするのは非常に理にかなっているといえます。

だからこそ、年間1200ページという詰め込み教育は、絶対に意味がないのです。
前々から思ってたんだけど、日本は歴史科という授業を完全にバッサリと撤廃して、その時間を各教科ごとにその教科の歴史を学ぶ時間として割り振った方がいいと思う。

結論――。
僕らんときもだけど、日本人は歴史調査というとても重要な授業の時間に、ゴミを眺めているだけ。

いじょ。

[広告]
ここまでお読みいただきありがとうございました。
僕が開発・運営している 目標管理アプリ Project Sylphius は、目標設定・アイデア出しのお手伝い・ジャーナリング・自己分析機能などなど、あなたの挑戦・あなたの仕事が楽しく続くWebサービスです!
無料・無期限でプロジェクト2つ作れます。

ぜひ1度お試しください!

TOMCAT HEART / 目標管理アプリ Project Sylphius

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?