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のらねこ、日本の窮屈さの根本を考えてみた

海外の話を聞くと、たまに「なぜ日本はこんなに窮屈なんだろう」と思うことがあります。

ライフワークバランス世界一のオランダ、福祉大国の多い北欧地域、ビジネスマネジメントの特に発達したドイツ、そもそも働く気がないのに国がちゃんと回ってるイタリア、根がのんびりな東南アジア諸国などなど。
彼らは日本と比べてあまりに自由すぎます。

そこで、そういう海外文化に詳しい人達に「同じことが日本でできないのかな?」と質問すると、ほとんどの人が「いや、日本には無理だね」と速攻断言して話を終わらせてしまうのです。
なぜダメなのか、どういうところが問題で、その改善案としてどのようなアイデアならあり得るのか。
そういうところまで突き詰めて語る人を、僕はほぼ見たことがありません。

そこで今回は、日本が窮屈な原因について、普通のネット記事よりも根本的なところから探ってみたいと思います――。

いつもお読みいただきありがとうございます。
あるいは初めて見てくださった方、久しぶりの方もありがとうございます。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

生まれてこの方ずっと不幸。人生ハードモード。
周りはみんな楽しそうなのに、自分だけが楽しくない。
そんなふうに考えがちな人に足りないもの、それは “目標管理スキル” です。
自分の目標を自分で管理してないからその目標が叶わないのだし、管理方法が分からないから目標を作ることもできないのです。

この のらねこに何ができる? では、だとすると目標を管理するってどういうこと? を学んでいただくため、僕が自身で計画して自分で達成してきた様々なことを、なるだけ面白く書いてお届けする内容となっています。

現在連載中の “のら地球人に日本が分かる?” シリーズでは、世界の様々な言語を学んできた僕が、そういう学習者の立場じゃないと分からない視点から日本を語ることで、将来の夢とかの肥やしにしていただこうって内容です。

全体の執筆計画:
1. 海外の犯罪文化は日本とどう違うの?
2. そもそも“国家”ってなに?
3. “国民性”なんてものが本当にあるの?
4. 日本人は空気が読めるって本当?
5. “〇〇なのは日本人だけ”って本当?
6. 日本はどれくらい暮らしにくい国?(今回)
7. 日本語って他の言語とどれくらい違うの?
8. 高品質なものが安いって本当にいいこと?

過去のバックナンバー


1. 日本はなぜ“がんじがらめ”なのか

日本人が「日本のこういうところは最悪だ」と思ってるポイントの中には、実はそんなに悪くないところもあったりします。

たとえば「日本人は働きすぎだ」と言われて久しいですが、実は日本の労働市場はここ20年でかなり改善しており、労働時間ランキングではすでに世界30位まで下がっています。
世界の労働時間 国別ランキング・推移(OECD)

それから「日本は老害が多くて困る」とか思ってる人もいるけど、海外に少しでも知見があれば、同じことを言ったりは絶対しません。
なぜなら『老害』なる人々の人口に対する割合は世界共通で、日本だけが特別に老害大国じゃないことを肌感で知っているからです。

あと『日本は男尊女卑の国』なる謎理論。
マスコミが盛んに訴えてる割に、ピンと来ない人多いですよね。
なんでかってそりゃ当たり前のことで、日本のジェンダーギャップ指数が低い原因の大部分は “女性議員が少ない” ってだけの理由で、それ以外の数値は実は案外悪くなかったりするからです。
男女共同参画に関する国際的な指数

日本を男尊女卑の国にしたい人達の中には、“文化的に男尊女卑が根づいている” ことを根拠にする人も多いです。
昔は確かにその通りで、明治・大正・昭和時代の日本は、男に産まれたかったと感じている女性の割合が70~90%にもなる物凄い世界でした。

でもこれはあくまで昭和期くらいまでのことで、現在では、女性の社会進出とともに女尊男卑の考え方が同時に強まっているため、少なくとも日常的には割とお互い様と呼べる状況になっています。
もちろん、男女が互いを蔑んでいて、異性を尊重する考え方が脆弱なところはあると思うんだけどね。。。

だとすると、なぜ日本には、女性だけが蔑まれているかのように感じる人がいるのか。
これは、多くのライターさん達が『自分が個人的に嫌だと感じている部分』を、さも “世間一般の平均” であるかのように語ることからです。
もともとは特定の思想に偏った考えなどなくても、自然にそういう記事ばかりを読むことで、それが平均であるように感じるのです。

そんなわけで、労働問題・老害問題・男尊女卑問題なんかは、日本は実際に住んでる人達が考えているほどには、実は悪い国じゃないんです。
もちろん、「現に “私は” 困ってるんだ!」と感じてる人達は確かにいて、それらの人達を救う手段は必要だけど、でもそれは日本が他国と比べてどうかとなると、それは全然違う話。

ただ、日本が良い国かってぇと、もちろんそれもなくてですね。
客観的に見ても悪い、というポイントだってあります。
その1つが “日常が窮屈” なところ。

日本って窮屈ですよね。
ちょっと騒ぐとすぐ苦情が来る。
残業にはルーズなクセに遅刻にはうるさい。
公園に行くとジジィが若者をみんな追い出しちまう。
母親として“ちゃんと”してないと周囲から色々言われる。
コンプライアンスが厳しくて面白い番組が作れない。
などなどなど。

海外の人達の目から見ても、日本は観光地としてはそれなりに優秀だけど、実際に暮らすとなると窮屈だとされているようです。

とはいえ、それがなぜかとなると、これがまた理由がハッキリしません。
“同調圧力が強く、出る杭を打つ文化があるから” と思ってる人も多いけど、これは明確に誤りです。

なぜなら、同調圧力そのものは世界中にあるからです。
“身の回りを自分の思い通りしたい” と思ってる人は世界中にいるものであって、そういう人は国を問わずどこも同じです。
それ自体は「犯罪者は世界中にいる」と言ってるのと原理的には同じで、だから日本だけが特別に同調圧力が強いわけがないのです。

だとすると、なぜ日本人だけが窮屈な思いをしなきゃいけないのか――。
気づいてしまえば当たり前のことなんですけど、同調圧力が強いのではなく、“同調圧力に屈しやすい人が多い” からです。

2. 窮屈の原因は自信のなさから

一時期、自己啓発の界隈で、“自己肯定感” なるバズワードが流行っておりました。

この言葉は本来は『自分を肯定してもよいと思える暮らし方をすること』という意味で使われたのですが、残念ながら正しく理解できる人は多くありませんでした。
厳密には、これを正しく理解できる人達にとって、こんな言葉は最初から必要なかったんです。

自己肯定感という言葉を本当に正しく理解しなきゃいけない人達――つまり自己肯定感が現時点で低い人達――は、当然ながら意味を正しく理解することができず、『無理をして気丈に振る舞うこと』と捉える人が一時激増しました。
その結果、現在では『自己肯定感は無理して高めなくてよい』という論調の記事も増えてきています。
で、これを『自己肯定感はそもそも高める必要がないもの』と過剰解釈する人が現れて、正直始末に負えません。

自己肯定感ってのはさぁ、、、、
これも当然のことではあるのですが、自分の中の “特技” と呼べるもののレベルアップを図ったり、またはその特技の数自体を増やしたりすれば、自然に上がっていくものなのですよ。
確かに本質的には、意識的に高めるものじゃあございやせん。

でも自己鍛錬が嫌いな人は、この “特技” なるものが伸びないし、増えないワケです。
なぜなら、新しい挑戦をするってことは、つまり周りと違うことをするってことだからね。

すると途端に、「そんなことしていいの?」「それって大丈夫なの!?」「そんなの意味あんの?」なんて心ないことを言うヤツが現れるのですよ。
心当たり、あるでしょ?

、、、それ、違うよね?
実際には、これらの野次馬達はやっていいことなのかどうか確認してるだけだよね?
でも、まだ自信が身についていない人は、やっていいことなのかどうかただ確認されただけで、不安になってその新しい挑戦をやめてしまうのです。

また、日本語は文法的に否定語が使いやすいため何かにつけて否定語をよく言う人も多く、ただ質問を受けただけなのに「否定された」と感じるケースがどうしても多くなってしまいます。

そして挑戦をやめてしまう。だから自信がつかない。
自信がつかないから何もできない。
そして自分も否定されたからという理由で、周囲の挑戦者達に同じことをする。
その結果、自分に自信がない人がさらに増える、と。

完全に負のスパイラルですよね。

ぶっちゃけて言えば、日本が窮屈だという認識は 、この状況を断ち切ろうとする意識がない人達が勝手に感じているもの、ともいうことができます。
ただ、そういう人の数が物凄い多いだけで。

3. 窮屈な暮らしから脱するには?

日本を窮屈な国でなくするための方法論として、比較的多くの人が「同調圧力がなくなればよい」と思っているのではないでしょうか。
でもこれは現実的ではありません。
一個人が、世界を簡単にポンと革命することはできないからです。

それよりは、“同調圧力に屈しない自分になる” 方がずっとずっと簡単です。そうでしょ?

『世界を変える』のと『自分を変える』の、どっちが簡単?
自分を変えた方が何億倍も楽なんです。

そのためにまず大事なのは、「新しい挑戦は面倒くさい」という気持ちが、“不安から来る錯覚” だと気づくこと。
新しいことにチャレンジしない人の多くは、自分が不安を感じていること自体に気づいていません。

自己啓発関連の記事には「何か新しい物事に挑戦するとき、『失敗したらどうしよう』なんて気持ちになって足踏みしてしまうことってありますよね?」みたいなこと書いてあります。
でもこうした記事を読んでも、「自分は『失敗したらどうしよう』だなんて思ってない」と認識してる人は多いと思います。

自分が新しい挑戦をしないのは、ただ面倒なだけだ。
別に不安だからじゃない、と。

でも、そもそもそれがおかしいんです。
人間は、新しい挑戦を「面倒だから」という理由で避ける生き物ではありません。

なぜなら、「楽しい」という感情自体が、

今まで出来なかったことが、出来るようになった

という感情であることが心理学的に分かっているからです。
つまり『楽しい』とは、なにか新しい挑戦をして、それが巧くいったときに感じる感情なんです。

世の中に「楽しむのが嫌い」なんて人います?
いたら手ぇ挙げてみて?
ぜぇっっっっっったい ありえないでしょ?

つまり、人間の『新しい挑戦がしたい』という感情は “本能” なんです。
食欲、性欲、睡眠欲などと同じように、挑戦欲とも呼ぶべき欲求が存在するんです。
(もちろん挑戦欲という言い方はしないですけどね)

一般論で食欲や性欲がないのって、どういうとき?
ストレスがスーパーマックスでだいぶヤバいときでしょ?

それと同じ。
別にスーパーマックスじゃない普通の人が、“新しい挑戦を面倒くさく感じる” なんてありえないんです。
その面倒くさいという感情自体が、“不安” が転嫁した錯覚なんです。

新しい挑戦を面倒と感じるとき、実はあなたは不安を感じているのです。

なんでかってぇと、新しい挑戦がしたいと思うのと同じように、“出来の悪い自分を認めたくない” とか、あるいは “自分は世間一般の平均レベルだ” と思いたいのもまた本能だからね。
自分だけが不安を抱えていることを認めたくないのよ。
だって人間だからね。

だから残念ながら、その面倒くさいという感情は “不安症” の症状の1つなんです。
ただ、治療が必要なほど重度ではないだけで。

不安を振り切る方法1. 我慢する

なにか新しい挑戦をする際、必然的に湧きあがってくる不安を振り払う方法としては、まず1つは我慢することが挙げられます。
もちろん、できる人だけね。無理はよくない。
けど、少しでもできそうな気がするなら、不安を我慢する価値はあるってこと。

当然ながらその我慢は別に挑戦し続けるかぎり一生続くわけではなく、その新しい挑戦が “軌道に乗る” までで大丈夫。
我慢しなきゃいけないのはあくまで最初だけってこと。

そのうえで、できないことに何でも挑戦するんじゃなくて、 現在すでにできることと比べて、難易度は2割増しほど難しいだけだと “自分で分かる” 物事に挑戦するのがちょうどいいです。
それくらいの難易度なら、通常であれば3ヶ月もあれば十分できるようになります。

たとえばこんな感じ:

  • 棒人間しか描けない人が、アニメイラスト風の顔を描けるようになる

  • ギターを全く弾けない人が、一番簡単なコードを4つ覚える

  • マラソンが10キロしか走れない人が、12キロ走れるようになる

ド素人のクセして世界のトップスターになりたいとか、そういう大きすぎる夢を見るから嫌になるのであって、それと比べれば “今の自分の2割増し” くらいならはるかに簡単でしょう。
もちろん、どれくらいを2割と呼ぶかも自分で勝手に決めていいし、それができたら次はさらに2割増しの難易度に挑戦することも前提です。

挑戦する難易度を常に “今の2割増し” にすると、とってもいいことがあって、感じるストレスが常に同じになるんです。
つまり、努力し続けるために必要なストレスに慣れることができます。

で、そういう挑戦を3ヶ月ごとに繰り返すと、、、

1.2 × 1.2 × 1.2 × 1.2 ≒ 2.07

1年でだいたい2倍、2年で4倍のになる計算です。
それくらいの実力が身につけば、同調圧力を受けても「素人がホザいてら」と思えるようになります。

不安を振り切る方法2. 筋道を探す

それから、不安を振り切るもう1つの方法としては、成長するために必要な筋道を先に探しておのもいいです。
もちろん調査をするからにはそれなりに時間を食うけど、挑戦する物事のストレスが大きすぎる場合に有効です。

世の中には「迷ってないでとにかくやろうよ! 考えてもしょうがない!」とかすぐ言う人とかいるけど、でも挑戦する前にしっかり考え尽くした方が巧くいきやすい人だっているでしょ?
だから迷ってないで体を動かすのと、動き出す前に散々迷うのどっちがいいかってぇと、別にどっちでもいいんです。

なぜならば、実をいうと “不安” という感情は、“ワクワク感” と完全に同じものだから。
どちらも、脳内のセロトニンが減少することで発生する感情なんです。

だから理屈の上では、不安を感じているときはワクワク感を感じるチャンスでもあるわけで、そういう遠回しな意味で「ピンチはチャンス」という言葉もあながち的外れというわけでもないんです。
だから、この言葉は正しくはこう。

神経学的には、ピンチはチャンス。

でも日常的には、不安感とワクワク感は全く違うもののように感じられますよね。
なかなか就職が決まらなくて不安でいっぱいの大学生が「オラ ワクワクしてきたぞ」とか言ったら、それはそれで新種の変態です。

だとすると、脳内での発生原理が同じはずの不安感とワクワク感は、いったい何が違うのか。
それは “解決の道筋” が見えているかどうか、です。

何かに不安を感じるとき、その不安に対する解決策がすでに分かっていると、人間はそれを不安ではなく “ワクワク” と錯覚するんです。

だから何か不安に思うことがあって、かつ自分が何に不安がっているのかが見えているときは、解決の方法論を優先的に探すようにすると気持ちがだんだんワクワクしてくるものなのです。


もちろん、我慢するにしろ筋道を探すにしろ、それができるようになるまではそれなりにツラいですけどね。
そこは実力が足りないからしゃあない。

でもそれができるだけの実力が身についたとき、日本は窮屈な国、という認識自体が錯覚だったことに気づきます。
今回のこの記事も、「なぜこんなに日本は窮屈なの?」 ⇒ 「そんな事実はない」と考えられるようになるのです。

本当にがんばりたくないなら、別にがんばらなくったって誰にも迷惑かけないんだけどさ、、、
でも、日本は窮屈な国なんかじゃないと思えた方が、絶対楽しいでしょ?

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ここまでお読みいただきありがとうございました。
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