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のら努力家は日本語わかる?(1)のらねこ、「正しい」が分からない

皆さんは、“正しい” って言葉を正しく使えてるでしょうか。
誰かを慰める目的で他を貶すときなど、別に正しくも何ともないものをついうっかり 正しい と表現していないでしょうか。

単にその場で間違えただけで済むならいいんですけど、この正しいは、間違った意味で覚えると人生が大きく狂うことも多い言葉です。
なんせ、日常生活の根底に近い意味の言葉ですから。

いつもお読みいただきありがとうございます。
もしくは初めまして。

僕は目標管理アプリ Project Sylphius の開発・運営を行っている TOMCAT HEART の中島といいます。
日々の暮らしにゆとりを持ったり、あるいは暮らしを徐々にスローライフ化していくためには、日々の暮らしにゆとりを作るという目標設定のもと、具体的な行動計画が必要です。
世の中には、それがやりたくて何年も苦しんでる人が大勢いるようです。

そういう人達に何かノウハウを提供できないかという主旨の元、この のらねこに何ができる? では、目標管理のプロとして僕自身が計画して実行してきた様々なこと、学んできたことを、なるだけ面白く書いて知識の肥やしにしていただく内容となっております。
今までのバックナンバーはこちらです

前回まで連載していました外国語学習のシリーズもひと段落しましたので、今回はもう少し基本に立ち返ってそもそも努力って何だろうという部分について書いていきたいと思います。
“のら努力家は日本語わかる?” と題し、目標管理と関係のある言葉で、多くの人が意味を間違えて覚えてるケースの多いものをピックアップしていきたいと思います。

連載計画はこんな感じ:
1. “正しい”ってどういうこと?(今回)
2. “責任を果たす”って何をすること?
3. “特技”を聞かれたら何を答えればいいの?
4. “やる気”や“愛”の大きさを数値で計る方法
5. “ちゃんとやる”って、何を?
6. “ちょっと考えれば分かる”って本当?
7. “最優先の業務”よりも大切な仕事
8. “休む”って何をやること?
9. “努力”という言葉が嫌いだなんて絶対おかしい
10. PDCAとかOODAとか、考えすぎじゃない?

てなわけで最初は “正しい” って言葉について。

ときどき、“正しい家族”とか“正しい仕事”なんてもののイメージ象と現実とのギャップに悩み、あまつさえ心の病気になる人もいます。
そういう人のそばには、“自分だって知らないくせに、人には正くあることを強要する人” がいることも多いです。
また昨今では “正しい努力は報われる” といいますが、その “正しい努力” なるものが分からず怒る人もいます。

はてさて、“正しい” っていったいなんなんでしょう??

1. 辞書上の定義

Weblio辞書 によりますと、正しい とは以下のことのようです。

1 形や向きがまっすぐである。
  ㋐形が曲がったりゆがんだりしていない。
   「線に沿って—・く並べる」「—・い姿勢を保つ」
  ㋑血筋などの乱れがない。「由緒—・い家柄」
2 道理にかなっている。事実に合っている。正確である。
  「—・い解答のしかた」「—・い内容」
  「公選法は—・くは公職選挙法という」「—・いトレーニング方法」
3 道徳・法律・作法などにかなっている。
  規範や規準に対して乱れたところがない。
  「行いを—・くする」「礼儀—・い態度」「—・い判決」

Weblio

まとめると、形状や倫理などに何らかの基準があって、それに沿っている、ということみたいですね。

でも、、、
日常生活で僕らは、本当にこういう意味で使ってるんでしょうか。

辞書上の定義と実生活での実際の使われ方が違うケースはままある話。
たとえば批評するという言葉は、定義のうえでは「良いか悪いか判断した結果を述べる」という意味ですが、実際には「悪いと断ずる」という意味で使われるケースの方が多数です。
それと似た感じで、僕らが普段「正しい」と呼んでいるアレコレは、実は違うこともあるんじゃないでしょうか。

2. “正しい” の実際の使われ方の例

さて、以下2ケースの “正しい” は、辞書の定義に即したものだったのでしょうか。

シナリオ1)
1. ラーメン評論家のA氏はテレビに出演
2. とあるお店でラーメンを食べた
3. とても美味しかったので「これぞ正しいラーメンだ!」と称賛し、
 お店の評判は上がった
4. が、それと同時に近隣の店の中に間違ったラーメンを作る店
 
という噂が立ち始めたケースがあった

シナリオ2)
1. 書類のクオリティがいつも及第点ギリギリのBさん
2. 部長はそのことを常々悩んでいた
3. ある日Bさんを叱る際「Cさんを見習いなさい、
 これが正しい書類だ!」という言い回しをした
4. その結果、怒られたBさんだけでなく、
 その部署全体でCさんの書類が基準となった

上記2つ、“正しい” の使い方あってますかね?
Weblio辞書載の 1~3 のどれに該当するでしょう?

それを紐解くには、“正しい” の定義が実は大きく2つに大別できることに着目するといいです。

1. 基準を満たしていて平均的 という系統の定義
  (形などがまっすぐ、事実に合っている など)
2. 模範(=理想状態)に対する一致度が高く「最高」という系統の定義
  (乱れがない など)

この2つです。
つまり(基準を満たしており)“平均的” という意味と、“最高” という2種類の意味があるってことです。
ようするに 正しい は、“少なくとも悪いの範囲ではない” という非常にざっくりした言い方でしかないわけですが、先ほどの2つの例の場合はどうでしょうか。

ラーメン評論家のいう「これぞ正しいラーメン」。
評論家本人は “最高” の意味で使ってますね。
それ自体は上述の定義の 1㋑ 血筋などの乱れがない に該当しそうです。

でも、その後 “間違ったラーメンを作る店” という噂を立てた心無い人達は?
“平均的” の意味で捉えています。

同じように、Bさんに対して悩んでいた部長の「これが正しい書類」という言い回し。
こちらはどうでしょう。
ストーリーをよく見ていただくと、

1. 書類のクオリティがいつも及第点ギリギリのBさん

僕はBさんの仕事ぶりを及第点ギリギリのクオリティはあると記載しています。
つまりBさんの書類は、ちゃんと正しい書類の定義を満たしているのです。
ですが部長は、“最高である” というだけの意味で、正しいという言葉を使ってしまいました。
なおかつ、その後Cさんの書類を基準にし始めた部署の人達は “平均的” の方の意味で捉えています。

これらの “正しい” の使われ方は正しいでしょうか。
仮に正しいとして、健全な使われ方でしょうか?

3. 2種類の意味を区別できない人達について

あくまで個人的な予想なのですが、“正しい” という日本語に(平均的と最高という)矛盾する2つの意味を充ててしまったのは、現在でいう完璧主義者の人達ではないか、というのが僕の仮説です。
時代にもよりますが、昔は完璧主義は良いことだと考えられ、好意的に捉えられていた頃もあります。
そういう時代に彼らが「正しい」と呼んできたその意味が、現在でもそのまま受け継がれている側面があると思うんです。

現在では、完璧主義は性格的には欠点である、とする解釈がやや優勢です。

心理学的には、完璧主義は 自責思考・他責思考 とよばれる性格特性を原因として発現します。
これらは、自分や他人に、非常に強い責任を求める性格傾向のことです。

それゆえ完璧主義者は白黒思考が強く、最高のもの以外は全て不合格と捉える傾向もあります。
彼らが “良いか悪いか” で判断しているように見えるとき、実際には “最高かそうじゃないか” で判断しているケースが多いということです。
そのことを反映させ、シナリオ2の部長は非常に完璧主義の強い人物として描いています。

彼らにとって基準を満たした平均的なものとは、すなわち最高のものなわけですから、Weblio辞書に書かれた定義は非常に的を射たものってことになるわけです。

4. 問題は言葉の使い方ではなく受け止め方

評論家の言葉を曲解して悪い噂をたてるのは言語道断であるとしても、シナリオ2は部長が悪いってことで片づけていいんでしょうか。

いいえ。
本当に気をつけるべきなのは、部長の言葉を鵜呑みにしてCさんの書類を基準にし始めた部署内の人達です。
Bさんの書類はちゃんと及第点には達しているので、完璧ではないことを理由に怒った部長は完全に筋違いです。ですので必然的に部署内の人達も、部長の怒りをなかったことにしなきゃいけなかったのです。

Cさんの書類を基準にしてしまったら、部長に怒る大義名分を与えてしまうことになります。そして大義名分があれば怒っていいと思ってる人は、だいたい次からさらに高いレベルを求めるでしょう。
そんなことになったらキリがありません。

前述のとおり、正しい という言葉には “平均的” “最高” という2種類の意味あるのであって、どちらの意味で使うかは状況次第なのです。
どっちの意味でなければいけない、または どっちの意味で使うのが望ましい なんて決まりもありません。

また、人を誤解させるような言葉を選ぶ方にも問題はあるのですが、話し手側に問題があるからといって、聞き手側に問題がないことにはなりません。
どちらの意味で使われたのかを、聞き手側が勝手に決めつけていい理由にはならないのです。

たとえば世の中には、正しい家族像と現実とのギャップに悩み、自分の家族は正しくないことに悩んでいる人達がいます。
通常多くの場合彼らは “正しい家族” という言葉を、“最高の家族” という意味だと勝手に決めつけています。

ですが実際には “正しい” という言葉には2種類の意味があります。
ですので、

1. いつもみんなほがらかで、しっかりと立派な子供の育つ楽しい家族
2. いつも喧嘩ばかりで、家族という体裁もギリギリ保ってるだけの家

実際には 1. 2. のどちらも正しい家族なので、家族が正しいかどうかで悩むのは筋違いなのです。

大事なのは、どちらの意味なのかを、つどつど考えていくこと。
どっちかじゃないといけない、じゃないんです。
“正しい” って言葉がどっちの意味なのか悩んだら、どっちで捉えた方がよりハッピーになれるかを基準にするといいです。

その思考を止めてしまうことで、“正しい自分” になれなくて悩む、なんてことになったりするんじゃないかなと思います。

ではまた。

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ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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