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のらねこ、日本人の“自分の安売り”が気になる

かつて、日本の工業製品は世界的に高品質で、「安くて良いものはみぃ~んな日本製」と言われていた時代もありました。
日本の製品はとかく、高性能で低価格だったんです。

当時、そのような状況を日本人は誇りに思っていました。
「日本人は凄いんだ! 安くて良いモノづくりができるんだ!」

でもさ、、、
高性能なはずのものが安く売られてるって、そんなに誇るようなことなんでしょうか???

いつもお読みいただきありがとうございます。
あるいは初めて見てくださった方、久しぶりの方もありがとうございます。
僕は目標管理Webサービス Project Sylphius の開発・運営をしています、TOMCAT HEART の中島です。

自分はなぜ周りから評価されないのか。
別に出来が悪いわけじゃないのに良い評価がもらえない。
本当は自分は努力不足なんじゃないだろうか。

いつもそんなふうに考えてしまいがちな人は、単純に努力が足りないのではありません。
その努力の前提となる “目標管理スキル” が足りないのです。
目標管理スキルがないから正しく努力できないのだし、目標管理スキルがあれば、楽しく長く続く努力が誰にでもちゃんとできるようになります。

この のらねこに何ができる? では、だったら目標管理って何? ってことを学んでいただくため、僕が自身で考えて自分で実行してきたいろんなことを、なるだけ面白くお届けする内容となっています。

現在連載中の “のら地球人に日本が分かる?” シリーズでは、いろんな外国語を学習してきた僕が、そういう人間じゃないと分からない視点から日本を考えています。

全体の執筆計画:
1. 海外の犯罪文化は日本とどう違うの?
2. そもそも“国家”ってなに?
3. “国民性”なんてものが本当にあるの?
4. 日本人は空気が読めるって本当?
5. “〇〇なのは日本人だけ”って本当?
6. 日本はどれくらい暮らしにくい国?
7. 日本語って他の言語とどれくらい違うの?
8. 高品質なものが安いって本当にいいこと?(今回)

過去のバックナンバー


1. ヨーロッパは今、とんでもないインフレの状況にある

2024年現在、ヨーロッパは絶賛インフレ中です。
率は品目によって様々ですが、1年で25%以上も値上がりしたものもあるようです。

でも日本は逆ですね。
世界中が値上げ値上げでヒーヒー言ってるところに、日本だけ「むしろデフレが始まるのでは」とも言われています。

知ってました?

まぁ、そもそも信じられない人も多いかもしれませんね。
主婦の方々とか、とりわけ強く値上げのあおりを食らってると、日本がデフレに入りかけてるなんて実感はないと思います。
つまり、昨今の世界的な値上げに比べたら日本なんてたかが知れてるし、むしろ品目によっては下がってる項目すらあるって意味です。

もちろん、品物が安く買えること自体は、一般消費者にとっては喜ばしいことです。
たとえば缶チューハイ等の中低所得者層向けの低価格食品の類は、値上がりは(多少しましたがそんなには)してません。
これ自体、酒を飲む立場としては大変助かっています。

でもだからこそ、この状況のダークサイドに目を向けられる人が少ないように思うんですよね。
今いるところがまさにダークという状況では、裏側にもう1枚さらなるダークサイドがあると認識するのは難しいでしょう。

でもこれは、この状況の今だけの話ではなく、数百年以上前から連綿と続いてきた日本人の悪癖に関することです。

良い物が安いという状況は、あくまで一般消費者の立場から見て助かるだけで、決して売り手が誇るようなことじゃないんです。

2. 良い物が安い = 自分を安売りしてる

日本の製品は安くて高性能と言われますし、そのことを誇らしいとすら感じている面があります。

でも、高性能なものが安いってことは、

  • 本来はもっと高くてもいいはずの製品を

  • 安い製作費(=安い人件費)で制作している

ってことでもあると思いませんか?

つまり、良い物が安いことに誇りを持つということは、“自分を安売りすることに誇りを持っている” と言ってるのと完全に同じなんです。
言い換えれば、「この程度の安い給料で我慢してる自分偉い」って言ってるのと変わらないってこと。

そんなの誇るようなこと?
自慢することじゃないでしょ。
そんな考え方、絶対恥ずかしいでしょ。

でも、それが恥ずかしいことだと分からない人が多いから、いろんなところで人件費が全体的に下がってしまいます。
アニメ業界然り、エンジニア業界然り、介護業界然り。
安い給料でも我慢して働く人がそれだけ多いからです。

なぜ収入が安いまま我慢をしてしまうのか。
つまり、なぜ値上げ交渉ができないのか。

値上げ交渉ってのは別に、考課面談のときに「もっとお金ください」とか言うばかりではありません。
就職情報サイトで実入りのいい仕事を探すことだって、立派な “値上げ交渉” です。
自分に対する値上げ交渉ね。
分不相応な給料で我慢してたら収入が増えないのは当たり前のこと。

なぜ日本人は、収入を増やすための行動ができないのでしょうか。

その理由については、様々な場所で様々な人が様々言ってます。
それらはそれらで、それぞれが正解の1つなんでしょう。
が、僕個人としては、圧倒的な自信のなさが原因なんじゃないかなと思うのです。

だって日本人は、文化的に “褒められ慣れてない” 人が多いからね。
「褒めるという行為は、そう簡単にやるものじゃない。日常的に簡単に褒めたら、本当に凄いことをやったときに霞んでしまう」
そんなふうに考える人が多いです。

その結果、大人になるまでそんなに褒められもせず、でも怒られるときはしっかり怒られて育った人がそれなりの数いるわけですよ。

当然ですが、大きくなるまであまり褒められずに育った人は、大人になっても何となく自信のない人になります。
なぜなら、あまり褒められてないってことは、自分のどういう面を誇っていいのか分からないってことだから。

そういうの、大人は「いやいや、自分の誇りなんか自分で決めたらいいじゃん」とか言うんだけど、だからといって子供が「じゃあ僕はゲームが上手いことを誇りにしたい!」とか言うと、それはそれで怒るでしょ?

子供は、周囲から褒められなければ、自分の誇りに思うべきポイントが分からなくなります。

なぜなら “誇らしい” とは、

  • 自分にとって自慢に思っている事柄が

  • 周囲からも認められている

ってことだからです。
ですから、そもそも誇りは自分勝手に1人で決めるものではないんです。

ゆえに、「だったら何を誇りに思えばいいの?」ってことは、実際に褒められてみないと分からないものなのです。
でも日本人は子供を褒めない。
褒めないから子供のプライドが育たない。

で、その “褒めない文化” が巡り巡って、最終的に日本の給料がいつまでも上がらず貧乏な国になってしまったってワケ。

3. 日本の“褒めない文化”ってどこから来てるの?

よくよく考えたら、日本の “褒めない文化” って不合理ですよね。
褒めて悪いことなんか何もないのに、日本人はみんな「人をそう簡単に褒めてはいけない」と思ってる。
こんな不思議な文化、いったいどこから生まれてきたんでしょう?

これに関してはいろんな人がいろんな意見を持ってると思うんですが、僕としての答えは『子供は褒めたらつけあがってサボりだす、という迷信から来ている』という考えです。
昔の教育論ではよく言われたんですよね。
子供はそう簡単に褒めちゃいけないって。

だからその理論で育った人が、なかなか褒め言葉を口にしないんだと思うんです。

でもさ。。。
その理屈、普通に変だよね?
常識で考えたら、人間は褒められたら「もっと褒められたい」って思うのが当たり前でしょ?
だって人間だもの。

だとすると、ここでいわれている “褒めたら努力をやめてしまう子” とは、いったい何者なのでしょうか。
そんな子供がもし仮に本当にいたとして、どういう状況にあれば、その子は褒めたら努力をやめてしまうのでしょうか。

それも非常に簡単です。
褒めるとつけあがってサボるってことは、“褒められること” が本人の中での目標だったってこと。

そうでしょ?
だからこの “褒めない文化” は完全に負のスパイラルに陥っていて、褒めない文化があること自体が、褒めない文化がなくならない理由になってしまってるんです。

普段からあんまり褒めないから、子供は褒められることそのものが目標になってしまう。
そんで褒められるとそれで “目標を達成してしまう” のですから、もうそれ以上努力する必要がなくなってしまうんです。

対して、普段からちょくちょく褒められている子は、褒められること自体は目標になりません。
だってそういう子にとって褒め言葉は、ちょっと頑張ればすぐ得られるものですから。

ですから、能動的に自ら頑張る子を育てるには、積極的にちゃんと褒めないとダメなんです。

ただしこの『ちゃんと褒める教育法』は、過剰適応すると割と簡単に『叱らない教育法』にすげ変わってしまいます。
なぜなら、教育論に興味がない人には、我が子のいいところよりも悪いところの方が目に付きやすいように見え、それゆえ『我が子に褒められる部分なんてない』と思ってる親も、世の中にはそれなりに多いからです。

叱るべきときに叱れないのは、ちゃんと褒めるのとは違います。

じゃなくて、“褒められる場所を無理に探してでも褒める” ことが大事です。
それは『褒めるべきときは褒める』『叱るべきときは叱る』ってことです。

またこの褒めない文化は、日本語の言語的な欠陥の問題でもあります。
日本語って、褒め言葉の語彙が少ないんですよね。

たとえば、やってもらって嬉しかったときの褒め言葉の代表格って何があります?
「ありがとう」ですよね。

でも、やってもらって嬉しかったときに言う言葉は、逆に「ありがとう」くらいしかないし、むしろそれすら言い渋る人が結構います。

かつて、勝新太郎って俳優さんが亡くなったとき、彼がかつて奥さんに送った言葉がカッコいいってことで紹介されたことがありました。

ありがとうって言葉は、そう簡単に言うもんじゃないんだ。
もっと特別なものなんだ。
だから僕は普段から滅多に「ありがとう」を言わないんだ。

勝新太郎の妻への言葉

こんな感じだったかな?
で、これを読んでカッコいいと思った人。
ハッキリ言い切りますけど、精神的に幼すぎます
全然カッコよくなんてありません

「人それぞれとか」そういう「そういう考え方もある」とかそういう次元の話じゃなくて、
そもそも感謝は普段から つどつど すべきものです。

こういうのがカッコいいとされる国だったから、今の日本は悲惨なんです

これも断言しますけど、良いと思ったものに良い評価をしないのって、ただの意地悪です。

褒め言葉を素直に口にできない人は、気恥ずかしいんじゃありません。
精神的に子供で意地も悪いから人を褒められないし、ろくにお礼も言えないんです。

勝新太郎さんが奥さんに送った言葉は、実際には『奥さんに子供っぽく甘える言葉』です。
決してカッコいい類のものなんかじゃありません。

本人、割と硬派な俳優でしたからね。
それが奥さんの前ではただのクソガキだったってところがギャップ萌えだっただけで、これを「旦那さんは本当は感謝していた」と捉えてはいけないんです。

人間とは、“正当な高い評価” を得ることによって成長する生き物です。
世のため人のために働くのはあくまでもそのための手段であって、断じて働くことが生きる目的ではありません。

だから、感謝されたり褒められたり、そういった経験があまりない子の自信が育たないのは、あまりにも当たり前すぎる話なのです。

4. 人を褒めるポイント

なので日本人は、もっと人を褒め、嬉しいことに感謝を伝える方向に文化をシフトしていかなければいけません。
そうでなければ、日本はいつまでも世界的に低迷したままだし、シナリオによっては滅亡一直線です。

今の日本は “褒める文化を育てられるかどうか” の意味で、正念場なんです。

人を褒める際に大切なポイントはこれだけ!

  1. チャンスがあれば “すかさず” 褒める

  2. 褒める “根拠を” 無理やり探して褒める

この2つ。

褒め言葉とかお礼の言葉ってのは、当たり前だけど意識的に発声しなければ声に出てきません。
ビックリしたときは「わっ」とか「きゃっ」とか勝手に口から出てくるけど、「ありがとう」とか「すごいね」が咄嗟に口から出てくる人はいません。

だから、褒めるチャンス、お礼のチャンスだと思ったら、間髪入れずすかさず言うことが大事です。

また、普段から褒めたり・お礼を言ったりする習慣がない人は、“言わなくていい理由” を無意識に探して黙ってしまう傾向があります。
「母の日にまとめて感謝してるから ありがとう はいらない」とか「子供が100点とれたら言うから、90点のとき褒めなくていい」とかね。

そんなの、相手からしたらただの不合理でしょ?
ですから褒め言葉やお礼なんてものは、多少無理やりでも言うくらいがちょうどいいんです。

そしてみんながそういったことができるようにならないと、『自分を安売りすることに誇りを持ってる国』なんて歪んだ状況を改善することはできないのです。


さて、 “のら地球人に日本が分かる?” シリーズは今回で終わりです。
来週からは、多くの人が疑問に思ってる謎ワードの話。

「は? 正しい努力って何? 努力は努力に違いないでしょ」
に、ちゃんとお答えする話をお送りします。
いわゆる、正しい努力の仕方。

“正しい努力” は “楽しい努力” なんだってことが伝わればいいなと思います。

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