【学生時代に慣れしたんだ音楽】 甘酸っぱいJAZZサークルの思い出…?
【ジャズ初心者の方にお勧めの1枚 Art Pepper Meets the Rhythm Section】18歳の時に、Jazzサークルに入部した際に1番上の兄からの厳選した入門編としてのプレゼント…卒業時には、Golden Toiletという菊地成孔先生の初期のレアCD(マニアに売ったら大変な金額になるはず)を寄贈されています。
【私の印象】アルトサックスのソロが、端正なイメージをもって聴いていました。数年前から聴き直すと「ちょっと陰のある選曲だな」と。
Tin Tin Deo (Album Version)は中学校でのリスナーとして…このアレンジを
東京スカパラダイスオーケストラ 「Tin Tin Deo」
NARGOさんのトランペット、やはりカッコいいですよね。東京スカパラダイスオーケストラ、それぞれのブロマイドが発売されていて…決めポーズに笑ってしまった記憶があります。
「Cannnonball Adderley-枯葉」BlueNote名盤のUTなどにも起用される
名盤中の名盤…なぜか?アルフレッドライオンの窮地を救った1枚だから。
ただ枯葉は、JAZZではないことをここに付け加えておきます。往年のブルース、ブロードウェイミュージック、シャンソンなどを取り入れた柔軟性のある音楽。それがJAZZの定義だからです。
Miles Davisが有名になっていた当初、資金繰りにピンチとなった際に
「推薦する奴がいるから…」と自分の名義ではなく、アダレーの名前でこのアルバムを出しヒットしたというクインテット。一歩ひいた陰の立役者、それが夜の音楽を作り出した、マイルスデイビスという帝王だと学びました。
(当時19歳、胸が熱くなるエピソードに畏敬の念を抱いた記憶)
「quasimode-The Man from Nagpur」アシッドジャズの中核でしたね…
JAZZ研の同期、ピアニストの元親友がコピーしていた曲。私は趣向が違うので、「戦隊モノ」と評していました。軽い感じが聞きやすいですよね…
当時、岩田屋のVirgin Recordsにはステージがあって、サークルの友人に連れられて行ったJazztronikのライブ。ダンサブルで心地よいアシッドジャズとは、こういうことなんだと体感しました。
当時、BSなどで「ドイツはサイレントディスコが発達している?どういうこと??」と興味津々だった者としては、日本の踊れる音楽との格差は歴然…海外の二番煎じですよね?と違和感を持ったリスナーでした。
「電気グルーヴ/Flashback Disco」ポポはポンキッキーズで有名に♬
鬱積していた学生時代の私を気遣った、兄の計らいなのかもしれません。兄と同じ進学校で、二人ともその中で落ちこぼれ。あまり、高校生活を懐かしむことはありません…同窓会も1度も顔を出していない。
けれども、同級生とはキャナルシティ博多のバイト先で遭遇して…アジアナ航空でCAとして活躍していたLV(フランスではおむつ入れとして有名)
「INO HIDEFUMI/スパルタカスのテーマ」この後、オリジナルや
ユセフラティーフの名演を出せばキリがないので。
以上、当時流行った思い出の曲達と私が聴いていたものとの対比。
「何も変わっていないわね…」(いや、看護学生として午前様まで勉強している中での、スタバでのバイトなので。勉強がスパルタで全力投球なのは何も変わっていませんが?何か??)とマウンティング?とも捉えかねない発言に、疑問を感じた苦学生時代。ジョイフル(大分本社で、九州から関東に数店舗展開のファミリーレストラン)のごぼうの唐揚げとか、ミルフィーユとか食べて…深夜遅くまで、分厚い過去問を5回以上繰り返し解説を読み込んでいました。ファミレスで勉強していた頃が懐かしい。
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