『現代哲学のキーコンセプト 真理』|読書ノート

チェイス・レン『現代哲学のキーコンセプト 真理』, 野上志学訳, 岩波書店, 2019

割と最近邦訳されて出たこの本。意外といいので色んな人に読んで欲しい。

このnoteの目次がそのまま『真理』の目次に対応するように作った。
ご自身で読まれるときに杖代わりにして頂ければいいかなと思う。ざっとどんなトピックがあるか、どこが話のメインかはこのnoteで分かると思う。

『真理』には文献案内がついているのだが、いちいち『真理』を手にとって調べるのも面倒だと思うし、ある程度はここから当該文献に飛べるようにしたいとおもう(ちゃんとした研究がしたい方は『真理』買って文献リスト見てどうぞ)。僕が読んで勧めてるわけではなく、この本のオススメを写してるだけなのであしからず。ただ元がしっかりしてるのでnoteの文献案内だけでも結構ボリュームが有る。最終的に文献は40件ほど紹介してる


1 真理とは何か

1.1 真理と真なること

「真である」とは何か?何かが正確である、物事を正しく捉える、とは何を意味するかを問う。

1.2 真理の担い手

真理の担い手の候補として文や命題があるが、基本的にはこの論争をskipして真理の担い手を「主張」と中立的にしておく

1.3 真であることと真であるとされること

「真であること」と「真とされていること」は違う。真理論は前者、つまり「Sが真であるのは、sというときであり、そのときに限る」に関わる。(T双条件文、同値性スキーマ)

1.4 この先のこと

2章は客観性、3章真理の価値、4-7章真理論の様々なアプローチ

文献案内

真理の担い手についての議論はキューネ『真理の概念』5章(邦訳なさそう)

現代的な命題の概念はフレーゲの「思想」

クワイン『ことばと対象』2章は「ある二人が同じ命題を表現しているかはわからないかもしれない」と言うお話


2 客観性

2.1 実在についての3つの描像

実在論は何かが心から独立していると考えている。相対主義は真理はすべて誰かの信念だと考える。反実在論は真であることそれを知ることを一緒に考える。2つの問が成り立つ。①あるものは誰が何を信じていようと真か②原理的に誰もそうだと知る方法がないのに真であるものは存在するか。

2.2 実在論

実在論の主張するアクセスを否定する立場を懐疑主義と呼ぶ。現代哲学は、知識を持つためには誤りの可能性があっても構わないとしてこれを切り捨てる。

2.3 相対主義

相対主義には主観(相対)主義と合意相対主義がある。どちらも、誤った信念を持ちえないという問題がある。相対主義は実在論の代わりにならない。

2.4 反実在論

反実在論によると私達が真偽を見出す方法なしに、それについての事実は存在しない。実在論との論争点3つ。フィッチのパラドクス。反実在論は好ましくないコミットメントを含む。

2.5 客観性と同値性原理

相対主義・反実在論・実在論は(2.2-4)どれも困難を伴うが、同値性原理をクリアできるのは実在論だけである。懐疑論には「理想が高すぎ」と言えばいい。

文献案内

ヒュームの『人間知性研究』は特にⅡ-Ⅴ節が懐疑主義の問題


3 真理と価値

3.1 真理は本質的にある種のよさなのか

良さの性質を「規範的性質」(⇔記述的性質)という。ダメットは「真なる言明を目指す」ことで真はある種のよさであると言う。/しかし「正しい」ことと真理は違っている。

3.2 何が真理を価値あるものにするか

真理を勝ちあるものにするものとして5つのものが考えられる(p.50早見表)

3.2.1 真理は内在的な価値を持つか

内在的価値:信念が真であるということはそれ自体よい。私達は真理を気にする(lynch2005,kvanvig2008)。/これらは説得的でない。

3.2.2 真理は最終的な価値を持つか

最終的価値:合理的な存在者が真理を気にかける限りで価値がある。合理存在(人)がそれ自体を目的として欲する時その欲されるものはそれ自体よい。この立場は①真理をそれ自体のために気にかけている②真理をそれ自体のために気にかけなければならないと主張する(Korsgard1983)。/特に②など、直感に反する

3.2.3 真理は道具的な価値を持つか

道具的な価値:信念をより役に立つようにするので価値がある。/その逆も成り立つ(Stich1990,Taylor1989)。気にかけることは役に立つかもしれない(Lynch2005)。

3.2.4 真理を気にかけることは構成的なよさなのか

構成的な価値:真理を気にすることは良い人生を送ることの一部だから、真理は気にかけるに値する(Lynch2005)。例えば「知的誠実さ」など。/しかし疑わしい議論。

3.2.5 真理は目的的な価値を持つか

目的的な価値:真理を気にすることが私達に恩恵をもたらすから、真理は気にするに値する(Park, peterson, and Seligman 2004)。あるいは「共同のよさ」が挙げられる。

3.3 結論

真理の規範的価値 (3.2.1, 3.2.2)、あるいはそれ以外の価値(3.2.3-3.2.5)があるかもしれない(特に目的的価値)。前者は真理の本性の言説に影響力がある。

文献案内

Lynchの『True to Life』は真理の価値の外観にいい


4 真理の認識説 

以後それぞれの真理論を見るが観点は4つ。

1. 理論事体の妥当性
2. 同値性原理をパスするか
3. 実在論or反実在論と両立するか
4. 真理の価値を理解する助けになるか

4.1 懐疑論と私達のテストがテストするもの

真理の認識説の”テスト原理”:真かどうかのテストをパスするなら真である。(認識説共通の原理) テストが何であるか、テストをパスするとは何かについて「整合説」「プラグマティズム」がある

4.2 真理の整合説

真理の整合説:整合的で包括的な集合に含まれるなら真である。説明的なつながりを持ち無矛盾であることが要求される。Blashard 1939は整合性がテストだという。

4.3 整合説の問題

整合説の問題:整合的なシステムの集合を複数考えることができ、複数の整合的なシステムの間で、(特に偶然的な)命題が真であり偽であることになってしまう。(cf. Russell 1912)

4.4 真理のプラグマティズム

プラグマティズム:性質とは事物との関係がもたらす行為の結果である(Peirce 1878 「実践的帰結」と言う)。真理の実践的帰結とは「それを探求するなら、それを受け入れるようになること」だ。/探求の終わりは問題含みである。
プラグマティズムの問題点:①我々の探求が最終的な合意にいたるという見解は怪しい。②Jamesの真理は「役に立つ」以上の意味を持たず、偽であるが役に立つものはある。

4.5 認識説と同値性原理

同値性スキーマを使うと(4.2, 4.2)矛盾する命題が(多くの整合的システムで)真になる。(4.4)探求の最後は怪しい。またジェイムズのそれは反例を持つ(非有用だが真)。

4.6 認識説と実在論と反実在論

基本的に反実在論にコミットする。パース-プラグマティズムはこれの恩恵を受ける(最終的探求に至らないものは真偽なし)。しかし反実在論への反論がダイレクトにあたる。

4.7 認識説

認識説は価値の理解と相性が良い。James 1907は真理の本性に価値(の説明)を含んでおり、他のプラグマティズムは合理的な許容可能性としてのある種のよさを含んでいるだろう。

4.8 認識説の最終的な査定

真理の価値についての多くの見解と整合的であるが、理論事体は弱く、同値性原理をパスせず、反実在論の欠点を引き入れてしまう。

文献案内

認識説への古典的な反論の概略はRussell「Truth and falsehood」

文献表を見る限り上の本に収録されているということらしいのだが、多分下でタダで読めるのと同じ(だと思う。確認したわけではない)

それから、Bradleyは「Essays on Truth and Reality」で整合説を擁護(特に5章から7章)し(下の文献はタダで読める)、Russell「On the nature of truth」はこれに同調(紫の本が『真理』で紹介してる件の文章を収録してる本、その下がネットで転がってた文章)

ブラッドリーは全然邦訳がない。「Essays on Truth and Reality」(『真理と実在』)についてはホワイトヘッド研究から見て重要なところを抽出したノートがネット上にあったので、一応載せておく。

SEPの紹介もあった


5 真理の対応説

5.1 真理が世界に依存するというアイデア

真理の対応説:主張と世界の関係として真理を捉える。「真理とは主張が実在に対応するということに他ならない」

5.2 古典的対応説

真理は関係的性質、”主張と事実の対応”である。事実とはwitgenstain 1922的な世界のあり方、物事のあり方である(古典的対応説)。しかし、事実が存在しないはずの虚偽は何を支持しているのか。そして、事実と主張はどの様に対応するのか。前者については”事態”を取り入れることで一応説明可能に見えるが、今度はその事態との対応が問題となり、成り立つ事態の文に対応する数と成り立っている事態の数だけ、事態を存在させる必要がある。

5.3 古典的対応から因果的対応へ

対応の神秘を解消するための立論。因果対応説:雪によって「雪」の言語仕様が引き起こされている(指示関係の理論)。主張の真理は単純タームの示す対象が一般タームの指示する性質を持つかによる。

5.4 因果的対応の問題

/「範囲問題」の2つの事例として、指示と充足による真理の定義という方法の問題と、指示の因果説にコミットすることの問題がある。この方法で表せる文の狭さと、抽象的対象と取り持つ因果が問題。

5.5 真理メイカー

真理メイカー:主張を真にする”何らかのもの”が存在する。/否定存在的な主張(~が存在しない)を真にする何かが存在するのはちょっとおかしい。これは真理論ではなく形而上学かもしれない。

5.6 範囲問題

対応説はある種の主張に於いて不適切になる。範囲問題がある。/いくつかの解決が考えられるが、何れにせよ実在論に反することになり、その代償は大きい。

5.7 同値性原理、実在論、真理の価値

古典対応説は同値性原理をパスし、因果的対応説は(整合的ではあっても)T双条件文を含意しない文がある(ので、べき等を含む文を因果対応説はカバーできていないから)。真理メイカー理論はT双条件文と整合的でも、T双条件文が成り立つ理由を説明しない(主張を必然化するものが存在することはその主張の示す事態を含意しないので、T双条件文的な関係をそのまま前提する必要がある)。/そして、見てきたように範囲問題でカバーできなかった主張は実在論の範囲を限界づけるけるだろう。そして実在論と反実在論両方と両立するのは良い。/価値との結びつきは弱いがなくもない。

文献案内

古典的対応説で想定してるのは論考のウィトゲンシュタインやラッセル(上で上げた文献)

事態の形而上学についてはアームストロング

対応説の真理メイカー理論については『真理』日本語訳に際して挙げられた日本語参考文献で秋葉剛史の『真理から存在へ』が紹介されている

タルスキのプロジェクトに関しては、タルスキの指示による真理の定義(「真理の意味論的観点と意味論の基礎」『現代哲学基本論文集〈2〉』所収)と、フィールドによる因果対応説への拡張を見るとよい

例によってSEPの紹介


6 真理のデフレ主義

6.1 真理についての新しい考え方

真理のデフレ主義:「~」を主張することと「「~」は真である」ということは殆ど変わらない。この同値性こそが真理について知るべきすべてである。フランクラムジーの余剰説、W・V・クワインの引用符解除理論、ポールホリッジの最小主義を概観する。

6.2 余剰説

余剰説:「~」というのと「~は真だ」というのは「直接的な真理帰属」の場合、意味論上の違いはなく、強調の差でしか無い。直接的な真理帰属では真とされる主張に省略はない。間接的な真理帰属では真とされる主張は略されている。間接的な真理帰属の場合、「彼が言ったことは真」は彼が言った(かもしれない)「~」の無限の連言が真ということである。/しかし「~」に理解できない文があったら?

6.3 引用符解除主義

引用符解除主義:「~」というのと「~は真だ」というのはどちらも実在に言及しており(「~は真だ」は~の「」を打ち消す)論理的に同値である(2つの主張が同じ意味なのかには言及しない)。連言・全称と同様に真理述語の論理の他には、理解すべき「真理の本性」などない。/人が理解していない(例えばフランス語の)主張の関節真理帰属や、翻訳の不確定性の問題がある。

6.4 最小主義

最小主義:本質を持たず論理的機能を果たすものとして真理をみなす。真理が性質であるかどうか(6.2, 6.3は性質ではないとしていた)はオプショナルな問題。そして、真理の概念がどの様に働くかの規則を知ることが真理について知ることの全てだ。具体的にはPES(Propositional Equivalence Schema 命題的同値スキーマ)と整合的な事例の集まりが最小論理である。

6.5 説明の問題と証拠の問題を解決する

説明の問題:→AなのでAを肯定、説明として十分とするようにを開き直ればいい。
証拠の問題:→なにがなんの証拠かの理解を改めれば良い。

6.6 デフレ主義と同知性原理と実在論

デフレ主義は同値性原理と一致する。とりわけ余剰説、引用符解除主義において、理解不能な主張は真ではなく、ある種の反実在論となるが、それはほとんど実在論である。

6.7 デフレ主義と真理の価値

真理の価値について、真理の本性を認めないデフレ主義は困難となる。解決の一つは信念の本性の理論を使うこと、もう一つは目的的な価値を心理的傾向性で理解することである。

文献案内

余剰説の古典的労作はラムジー「事実と命題」(『ラムジー哲学論文集』所収)による

クワインはいくつかの所で引用符解除主義をとっている

フィールドのバージョンの引用符解除主義と、理解していない文に対する真理帰属の問題への取り組みを含む

SEP紹介

そもそもデフレ主義は「この文は真ではない」のようなパラドクス(嘘つきのパラドクス)をどう扱うかという問題に突き動かされている。レン『真理』は入門としてBurgessを挙げている

「嘘つきのパラドクス」の文献は訳者野上志学があとがきでいくつか挙げている


7 真理の多元主義理論

7.1 真理一言主義と真理の多元主義

単純多元主義:真理述語は異なる「言説」で異なる性質を帰属させる。
真理機能主義:ある主張が真であるのは「真理の役割」を果たす性質をそれが持つことである。

7.2 範囲問題、再び

多元主義の動機:認識説と対応説には範囲問題があった。デフレ主義はこうした問題を回避できたが、多元主義はそれに加えてデフレ主義の問題をも回避すると自負する。

7.3 デフレ主義の2つの問題

デフレ主義の問題:ライトによるとデフレ主義は究極的には矛盾する。真であるということによって保証された主張とそうでない主張を含む同値性スキーマを両方意味するとする。そのため保証された主張の範囲とT双条件文の範囲は同じとみなすことになるが、真理と保証が異なる正しさだという見解にデフレ主義がコミットすることとこれは矛盾する。またリンチによるとデフレ主義は真理がある種の正しさであるという考えと、真理の概念の説明的機能を正当に取り扱えない多元主義はこれを解消する。

7.4 単純多元主義とライトの見解

ライトの多元主義:真であることと正当化されていることは違う(デフレ主義はここを誤った)。真理には認識的なものと対応的なもの(超主張可能性と頑健な対応)がある。

7.5 単純多元主義、混合複合文、混合推論

単純多元主義は(超主張可能性と頑健な対応という2つの)異なる真理の性質の恐らくどちらかしか一つの文に持たないと考えると、混合的な範囲の文(混合複合文)や混合的な範囲の推論(混合推論)において失敗する(これをカバーできない)。よってリンチは「機能主義的な」多元主義を提案する。

7.6 真理機能主義

真理機能主義:いかなる言説も主張が真になる独特の仕方(超主張可能性とか調和=整合)がある(「真理は多」)。そして、それらすべての真である仕方はすべて真理という一つの性質を顕在化している(「真理は一」)。/真理の主張の性質としてリンチは「決り文句」のリストを上げている。

7.7 真理の多元主義理論への反論

多元主義の問題:言説の個別化(言説の個別化=主張をいちいちカテゴライズする必要がある)、形而上学的過剰さ、他の真理論の弱点の引き継ぎ。

7.8 多元主義の得票点

ライトの多元主義は実在論/反実在論の問に新たな枠組みを与える点で評価できる。また一定の範囲では多元主義は同値性原理にも対応するし、真理を規範的な性質として扱うので、様々な真理の価値論を受け入れられる。また範囲問題をうまくやれるのはこれかデフレ主義のどちらかである。

文献案内

Pedersenが多元主義のよい外観のしごとをしてる

詳しい文献はだいたい高いか英語なので取り敢えずレンの『真理』を邦訳でちゃんと読んだほうが良い。

クリスピン・ライトによるデフレ主義批判は「Truth and Objectivity」

マイケル・リンチの真理機能主義の詳細な定式化と擁護は「Truth as One and Many」


8 デフレ主義再訪

8.1 論争を進展させる

デフレ主義の擁護をするぞ。

8.2 共通の根拠と方法論的デフレ主義

作業仮説としてデフレ主義を取る(それが真理について知るべき全てだ、ともそれ以上のことを真理について知るべきだとも言わない立場として)方法論的デフレ主義がある。これによれば(同値性原理にコミットする限り)デフレ主義が必要最低限の立場である事は明らかであり、それ以上言うべき理論があるときだけインフレ主義を取るのが良い。

8.3 デフレ主義対因果対応説

因果対応説によると「真なる信念と体系的に成功する行為とのつながり」をデフレ主義は説明できないが、因果的対応説はその説明ができる。/しかし、デフレ主義はT双条件文から因果的対応説の真理定義その他の条項を導出できる(デフレ主義以上の説明力を持たないということ)。

8.4 デフレ主義対多元主義

多元主義の過度なインフレ作を要求する理由をライトやリンチは十分に与えない。

8.5 結論

もしデフレ主義が正しいなら、哲学的に語るべき真理の本性はないことになる。またもし、これが正しくても、相対主義や反実在論、懐疑主義を退ける仕事は残っている。


一ノ瀬正樹の解説

コンパクトで良い 

訳者 野上志学のあとがき

要するにレンの本文は「嘘つきのパラドクス」をカバーしてないし、その辺は自分でカバーしてねということ。

クリプキの以下の論文「Outline of a Theory of Truth」以降パラドクスの技術的な解法も数理論理学的な新理論研究において様々な様相を見せている。

なにが起こっているかと言うと、「自己言及のパラドックス」以降、論理学の古典理論と無制限のT双条件文の組み合わせは基本的に矛盾を引き起こす事がわかったので、T双条件文を何らか制限する理論を探したり、古典理論を乗り越えて矛盾許容理論などを用いることが模索されているのだ。

SEPの「公理的真理論」を読むと良いらしい。

メモ

野上志学は英語の信頼できる文献をあげてくれているが、取り敢えず日本語でwikiの「自己言及のパラドックス」を読んでみてもいいかも。

それから、「自己言及のパラドックス」が影響を与えたのは哲学界だけではない。今手元にあるサイモン・シンの『フェルマーの最終定理』pp.220-235にもヒルベルト・プロジェクトと「自己言及のパラドックス」の一件が載ってる。気になる方はぜひ。この本面白いよ(数学できない文系でも読める)。

それと、レンの『真理』はタルスキのプロジェクトについても詳しく言及していない。『真理』が言及しながら詳しく触れないトピックは、「真理の担い手」「嘘つきのパラドクス/自己言及のパラドックス」「タルスキのプロジェクト」等がある。上2つについてはレンと野上が文献をフォローしてくれたが、タルスキについてはあんまり(具体的な研究書だけ)なので一応ここにメモを置いておく。

ちょっとググったら日本語で読めるいい博論があった。3から6ページのまえがきだけでも読む価値がある。おおまかに真理論におけるタルスキの業績の位置づけが分かる。橋本康二「論理的帰結関係と真理概念―タルスキを基礎にした言語哲学的諸問題の研究―」

PLANETS講読してる人ならこういうのもいいかも。時代感は伝わってくる。



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