私の生い立ち(大学入学まで)

あいさつ文

 みなさん、こんにちは。
 発達な私ですが、重い腰を上げてnoteを始めてみて、1つ書いてみたのが先日の記事でした。アップしてみて、想像よりたくさんの方々からの反響をいただけて、驚くとともにとても嬉しく思っております。みなさん、ありがとうございます。
 さて、本日の記事は、私のこれまでの生い立ちをお届けしたいと思います。思い返してみると、発達要素盛りだくさんだなぁと思います。こんな私でも、今やただのおっちょこちょいな人レベルに落ち着いてきているのは、我ながら感慨深いです(笑)
 まだnoteの使い方に不慣れですが、楽しく(正直、読んでて楽しくないけど笑)お読みいただければと思います。

幼稚園の頃

4歳。幼稚園に通い始める。風邪をひいて酷い声になり、私の声を聞いた人にからかわれるのではないかと思い込んだことがきっかけで、場面緘黙症になる。風邪が治っても場面緘黙症は治らず、高校を卒業するまで「話し掛けられないと喋らない子」であった。

小学生の頃

6歳。小学校入学。「話し掛けられないと喋らない子」ではあったのに、なぜか遊んでくれる友達はいた。学業は意外に優秀で、テストでは100点しか取ったことがない。

7歳。引越しに伴い転校する。場面緘黙症は続くが、なぜかそこまで困ったことは起こらなかった。

10歳。思春期の始まり。小学校も高学年になると、急に女子がグループごとに分かれるようになる。私は話しかけられないと喋らないうえに、「グループに属する」ことが苦手だと判明。「私には友達がいない」と悩み始める。

中学生の頃

12歳。厳しい(???)中学受験の末、中高一貫の中学(女子校)に入った。最初は仲良くしてくれる子がいた。でも、そこで私が調子に乗ってしまった。授業中にうるさいことが不満で、不満に思っていることを正直に学級日誌に書いてしまった。それがみんなに広まり、総スカンを喰らう。相変わらずの場面緘黙症なので、弁明や挽回のチャンスを自ら放棄する。

13歳。クラスで見事に孤立する。学級日誌事件は割とすぐに忘れ去られたようだが、私が孤立していたことで、私を好奇の目で見て、仲間でクスクス笑うクラスメートが現れた。また、誰が犯人かは全くわからないけど、誰かが私の名前である子にラブレターを書き、その子の靴箱に入れたらしい。その子から私の自宅に何回か無言電話がかかってきたのも、そのせいだったのだと、後で判明する。このことは、ラブレターを受け取った子の友達から聞かれた初めて知った。その時に私が違うと言ったことで、一応は誤解が解けたと思うが、噂が広まってしまった人たちの誤解が解けたかどうかは謎。

14歳。バセドー病発症。

高校生の頃

15歳。高校に入学し、過去の私を知らない子たちは話しかけてくれるので、友達ができ始める。少しは場面緘黙症もマシになっていたので、「グループに属する」こともできた。でも、それまでコミュニケーションの方法を磨いてこなかったので、話題に困ってしまった。つまらない奴だと思われたのか、あるいは過去の私のやらかしがバレたのか、レズ疑惑が広まったのか、原因はわからないけど、また友達からハブられる。学校が嫌になり、3ヵ月ほど休学する。心療内科にも通う。そこで、思いもよらない子から連絡が来て、授業のノートなどを届けてくれる。その子のお陰で復帰することができた。ちなみに、私の行っていた高校は単位制なので、出席が多少足りなくても成績さえとれていれば留年はしない仕組みになっている。

16歳。高2。思い返してみれば、一番まともに過ごせた学年かもしれない。部活にものめりこんでいた。しかし、一つだけ大きなやらかしをしてしまった。新しい学年になってせっかく友達になった子と、派手な喧嘩(暴力あり)をしてしまった。言い訳をさせてもらうが、相手が手を出してこなければ口喧嘩で済ませる予定だった。しかし、手を出されてしまったので、危機回避で私も応戦してしまった。正当防衛だ。相手に怪我させてないし。そこでも、また思わぬ子が私に「大丈夫?」と言ってくれた。

17歳。進路について、おぼろげながら考えるようになった。病気をしたり、部活に燃えてきたりで、これまで碌に勉強をしない&できないでいたわけで、勉強の重要性も全然わからなかったので、拾ってくれる短大があれば入りたいと思っていた。何なら、どうして私は上に大学や短大がついてる学校に入らなかったんだろうと本気で後悔した。

18歳。またまたクラスで孤立。しかし、他のクラスに友達がいたから、あまり気にしなかった。進路については、無謀にも大学を目指すことにした。理由は、「性格がいい子には成績もいい子が多いように思えたから。」事実、特進コースのクラスの治安は普通コースより格段に良かった。

大学生の頃

19歳。必死に勉強はしたのだが、能力不足のため、某女子大御三家に決まる。本当はもっと上を目指したいが、許容範囲だろうということで入学したが、結果として学生生活は満足度が高かった。


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