自分を一新することはできない

こんばちは

今日の1章のコーナー!!

このコーナーは、筆者が日々読書をしている中で感じたことや、気づいたことをふか~く紹介していくコーナーです。

今回の1冊は、
角川春樹発行 角田光代「紙の月」です。

この物語を読んで感じたことは、

人間が自分を一新することはできなくて、
変わっていくとしてもそれは連続した自分なんだ

ということです。

この物語には、主人公である梨花が巨額の横領をするまでのストーリーに加えて、そのストーリーには関わらないが梨花を知る複数の人物の生活が所々に描かれています。本筋のストーリーで梨花自身の思う「梨花」を知り、他のサイドストーリーで他人から見た「梨花」を知っていく中で、その様々な一面全てが「梨花」という存在なのだという結論に話は終着します。

結局、梨花の本質はどのような人間だったのかは分からないまま気持ち悪く物語は終わるのですが、私はこの物語から「人は一瞬で自分を変えられない」ということです。

当たり前だよと思うかも知れませんが、「今、宝くじに当たったら」「ひょんなことから一躍スターになったら」自分は大きく変われるだろうと思ったことはありませんか?収入は増え、借金はなくなるんだから、当然今より幸せな生活が手に入ると思ってしまいませんか?

でも、そんな奇跡があったとしても私たちは幸せにはなれません。

これまでの記事でも紹介したように、
幸せは「他人を幸せにすることで得られるもの」です。
人が理想とする幸せは数多くあります。「お金持ち」「自分を愛してくれる恋人」「有名になる」など。でも、これらを自分に与えてくれるのは紛れもなく他者です。つまり、人が自分に与えたいと思ってもらうには、自分が他人を何らかの方法で幸せにすることが必要ということです。

現在自分に「幸せ」が足りていないと感じる時、
それはつまり「他者が自分に与えてくれる幸せ」が足りないと感じているということです。

話を戻すと、例え奇跡が起こって自分が他者を幸せにする前に、自分が望むものを手に入れたとしても、自分は幸せにはなれません。

なぜなら、自分自身が他者を幸せにする量は増えていないのだから、その後他者から得られる幸せの量も増えるはずがないからです。一時的に形ある富が手に入っただけで、人が与えてくれる幸せの量は増えないのです。

6億円が当たっても幸せにはなれない。なぜなら金額やモノが幸せではないから。有名人になっても幸せにはなれない。なぜなら、その人気は自分の魅力で保たないとすぐに無くなってしまうから。

このことからも分かるように、幸せは形あるものではありません。
他者との思いやりの中に感じるものです。皆が欲しがる形あるものは、その幸せの循環の中にいる人が、自分が相手を幸せにしている量に応じて手にする道具です。その道具だけあったとしても、幸せの量には関係ないのです。

しかし、皮肉なことに奇跡が起きたからこそ、幸せから遠ざかってしまう人が多くいます。急に身のたけに合わない道具を手に入れたことで、自分勝手に人を強引に幸せにしようとしてしまうためです。いわゆるお金で繋がった友情や、有名になって炎上するといった現象です。これは当然人を幸せにしていないので、自分も幸せにはなれない。だから、道具を使って強引にやってしまうという悪循環に入ります。まるで、もがけばもがくほど、檻に閉じ込められていくように。

そもそもをたどれば、これは何かをきっかけに、自分の不幸せな現状から逃避した結果です。何も不幸せの原因は解決していません。何か不幸せな現状や、理想の幸せがあるのならば、自分の努力でそこへ地道にたどり着くしか方法はないのです。

その点、「苦労」を強制的にさせられる状況というのは、人を好転させるのかも知れません。普段よりもしんどい場所にいることで、普段の与えられる幸せを知るとともに、自分の与えている幸せを知ることができるため、人の幸せを自然考えることができるからです。梨花の夫、正文が単身赴任で少し変わったように。

結論、自分は自分で、自分を変えられるのも自分しかいない。身の丈に合わない道具を手に入れたって使いこなせない。奇跡に頼らず、日々の努力が大切だということ。


最後まで読んでいただきありがとうございました。



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