破壊と再生ー25歳はじまり日記ー

It is a miracle like a dream. 

目に見えないものに導かれた11月。

ありがとう「キネマの神様」

それで、次に起こったことは、オーディションで必死に選んだ主役がまさかの辞退。残念ではあったけど、次に行くしかない。オーディションで雰囲気がまさに脚本上の主人公であった彼女に連絡。オーディションに落ちたことを連絡した後に、また頭を下げてもう一度お願いするのは何とも偉そうな感じで気がひけるが、作品のため!お願いしました。そしたら、なんと、快諾!!本当にありがたい。そして、最終的にはこの人しかいなかったな、とクルー一同彼女の演技と雰囲気と全ての良さに脱帽。妙に味しかない作品になったあの感動。これも、一つ導かれた縁であった。

そして、主役級のお相手役が見つからない。4日後クランクイン!?もう、焦りは最高潮。その時、私のパートナーに相談したのだけれど、彼はとても達観しているところがあって、私にそっと一言。「名優は遅れてくる。焦るな。」と。(おいおい、戦国時代の敵陣切り倒して勝ち上がっていった武将かよ。みたいな落ち着きと冷静なアドバイス。)

やれる事はして、次にオーディションに来てくれた俳優さんに決定。まさに、パートナーがいう「名優」だった。彼にかかれば、脚本上でなかなか垢抜けなかった役柄が一気にアーティスティックに!まさに私が待っていたお方だった。これも導かれた縁と運。

それから、撮影に入ったのだけれど、6人の関係性、連携がスムーズで、ストレスも少ない中だったからなのか、作品に全力で集中できて、事故もなく、最終的にはコロナさえも落ち着いてきて、ロケーションでの問題もなく、みんなが健康に笑顔と愛溢れる現場だった。

この、え、準備したら普通じゃねーの?みたいな状況が、私には「キネマの神様」が宿ってる作品だと確信するくらいの奇跡の連続に思えることだった。

でも本当にすごいものに導かれていたと思う。撮り忘れたシーンもなく、イメージに近いものが撮れて、それでいて誰かを嫌な気持ちにもしない現場。チーム力が、その結束こそが苦しい状況をも笑いや、かけがえのない経験に変えていった。

少し話はそれるが、こんな時に思い出す。高畑勲の「かぐや姫の物語」の最後の方のシーン。人間がどんなに矢を放っても神の前では一輪の花に変わってしまう。

神様なんてそんなたいそれたことをいうつもりはないが、あのイメージがまさにあった。そう、つまり、私たちのクルーみんな捉え方次第でどんな方向でもいけることを知っていた。そして、そんな私たちの前で、いろいろなものは無敵になっていった。

予定通り、クランクアップして、それからはもうあまり記憶にないが、毎日白い壁の編集室で、太陽男と月男と一緒に編集を重ねた。ある日は、データが消えて椅子の上で、石みたいになったり、警備員が10回くらい呼びにきて、怒られる寸前まで言い訳を繰り返しながら編集したり。

でも、そんな過酷な中でも、ふと感じる幸せ。

私が死んだら、毎日この編集室に来て、彼らと意見を交わし、あとはBlue Bottle のニューオーリンズというコーヒーがあれば、輪廻転生しなくても、いいかなって。この走馬灯を一生見ていてもいいな、なんて思いながら、深く味わっていた。今この瞬間を。

ー 続く ー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?