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なんで、僕が僕なんだ?

この世界で生を受けて、この身体に魂が宿って、何故それを僕がコントロールしているのか、漠然と思うことがある。

幼少期からこの感覚はあった。
この感覚に浸るときは、必ず空間の中で、自分一人しかいないときだ。

そして、社会人になって、一人の時間が増えたからこそ、この感覚にふける時間が非常に多くなった。

この感覚に陥るときは、意識はかなり遠くにあって、客観的に自分の体を観察している感じ。

「何故この身体なんだ。何故この顔なんだ。何故この家に生まれたんだ。」
「もっと生きやすい体に宿ることはできなかったのか」
「何故、僕が、僕だけが主観で世界を見れるんだ。」

シンプルな疑問が留まらない。
この自分に対して湧いて出てくる疑問に怖くなるし、
僕が死ぬ時、この主観がどうなるのか、怖い。

死後もこの主観があるなら、天国は絶対にあってほしい。
この主観が残ったまま、天国もない無の世界を魂で彷徨わないといけない、
そんな孤独が待ってるなら、それこそ死に地獄だ。
絶対に魂ごと死んで終らしたい。

ちなみに、この記事を書いているのは日曜日の23時30分を過ぎて、もうすぐ大嫌いな平日を迎えようとしている時間。

この時間にこれを書いたのは、
月曜日を生きて迎えるか、死んで終わらせるか

唯一、人生のいく先で迷う時間だからだと思う。
そして、この2択で迷い続けると、さっき書いたような自分に対しての疑問が溢れてきて、寝不足のまま生きて月曜日を迎える繰り返しを送っている。

もう、今年で25歳。
そろそろ、人生に慣れてくれよ。僕。


すごい、中2病な文章になってしまった(笑)
以下、僕の日記だお。

↑ 日記原本

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