夜はいつでも回転している//////////////////////短編集【A面】
この物語はフィクションであり
実在の人物・団体とは一切関係ありません
1夜 I Wanna Be Your Dog
深夜のコンビニでバイトをしているとたまにおかしな客が来る。客が一人もいないので、相棒は仮眠をとっていて僕は廃棄するサンドイッチを頬張っているとやたらと荷物の多い男が入ってきた。カメラの映像を眺めながら男が何か買うようであればレジに行けばいいと考えながらボブ・ディランの曲のタイトルを思い出そうとしている。ずっと同じフレーズが頭の中で流れているのにタイトルが思い出せない。ボブ・ディランの曲だと言うのは間違いない。男は何かを手に持ってレジカウンターの前に立っている。ハムのサンドイッチを咀嚼して飲み込み扉を開けてレジに着く。男は税込110円の缶チューハイをカウンターに置いてこちらを見ている。男が着ているTシャツを見て僕は立ち止まり口の奥でカナカナと虫が鳴いているような音を出している。男が着ているTシャツには3年前に突然いなくなった僕の彼女の顔がプリントされていた。その瞬間頭の中で鳴っている音が右脳のターンテーブルから左脳のターンテーブルへ脳幹ミキサーで切り替えたようにThe Stoogesの「I Wanna Be Your Dog」に変わった。失踪した彼女が好きだった曲だ。
2夜 右脳を捨てに
夜の街に右脳を捨てにいく。
左脳は捨てるまでもなく壊れた水道の蛇口みたいに言葉のようなものが垂れ流されている。
街を歩いているとその垂れ流される言葉が溢れて撒き散らされていく。街灯に照らされて言葉がネオンみたいに明滅している。
3夜 キューブリック
何もしたくない夜にすることと言えばジェンガだった。早く崩れてしまえと思いながらまだもう少しだけ崩れないで欲しいとも思う。炬燵の上でジェンガをしていると蟻がいた。蟻がジェンガを登り始めた。手を止めてそれを眺めていた。もし蟻が頂上まで登り切ったら来年はきっと良いことがある。そんな無意味な願掛けをする。
もう少しで蟻はジェンガの頂きへと到達する。軽く家が揺れた。蟻が到達する前にジェンガは崩れてしまった。ジェンガの瓦礫を避けて蟻を探したがどこにも見当たらない。窓を開けて上を見た。家が揺れたのはあいつのせいだ。10年前からこの街の上空に浮遊している巨大な何か。10年も経っているのに未だにあれが何なのかわかっていない。あれから出る何かが原因でたまに軽く地震がある。その他には何もないので今まで気にしていなかった。まぁ上空にあんなものがあるおかげでかなり家賃も光熱費も安い。
何だか腹が立ってジェンガのブロックを一つ手に取り空へ向かって投げると、ジェンガの上に蟻が乗っているのが見えた。キューブリックの映画のコング少佐みたいにジェンガに乗った蟻が夜の闇へと消えていった。
4夜 シンセ怪音
教室だった。いつの間にか眠っていた。もう外は暗くなりかけている。奇妙な音がする。聴いたことのない音だ。音楽?何かの機械音?音がする方へ向かうと音楽室から聴こえる。音楽室の扉を開けた。グランドピアノの上に誰かが座っている。そいつは黒いスーツを着て赤と黒のストライプのネクタイして首から上が何かの機械の様になっていた。髪の毛の様に後ろから大量のケーブルが垂れ下がっていた。機械の様な頭部には無数のつまみが付いていた。小さいランプがチカチカと点滅している。そいつは自分の頭部のつまみを捻るとそれに合わせるかの様に音が伸びたり縮んだりしている。音楽室の時計を見て早く帰らなければと思った。何故なら今日はドラゴンボールがやるからだ!
5夜 Kのタイムマシン
友人であるKの家で受験勉強をしていた。小さいテーブルを挟んで2人で勉強をしていると思っていたがKのノートを見ると何かの絵を描いている。機械の様だが何だかわからないので「そりゃ何だ?」と聞くと顔を上げずに「これはタイムマシンだ」とKが言う。まぁ俺もそろそろ一息入れたかったので丁度いい。
「何でそんなの描いてんの?」
「何で受験勉強をしてるのかを突き詰めて考えていったらこうなった」
「どういうこと?」
「俺が受験勉強して大学に入って何がしたいのかを考えていったらタイムマシンを作ることだったってことだ」
「あーそうなんだ」気分転換に音楽でもかけようかと思ってレコードやCDの棚を見たがフランク・ザッパしかなかった。ザッパは全て揃っていたけれど受験勉強のBGMには向いていない。受験勉強にはやっぱりクラフトワークがいいけれどKの部屋には無かった。
「タイムマシンを作ったらどうするんだよ?」
「過去へ行くね」
「過去へはいけないって説もあるぞ?」
「どうしてだ?」
「エントロピーがどうたらこうたら時間の不可逆性だとか重力だとか難しいことはわからんけど」
「俺のタイムマシンは実際に俺が行くわけじゃない」
「どうすんの?」
「俺のコピーを過去に作る」
「ほうほう、それで」
「自分ですら自分がコピーだと気が付かない」
「それってクローンってこと」
「クローンとも違う。過去に産まれる赤ん坊に俺の情報を送る。生まれた子供は俺になる」
「何それ?ちょっと面白そう」
「DNA情報を書き換える」
「その為にそれを使うのか」と俺はノートに書かれたロケット型のタイムマシンを指差した。
「これに乗るの?」
「いや、これは実際にはもっと小さい。坐薬型だ。ケツの穴に入れて使う」
「何でケツに入れんの?」
「ケツの穴の中はDNA情報が最も濃いからだ」
「それはないだろ」
「ああ、もちろん嘘だ。まぁ簡単に他人が使えない様にするメリットはある」
「なるほど。それでお前は過去に行って何したいの?」
「M子に告る」
「いや、この前告ってフラれてたじゃん」
「だからやり直す」
「この前は何て告ったの?」
「好きです付き合ってください」
「そんで過去に戻ったらなんて言うんだ?」
「それはまだ考えてない」
「じゃあそれ考えてもう一回告ってからタイムマシン作ればいいじゃね?」
「まぁ俺はおそらくタイムマシンは作れない」
「は?」
Kはタイムマシンを描き終わって今度は女の絵を描いていた。M子にそっくりだ。こいつは昔から絵が上手い。
「タイムマシンは作れないが絵は描ける。だからこの話を漫画にして未来に託す」
それからKは勉強もしないでノートに絵を書き続け俺は火の鳥を読んでいたら外がもう暗くなっていた。M子を描き終えたKは色黒の変な格好をしたおっさんを描いていた。
「腹減ったから帰るわ」
「おお」
「おまえ多分浪人だな」
「おお」顔も上げずにKは描き続けていた。ものすごく集中しているせいかKの唇の端から涎が垂れていた。
Kの家から俺の家は駅を挟んで反対側にあった。駅前を歩いていると向こうから長髪のおっさんが歩いてきた。道ゆく人たちがおっさんをチラチラ見ながら笑っている。おっさんは肌が綺麗に焼けていて赤いハチマキを頭に巻いて右目が青で左目が赤のサングラスをしてジーンズの右脚だけ切れてホットパンツみたいになっていて本日の主役と書かれたタスキをかけて「METAFIVE」と書かれたTシャツを着ていた。おっさんがこちらへまっすぐ向かって来た。
「少年!」
「はい?」
「今は何年だ?」
「高三ですけど」
「コウサン?そんな元号は聞いたことがない。まさかまたズレが起きているのか」
「あ、そっちすか、今は1998年です」
「おお!そうか。ありがとう少年!」
おっさんは街の中へ消えていった。眠る前にあのおっさんがKが描いた絵にそっくりだった事を思い出して思わず笑ってヴゥヴァっと鼻水が飛び出した。
6夜 ニセモノ
あー、急に残業とかありえねぇーつーかこれサービス残業とかマジでクソだな。って社宅の自宅の電気が消えている。いつもならまだ起きてるはずなのに、もう寝ちゃったかな?ドアを開けて「ただいー」と小声で言うと「おかえー」と旦那の声が奥からする。「何だよ。起きてんじゃん。何で暗くしてんのー?」と言いながらリビングの電気のスイッチを押したが暗いままだ。「ええ?何何?停電?ってそりゃ違うか。電気代払って無かったっけ?」「払い忘れがあったみたいで、さっきコンビニで払ったけど復旧は明日になっちゃうみたい」そう言いながら旦那の影が動いた。「マジかー」「しゃーないね」「ごめんね。私のせいだよね」「いやいや俺もわかってなかったし、誰が悪いって事じゃないよ」光熱費管理は私の役割なのにやっぱうちの旦那超優しいー!むふふやっべー!なんか部屋が暗いのも久しぶりにいいムードになれそうでテンション上がるとか思っていたけど最悪な事を思い出す。
「やべー、昨日買い溜めした肉とか全部ダメになっちゃうじゃん」
「いや、大丈夫。全部食べたから」
「え?全部って全部?」
「うん」
「すごい量あったっしょ?」
「うん、まぁ、なんとか食べれた」
暗い中を手探りで冷蔵庫まで行って開けて中を手で確かめたが確かに冷蔵庫の肉も冷凍した肉も無くなっていた。
「おいおい!うちの旦那の胃袋宇宙かよ!テレビチャンピオン出た方がいいんじゃね!」
「はっはっは、なんか古いし!」とか言われてやけに旦那の肌が恋しくなった。
「なんだよー」と旦那の前でしか出さない声音で旦那の腹辺りを目掛けてお触りしようとする。シャツの下へ手を滑り込ませてヘソの窪みに人差し指を入れようとして違和感を感じた。いつも触れている旦那の皮膚と違う。え?なんだこれ?何が違うのかわからないのに違うことだけがはっきりわかる。これ誰だ?
動かなくなった私に旦那がいつもの感じで「どしたー?」と言うけれど上手く反応できない。暗くて旦那の顔は見えない。私の電話が鳴った。私は手を引っ込めて「ちょい電話」と言いながら玄関を出た。スマホの画面には旦那の名前が出ていた。歯茎も舌も乾いてる。喉も渇いてる。通話をスライドした。
「ごめん、ちーちゃん!残業で今から帰るんだけどご飯どうしよっか?なんか買ってく?でも昨日肉いっぱい買ってたし、って、おーい?聞こえてる?おーい?」
「ごめん、また掛け直す」掠れた声でそう言って電話を切った。今この部屋にいるのは旦那じゃない。そう考えるとめちゃくちゃ怖いけれど、それと同時に無茶苦茶腹がたった。私の旦那への愛情とか2人だけの時間とかそういう色々なものを犯された気がした。私は玄関のドアを開けた。奥から「大丈夫かー?」といつもの旦那の口調や声を真似た何かが言った。「てめー!まだうちの旦那のフリするつもりならぶち殺すからな!!!!」私は腹の底から叫び散らして言葉にならない怒号を喚き散らしながらリビングの扉を開けた。真っ暗で何も見えないはずなのに眼球がぎゅっと伸縮する様な感覚があってザザーとBB弾みたいな小さい黒い弾がベランダの窓の外へと消えていくのがはっきり見えた。リビングの床に炭を擦り付けた様な跡があった。私は異常にお腹が空いてきて冷蔵庫と冷凍庫にある肉を取り出して全部食べた。
7夜 オンブル
枕元で充電している電話が鳴っている。時間はよくわからないけれど午前3時くらいだろう。僕は夢の中でアニメーションになっていた。そのアニメーションを制作している会社に乗り込んで次の話の企画書を持って担当者と話していた。かなり面白い企画なので自信があった。制作会社の反応を待っている時に電話が鳴り始めて担当者が会社のデスクが掃除機に吸い込まれるみたいにして消えていった。会社の壁が薄い板の様にパタパタと倒れて僕だけが残された。
電話をとると女の人の声だった。
「もしもしナンシーよ。ちょっと来てくれないかしら」そう言われてもナンシーなんて名前の知り合いはいなかった。僕が忘れているだけだろうか?
「えっと」
「またあれが出たのよ!だから例の物を持ってきて欲しいの」
「あれ?例の物?」
「そうオンブルよ!大量にオンブルが出てきちゃってもうちっとも休まらない。私の真似ばかりしてきてイライラするのよ!もう我慢できないのよ!さっさと例の物を持ってきてよね!」そう言って電話は切れてしまった。掛け直そうかと思ったがやめた。電源を切って枕に顔を埋めて僕はまたアニメーションになった。
それからナンシーから電話がかかってくることはなかった。もう何年も前なのにたまにこの時のことを思い出す。オンブルが何を指すのかも例の物が何かも謎のままだ。それで別に困ることも特になかった。
8夜 饂飩と構造
”饂飩と構造についてのシンポジウム“という会に参加することになって会場である横浜へ来た。なんでこんなシンポジウムに参加することになったんだろう?うどんは割と好きだけれど麺類の中で突出して好きとか語れるほどの知識があるわけでもない。シンポジウムが始まるまではまだ時間があったのでどうせならうどんを食べようと思いながら店を探したが何故か見つけることができずに結局牛丼を食べてからシンポジウムへ向かった。予想通りシンポジウムで語られる話は意味がよくわからなかったが隣の席の綺麗な女子大生と仲良くなれた。彼女は大学で文化人類学を専攻しているそうだ。昼にうどんを食べようとしたが店が見つけられなかったという話をしたら「うどん屋って探すと見つけられないけれど、探さないとすぐに見つかるものなのよ」ふーんそう言うもんか。「それじゃあ私がとっておきの店に連れてってあげる」と言われてついて行った。彼女の綺麗に切り揃えられた肩までの髪の輝きを眺めながらついていくとそこは立ち食いうどんの店だった。カウンターには人が溢れかえっていてうどんの丼を持った人たちが店の外の路上でうどんを啜り上げていた。彼女は具の何も入っていないかけうどんを頼んだ。こちらもそれに倣って同じものにした。2人で無言のまま道端で立ったままうどんを食べた。この状況では口説くことはできないと思ってちょっとばかりガッカリはしたがうどんは絶品だった。うどんを食べることに集中していると彼女がこちらを見つめていた。大きな目に街のネオンが反射していた。彼女はすでに食べ終えていた。彼女を見ても何も言わないので再びうどんに集中してつゆも飲み干して完食した。
「ちょっと興奮してきちゃった」と彼女が言った。
こちらが「?」という顔をしていると彼女は続けた。
「その麺の啜り方や啜る音、つゆを飲む量やタイミングが何と言うか絶妙な構造になっているのよ」
もちろんそう言われてもピンとこない。
「それで興奮したと?」
「そう興奮した」
「それはどう言う意味で?」
「もちろん性的な意味で」
「なるほど性的な意味でね」
2人で丼と箸を返却口に戻した。考えてみたらお互い名前も聞いていない。まぁ夜は始まったばかりだし、胃袋の中のうどんを消化させながら夜の街を散歩して色々話せばいいのだ。
9夜 作用と反作用
さっさと眠りたいのにやたらと物語が浮かんできて一向に眠れない。思い浮かぶと文章化しないと気が済まない。やたらと思い浮かぶ原因は夢が作用している。夢と物語は作用と反作用の関係にある。
10夜 カンバセーション//
「そもそも会話から始まる物語は好きじゃないね」僕がそういうと彼女はふーんという顔をして話の続きを待っている。
「どうしてかというのはわからないんだけど、ちょっと考えてみよう。そうだな。例えば今僕らは寝台列車に乗っているとしよう。君は上で僕は下で眠っている。でも2人とも初めて乗る寝台列車で興奮していて中々寝付けない。『何だか眠れないから何かお話しして』と君が言う。『本来なら上で眠っている人から話すものなんだけど、今夜は大目にみましょう。近頃よく考えるんだけど会話から始まる物語は好きじゃないんだよね。でもそれがどうしてかと言うのはわからないんだ。だからその事について話してみよう。話しているうちに何かわかるかもしれないし。例えば今僕たちは飛行機に乗っているとしよう。夜のフライトで日付変更線を跨ごうとしている。2人とも初めての飛行機で興奮しているので中々眠れない。僕は君が眠れないので何かお話ししてよと言うと思って今この話をしているけれど、まだどうして会話から始まる物語が好きじゃないのかわかっていないってわけさ。そう言うと君は“そもそも会話から始まらない物語なんてある?”と言った。暗かったし毛布を被っていて彼女の表情は見えない。
“物語なんて全部会話から始まるし、そうじゃなければ存在しないんじゃない?”そう言うので僕は反論した。
”いやいや、地の文から始まる方が多いでしょ?“僕がそう言うと君はちょっと笑いながら答える。
“その地の文だって結局は会話じゃない。誰って言う特定がされてないだけ”ちょっと考えてみたがよくわからなかった。
”作者だけじゃ物語にならないでしょ?聞き手がいて初めて成立するんだから”
それは会話とは言えないんじゃないかな?
“片方だけが喋っていたって成立するでしょ?ゴダールの勝手にしやがれみたいに。それにそもそもこの話だって会話から始まってるでしょ?“
確かにそうだけれど完全には納得していなかった。僕は無性に窓側の隣の席に座る君の顔を見たくなってライトをつけた。どういうわけか隣には誰もいなかった。窓に外は真っ暗だった。どこへ向かっているのかわからなかった。それは当然だ。そもそも飛行機になんて乗っていないからだ』..........
『それを言うなら寝台列車にだって乗ってないでしょ』と上から聞こえてきた気がするがもちろんそれも気のせいだ」..........\\
ここで問題になるのは彼女が存在するのかどうか、いやそれよりも僕自身が存在するかどうかも怪しいもんだ。もちろん存在しない可能性も大いにあるけれど、今はあまり深く考えるのはよそう。確率は低いかもしれないけれど、これを彼女が読み終わる頃にはきっと彼女は目を覚ましているだろうし」』.......\
11夜 コイルと数式
「こら!寝るんじゃない!」
そう耳元で怒号がして飛び起きた。見ると教卓には数学教師が立っていた。
「あ、すいません」と思わず謝っていたが、おかしいことにすぐに気がついた。教室には俺と数学教師しかいない。窓の外は夜で真っ暗だった。時々バチバチという音がしてチラチラ光っている様だったが、それどころではない。
「それでは授業を続ける」そう言って数学教師は黒板に数式を書いていく。俺はどのくらい眠ってたんだ?それより何でこんな時間まで授業してるんだ?そう思って黒板の上にかかる時計を見たが針が付いていなかった。今は一体何時なんだよ?
数学教師は黙々と数式を書き続けて黒板を埋め尽くしてこちらを向くと数学教師の顔が馬になっていた。「この答えがわかるか?」鼻息を荒くしながら馬になった数学教師が言った。見たこともない記号が並んでいる。
「全然わかりません」
「ふむそれでは窓の外を見ろ」
校庭が見える。校庭の中央に何かがある。巨大なコイルの様なものが高速で回転している。バチバチと電気を放出している。
「あれが何かわかるか?」隣に立つ馬になった数学教師が聞く。
「全然わかりません」
馬になった数学教師がこちらを向いた。真っ黒な目の中に回転するコイルが映っている。
「ふむ、それでは自分が何がわからないのかはわかるか?」
「全然わかりません」
「そうそれが答えだ。わかったな?」
「全然わかりません」
12夜 顔のいい男
夜、コンビニから帰ってくる途中で男とすれ違った。やたらと顔のいい男だった。それからその男を見かけることが多くあった。近所や最寄駅の範囲で見かけるだけじゃない。最寄駅から電車で1時間かかる都内の職場の近くでも見かけることがあった。男は見れば見るほどイケメンでというかこんなイケメンを考えてみたら見たこともないって言うくらいイケメンなので私にしか見えていない幻覚的な妄想の産物なんじゃないかと思っていた。同僚の女の子と一緒にランチに行った時にも見かけたので試しに「あの人見える?」と聞いてみた。「あ!あの人知ってる!芸能人だよね!」「え?名前は?」「えーと、何だっけなぁ。でもとにかく知ってるよ!めっちゃいけめんやん!」
とにかく私にしか見えてないとかじゃなかったけれど、芸能人だとは思わなかった。他の子にも聞いてみたけれど皆顔は知っているのに名前が出てこない様だった。名前がわからないと検索できないし、イケメンの芸能人なんて範囲が広すぎる。何に出ていたのか聞いてみても誰もハッキリしたことがわからない。歌手なのか俳優なのかモデルなのかジャンルすらわからない。それなのに顔はみんな知っているのが不思議だった。何故私は知らないのかも不思議だった。人並みには映画もドラマも音楽も知っているつもりだったのに、どうして私だけ知らないのか?それにどうして彼をよく見かけるのか?また彼を見かけたら思い切って話しかけてみよう。そう思っていたら仕事帰りに近所のコンビニで遭遇した。いざ話しかけてみようと思ってもなんて言えばいいのか全くわからない。もう何年も彼氏なんていないし合コンに行っても大して男子と話せないのにこんな顔の美しい男に話しかけるなんて無理ゲーだし。ああもういいや。そう言って私はログアウトのボタンを押した。
13夜 彼女の尻尾
彼女は関係に悩んでいた。関係は複雑に絡まり合って解けそうにない。それなら酒でも飲みながら話し合ってみてはどうかと提案してみる。「誰ともまだ一度も会ったことがないのよ」と彼女は言う。どうやらSNSのみでの関係らしい。それならいっそSNSなんて辞めちゃえばいいんじゃない?と提案してみる。「そんなことしたら私のお尻に付いている尻尾が切れちゃうわ」と彼女は言う。何故SNSと彼女の尻尾が関係しているのかわからない。尻尾が切れたらどうなるの?と聞くと「何も起こらない。ちょっと痛いけど血も出ないし、また生えてくる。でも嫌なのよ。尻尾が切れるのは。なんかわからないけど、理由を言葉にできないけど、なんか嫌なのよ」
14夜 夢の中の絵
起きると見知らぬ場所にいた。まだ外は暗い。暗いのに周りが鮮明に見える。光学スコープでもつけているみたいだ。そこには絵が一枚壁に立てかけてあった。見覚えがある絵だった。そうか。これは昔描いた絵だ。確かこれは友人が経営しているペンションにあるはずだった。そのペンションにはまだ行ったことがなかった。つまりここはそのペンションなのかもしれない。気がつくと自分の部屋のベッドにいた。夢だったのか?それにしては妙に現実感があった。でも現実だとも思えない。夢でも現実でもない時間だった。メールが来ていた。ペンションを経営している友人だった。昨夜こちらに来ていなかったか?と言う内容だった。
15夜 ホームラン
もちろん今は夜だった。
あなたはコンビニに行くと嘘を言って部屋を出た。手には木製のバッドを持っている。空から隕石と同じ速度で詩が落ちてくる。あなたはバッドを構えて詩が胸元へ落下してくるにを待ち構えている。ボールペンのように腰を回転させてバッドをフルスイングすると全く手応えがない。この手応えの無さは長打のホームランの時と同じだとホームラン王であるあなたは知っている。
16夜 見えないものの全て
夜の街だった。
聴いたことのある曲と聴いたことのない曲が混じりあっている。パスタのような名前の惑星が爆発したことなんて気が付かずに友達以上恋人未満の彼等や彼女たちが目的地がわからないのが当たり前みたいに彷徨いている。
一度も聞いたことのないラジオ局の看板が屋上にあるマンションからピアノの音が聴こえてくる。目が覚めると放課後だった。教室には誰もいなかった。遠くの方でピアノの音が聞こえる。夕陽は落下していく。見えないものの全てが優しすぎる。
17夜 泥酔したノートパソコン
泥酔したノートブックPCが言葉を吐き続けている横で永遠の命を持ったネズミがソファーの上で寝っ転がっているがもちろん眠ってはいないし眠ったことはない。いつも彼の代わりに彼の影が眠っている。ネズミは夢の国に生きている。吐き出され続ける言葉は床に沈み込んでいき地中深くの暗闇に戻っていった。その下には永遠に爆発しない不発弾がある。アルミのブラインドを指で摘んで外を見ると棺桶のようなリムジンから大統領が大量に出てくる。ノックをする音で影がびくついている。ノックは何度も続きネズミは溜息をついてドアを開けるとアヒルが立っていた。ずぶ濡れだった。
18夜 題名=本文
湿気を多く含んだ真夜中に自意識が溶けていくし眠っている自分はほっといてもいいだろうし新しく生まれた語り手は夜の街を彷徨っているし
19夜 脱線する数学
本を読んでいたがなんだか集中できなくて、何故か中学の時の同級生だった女の子の名前が思い浮かんで検索してみてもその女の子は出てこないで政治評論家のおばさんばかりがヒットして中学のときの数学の授業の時にその女の子が音楽の教室へ行く途中でこちらの教室へ顔を出して何かを話した訳じゃないのに何かが通じ合ったような感覚を思い出した。その時の数学の授業では教科書に載っているようなことじゃなくて時間とか空間とかの話をしていた。脱線するのが好きな先生だったのだ。君たちが今この瞬間にこの座標にいられるのは今のこの瞬間だけだ。宇宙は膨張し続けていて今いる座標も次の瞬間にはズレてしまう。僕はあの女の子のことがたぶん好きだった。宇宙が膨張してても収縮しててもそれは同じことだった。彼女があの時何を喋っていたのか今ではまるで思い出せない。音楽室へ向かう後ろ姿だけがいつまでも残響している。もう一度読みかけの本に目を向けてみても、やはり集中できなかった。テーブルの上にスーパーでもらってきた透明なビニール袋があった。何故かそれを宙に浮かせたいと思った。袋を持って空気が入るようにして空中にそっと置いてみるけれどすぐに落ちてしまう。袋の口を広げて勢いよく離してみてもダメだった。窓は開いていたが全く風がない。あらゆる座標が今のこの瞬間しか存在しないなら今は無数に生産される今と切り離されて個別の今が何かの印みたいに残っているのだとしたらあの女の子の後ろ姿と同じように浮かせようとした袋も今の中に凍結されて永遠に残っているのかもしれない。記録でも記憶でもないものとして、今という断片として残っているのかもしれないと彼女の口が動いているのを自分の唇で塞ぐべきだったのかもしれない。教室の中では雨が降っていて窓の外にはいくつものビニール袋が浮かんでいる。数学の先生が赤い傘をバサっと勢いよくさした。
20夜 明日は何も言わずに今日になる
スクラッチだらけのレコード盤のような気分で目が覚めた。頭上から規則的に発光体が過ぎ去って行った。何か夢を見た気がするが思い出せない。首の後ろに何かがあった。手に取ろうとすると後部座席の隙間に吸い込まれていった。取ろうとして手を差し込んだが取れない。首の後ろにその何かの痕がついている様で少し痛い。煙草の匂いがした。子供の頃にこうやって車の後部座席に寝転がって窓の外を見上げていたことを思い出した。もう明日になっているかもしれない。大抵明日は何も言わずに今日になる。
21夜 チキンレース
二人の男が回転扉の中で追いかけあっている。ただ単に出られないだけなのかもしれない。どちらが追いかけているのか追いかけられているのかわからない。ぐるぐると回り続けている。そのせいでビルの中に入れないでいた。
22夜 変身
冬の夜にお気に入りの曲を聴きながら散歩をしていると道の向こうから若い男の子が歩いている。特に気にもせずに何となく目に入る程度に見ていると近づいてくるにつれてその男の子が変化している事に気がつく。短い髪が伸びていってツルツルだった顔に髭が生えて皺が刻まれて伸び切った髪も髭も白くなっていった。道の向こうから見た若い男の子はすれ違う時には老人になっていた。わたしは動画に撮るのも忘れて呆然としていると鈴の音が聞こえてきた。耳をすませてどこから聞こえてくるのかを探ってもわからなかった。鈴の音はどんどん大きくなっていく。怖くなって耳を塞いでもヘッドフォンをして爆音で音楽を流しても鈴の音は聞こえてきた。なぜなら鈴の音は頭の中で鳴っているからだ。ヘッドフォンが外れていって頭の上に浮いていた。頭の左右から木が生えていた。ヘッドフォンがその木の枝にぶら下がっていた。いつの間にか積もった雪の上を4本足で走っていた。手袋も靴も硬くなってやけに走りやすくてどんどんスピードを上げていった。
23夜 ミックステープ
ゴミでできた新しい国で拾ったミックステープを聴きながら暗転した街を歩いている。
24夜 空洞
目が覚めるとバスの中だった。バスは長いトンネルを走っていた。トンネルを抜けると同じようなマンション群が並んでいる。誰も住んでいないように明かりが一つもついていない。カーテンのない窓の中には無数の空洞が浮遊していた。
25夜 銀幕
自由席の映画館が開場されて各々好きな席を取ってからメロンソーダを買いに行こうとすると子供が座席の上を飛び跳ねてスクリーンの方へ向かって座席から座席へ飛び移っている。それが子供の時の僕だと気がつくのは一瞬のことだった。僕は最初に観た映画の事を思い出そうとしたけれど思い出せない。なぜなら初めて観に行った映画を観ていないからだ。ポケットに突っ込んだ筈のチケットの半券も見つからない。今から何が上映されるんだっけ?赤いはずのスクリーンの幕はモノクロだった。見るとスクリーンの舞台へ子供の自分がよじ登っている。その先のことは覚えている。スクリーンを覆っている幕の中へ入ってみたくて舞台に上がった。その中は真っ暗だった。時たま反転した字幕がコップから溢れた水の様に流れていった。それを追って地下へと潜った。
26夜 右左または左右
右側にそれはあるのだと書かれてたメモ書きを見てどちらが右なのかそもそも右が何なのかわからなくなる。メモ自体がどこに立ってどこに向かっているのか決まっていない以上、右も左も存在しない。右のことを忘れてしまったなら、同時に左のことも忘れているはずだ。右がなければ左だってなくなる。自分のいる場所がわからなくなっても自分という存在自体を忘れない限りは右も左もなくならない。自分以外の全てが無くなっても自分が存在するなら右も左も存在する。
27夜 盲点と水槽
透明な夜の目の中で盲点がうやうやと泳ぎ回っている。あなたの目はいつも水槽になっていると言われていたことを思い出した。
28夜 寓話
人は2度死ぬ。物理的な1度目の死と誰もがその人の事を忘れた時が2度目の死だ。ある夜、誰からも知られていない男が死んだ。死んだことで男の存在は知られることになり。男が生きた年月の何倍も語り継がれることになった。男は死んだことで生き返った。
29夜 ありふれたラブストーリー
夕陽が落下して夜が青くなっていく頃に僕はその中を浮遊している。突然だけれど僕は彼女を愛している。彼女のどこを愛しているのか?と訊かれたとしてもうまく答えられないだろう。愛は部分的なものなのか全体的なものなのかもわからない。そもそも彼女の全体全貌を見たことはない。彼女はあまりにも巨大すぎるからだ。近すぎてもわからないし、全体を見ようと離れても見えない。離れてしまうと彼女と他の人を区別できない。彼女の全てを捉えることは不可能だ。だから僕は彼女の体内へ入る。口から吸い込まれていく。彼女の中の何かが僕を殺そうとするので僕は殺されてもいいように無数の僕を増殖させる。無数に増殖した僕は彼女の中のあちこちへと勝手に散らばっていった。そして彼女は死んだ。
30夜 カメラ
夜になると写真を撮りたくなる。それはどうしてなのかわからない。夜になると写真に撮りたくなる成分が充満してくるのかもしれない。飲み屋の前や夜しか空いていない床屋やコインパーキングを撮っている。夜の街を歩いていると段々自分が透明になって夜の中へ溶けていくような気がした。誰も自分のことに気がついていないんじゃないか?試しに通りがかった人の目の前にカメラをむけてみる。シャッター音が鳴ってもその人は何事もなかったかのように通り過ぎていった。そうやって夜の街のスナップを撮り続けているといつしかカメラのレンズと自分の眼の区別がつかなくなっていき、透明なカメラとなって夜の街を浮遊し続けている。
31夜 宇宙感
宇宙に行ったこともないのに宇宙を感じる街灯の並んだ夜の暗闇の中で鳥が飛ぶ羽の音がする。賞味期限切れの広告がパタパタと風になびいて旗めいている。言葉が言葉以上の何かを宿していた時代の話です。
32夜 夜の縫い目
眠れない夜には自分の縫い目を探している。どこかにあるはずのわたしの縫い目が中々見つからねぇ。この夜に暗闇がそもそも誰かが何かを考えている時に座ったり立ったりヨガをしたりしているときにできる影が集まってできている事を誰も知らないしわたしも知らない。
33夜 夜が退屈になって100年くらい経った頃
ある夜世界中に貨幣の価値が無くなった。銀行員はビルの屋上からお札を紙飛行機にして飛ばしている。「さよなら資本主義!」そう銀行員がオペラ歌手のソプラノ的な感じで叫んだ声をサンプリングして作られた曲を聴きながら夜の街を歩いている。
34夜 深夜放送
外は真夜中で真っ暗なのにテレビの中は昼間よりも明るい。何かを見ながら色んな人たちが笑い転げている。何を見て笑っているのかこちらにはわからない。その笑いにつられて周りの家々からも笑い声が真夜中のマンション群に降り注いでいる。テレビの中の人たちが何を見て笑っているのか気がついた。それはテレビの外のこちらを見て笑っているのだ。
35夜 Get up
ルーシーは誰かに起こされた。見上げると黒いスーツのジジイが立っていた。ギターをマシンガンのように持ってこちらに向けてくる。危険を察知してルーシーは慌てて起き上がった。スキンヘッドをかき上げてジジイはついてこいと言う。いや、言ったように思ったが口は動いていない。
36夜 穴
子供の頃の贅沢は夜更かしすることだった。夜遅くまでテレビで映画を観るのが最高の贅沢だった。映画を見終わる頃には夢なのか映画なのか区別がつかない程眠かった。自分の部屋に行って眠ろうとすると風が吹いてきた。窓が開いてるわけでもない。どこから風が吹いているのか?押し入れの隙間から吹いていた。眠かったはずなのにどうにも気になってしょうがない。押し入れを開けてみる。押し入れの奥に大きな穴が開いていた。穴の中から音が聞こえる。穴は瑞々しい土でできていた。穴の土壁には見覚えのある物が埋まっている。ファミコンソフトやウルトラマンのフィギュアやキン消しやガンダムのプラモやスケボーなどの懐かしい物たちが無数に埋め込まれていた。奥へ進むほど穴は大きく広がって土壁に埋まった物も増えていった。原付バイクや車や鞄やジーンズやこれまで聴いたレコードや読んできた本や描いた絵も埋まっていた。子供の自分が知らないはずの物まであった。
気がつくと子供から老人になっていた。穴の奥に見覚えのあるドアがあった。ドアを開けると子供の頃に住んでいた家だった。夜だった。部屋の中で子供の自分が眠っていた。見覚えのある風景だった。昔この夢を見たことがある。いや、むしろ子供の自分が今この夢を見ているのかもしれない。
37夜 中央フリーウェイ
レンタカーをギリギリで借りられた。駅に着いたのが20時を過ぎていたのでこんな田舎じゃバスももうないしタクシーがいるほど大きな駅でもない。色々な用件を済まさないと行けないのでレンタカーの方が都合がいい。
レンタカー屋の店内は薄暗かった。眼鏡をかけた白髪の老人が受付にいた。借りられるのは一台だけだった。54年式のローレル。黒い車体は夜を吸い込むように走った。こんな旧車をレンタルできるのもすごいな。車に詳しいわけではないがなんとなく得した気分だった。ラジオしかついていない。適当に回すと曲が流れた。聴いたことがある。ユーミンの昔の曲だった。中央フリーウェイ。
街灯も無くなってきた。かなり暗い。この道で合っているのか少し不安になった。バックミラーが光った。後ろから車が来ていた。後続車はぐんぐん距離を詰めてきた。先を急いでいるようだ。対向車はいない。窓をあけて追い越すように合図した。車が横に並んだ時に気がついた。同じ54年式のローレルだった。視線を感じた。運転している人がこちらを見ているようだったが顔が見えない。気になって車内灯をつけると向こうも同時につけた。自分そっくりな男だった。男は驚愕の表情で絶叫しながらスピードを上げた。こちらも絶叫しようとしたが何故か声が出なかった。停車させた。前方の車はあっという間に見えなくなった。ポケットから煙草を出して一本咥えてライターをつけたが煙草は下に落ちた。それもそのはずだ。バックミラーには自分の首から上が映っていない。これで禁煙はうまくいくだろう。
38夜 ニューイヤー
一年に一度だけ夜更かしすることができる。外では除夜の鐘が鳴っている。テレビでは大人が明けましておめでとうを連呼している。何がめでたいのかわからない。気分がふわふわしている。炬燵の中で半分眠ったような感じだ。現実感が薄い。父親に連れられて電車に乗って初日の出と初詣に言った。寒さで眠気が一気に覚めた。まだ暗くて初日の出には時間がある。父親に手を引かれて神社へ行った。参道には長い列ができている。あちこちに屋台がある。焼きそばを鉄板の上で飛び交っている。たこ焼きが回転している。台風の雲のように渦を巻く綿飴。照明に照らされた赤いりんご飴が並んでいる。人混みからぬっと大きな手が伸びて父親の肩を掴んだ。蛇のような肌と目をした見たこともないほど大きな男が顔を出した。
「よう」と男は言った。「ああ」と父親は言った。父親の顔が少し歪んでいる。「久しぶりだな。ちょっと話そうや」そう男が言うと人混みから外れて行く。父親は何か言いかけたが言葉を飲み込んで後について行った。
「元気だったか?仕事はどうよ?」と男が蛇のような舌を出して唇を舐めた。「まぁなんとかね」と父親が答えた。「ところでお前うちの女房とやっただろ?」「は?何言ってんだよ?」「まぁ落ち着けよ」男の横から太った男が二人左右から出てきた。同じ顔をしている。双子のようだ。「ねぁパパ!どういうことだよ!」「こいつママになんかしたのか?」双子が言った。「お前らは黙ってろ」「でもこいつボコった方がいいんじゃない?」「いいから黙れ!」と男が蛇のような目で双子を睨んだ。「まぁそれはいいとしてちょっと金貸してくれないか?財布を家に忘れちまってよ。賽銭もできないし」「ああ」と言って父親は自分の財布を出す。「すまん。細かい金が今ないみたいだ」と父親が言うと蛇のような男が浅黒い手を伸ばして財布を奪った。「大丈夫。これでいいわ」と言って一万円札を出した。「一万円も必要ないだろ?」「息子たちも見ての通りの食べ盛りだからよ。屋台の飯を食べさせてやらんといかんのだわ。ありがとな」と言って男と双子は人混みの中へ消えた。双子の一人が唾を吐いてこちらを睨んだ。
また初めから参拝の列に並び直した。何故か父親の顔は見てはいけないような気がした。それでも人混みで、はぐれないように父親のコートの端をずっと掴んでいた。並んでいる間は何も話さなかった。賽銭箱の前まで来て父親がこちらを見た。しかしそれは父の顔ではなかった。知らない老人だった。知らない老人は不思議そうにこちらを見ていた。「ぼく迷子かい?」と老人は言った。老人はぼくに五円玉をくれた。ぼくはそれを賽銭箱へ投げた。願い事は何も思い浮かばなかった。知らない老人は「迷子の道標」と書かれたテントにぼくを連れて行った。そこで座って待っていると父親が慌てた様子で来た。父親の顔には何故か大きなアザができていた。口からは少し血が出ていた。巫女さんたちに心配されていたが「大丈夫です」と言って父親はぼくの手を引いて神社を後にした。
まだ初日の出は出ない。父親は自販機でお汁粉を買ってくれた。冷たい海風が顔を冷やして、触ってみるとまるで自分の肌ではないように感じた。お汁粉はやたらと甘かった。
39夜 夢の果て
夢の果てというのがあるのかどうかわからない。それなら現実の果てはどうだろう?宇宙の果てってことになるのかもしれないけれど、誰もそれがどんなところなのか知らないし、本当にあるのかもわからない。宇宙が始まったのが138億年前なら138億光年よりも遠くをみればそこが果てってことなのかな?でもそれは果てっていうより始まりって感じだ。138億光年よりも遠い場所からこちら側を見たならこっちが宇宙の果てってことになるのか?もしかして宇宙の果てはどこにもないんじゃなくて、そこら中にあるのかもしれない。夢の果ても同じで夢の中には夢の果てがそこら中に散らばっているのかもしれない。
40夜 長い夢
何度も長い夢をみて目が覚めても夜のままだった。全ては夜の内側に織り込まれている。
41夜 車泥棒
その男の夢は車泥棒。男は駐車場やカーディーラーへと度々出向きどのように車を盗むのが一番効率がいいかを考えいくつもの計画をノートに書き留める。男はある日街を歩いていると夢にまで観た車を見つける。世界に3台しかない車だ。男はすぐにタクシーを捕まえて世界に3台しかない車の後を追う。男が乗ったタクシーは土星の輪のような深夜の高速へと入ると前を走る世界に3台しかない車が突然急停車する。その車の前を走る車が事故を起こしている。世界に3台しかない車に乗っていた女は車から出て事故にあった車の運転手を救助しタクシーの運転手は救急車を呼び男はすぐに車を盗むために世界に3台しかない車へと乗り込む。しかし男は車の運転ができなかった。
42夜 ファイル形式放蕩
句読点をどこかへ落とした。半濁音の繁華街を歩き回るが。見つからない。疲れはててJPEGは道で眠り込んでしまう。JPEGは病院のベッドの上で目を覚ますと自分がPDFになっていることに気が付きジップファイルを解凍して病院を抜け出し夜の川に浮遊するネオンの生き物が句読点を食べているのを見つける。
43夜 回転式
船はグルグルと同じ海域を回っていて星を肴に酒を飲むことにも飽きてドーナツの穴を食べることにも飽きて目をつむって適当に辞書を引き目を開けると俺の目は魚の目になってブルブルと体を震わせながら船よりも速いスピードで泳いで星と同じ配置で浮遊するプランクトンを追いかけていると体を掴まれて空を飛んで俺はバサバサと羽を動かして巣がある島へ向かっていると強い風が吹いて星が集められた島の砂浜に流れ着いた辞書がパラパラとめくれて真っ黒いページでとまり星でできた砂が一粒辞書の中に入ると彗星になってそれを追いかける宇宙船の中で機械仕掛けの猫がくしゃみをする。
44夜 探偵
最初は依頼なんてなかった。
しかしいつの間にか依頼が増えていった。
今まで一つも依頼を解決などしていない。
最初の依頼はペット探しだった。
小さい小鳥だった。
そんなもの空を飛んでいるのだから見つかるはずもない。とりあえずペットショップで似ている鳥を探したが値段が高い。ただ運良くその鳥を買った客がいて尾行した。そしてその鳥を盗んで依頼主に渡すと涙ながらに喜んでいた。仕事とはいえ人が喜んでいるのを見るのはなんとも気持ちが良い。そしてすぐにまた依頼が来た。今度もペット探しだが今回は盗まれたという案件でもちろん犯人はわかっている。焼き鳥屋で砂肝をビールで流し込みながら誰を犯人にしようか考えている。
45夜 感度と高度
車が一台も停まっていないコインパーキングは軌道を外れた無人の宇宙ステーションのようにひんやりとしている。
46夜 1964
2024年その年私は19歳で何をしていたかといえばある男の話を書いていた。男は1964年に生きている。その時男は19歳で何をしていたのかといえば2024年の女の話を書いている。2024年の女は1964年の男が自分の事を書いているという情報を偶然見つけてしまう。女は男の事を調べ始めた。男は2024年に亡くなったことがわかった。1964年の男が書いている2024年の女の話は私のことだと言う気がした。と言う1964年の男の文章を読んだところから何かが狂い始めていった。そして当然私が書く1964年の男にも影響を与えていった。
47夜 インク
彼は濃紺のノートに黒の極細マッキーでわたしの知らない話を書き続けている。どんどん文字が小さくなって書き続けていくうちに黒いインクはノートを黒く染めてやがてそれは原初の宇宙になった。
48夜 サンタ現象
サンタクロースは人の名前ではなくて現象であり病名とも言える。12月25日になると子供がいる人たちの間で起こる。男も女も髪と髭が伸びて白くなり皺ができて身体中から血が出て着ている服が真っ赤に染まる。子供が眠るのを待って部屋の中へ忍び込み大きな靴下に子供が欲しいと思い込んでいる物を入れて枕元に置く。朝になると髭はなくなり髪も全て元通りになっている。そしてその夜の記憶も無くなっている。
49夜 一般的な必然性の宇宙
デジャブを見るのは当たり前だ
この宇宙は何度も繰り返されているしこの瞬間も何度も繰り返されている
全てがゼロになってゼロという概念もゼロになって宇宙の終わりは始まりになる
僕は何度もあなたたちに会っているし何度も同じ本を読んでいる
今しかないかけがえのない瞬間というやつももう何度も繰り返している
無限以上の偶然を繰り返す必然宇宙の一般性な僕
何度も繰り返す宇宙の証拠を残す
50夜 名前の喪失
今夜もまた私の名前が一つ消えた。自由になるためのアカウントは無数に必要だった。
B面につづく
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