Peace comes from within you カンボジア・トゥールスレン残虐博物館を経て ★世界一周17日目 080922

画像1 キリングフィールドにある像のモチーフになったであろう女性と子供の写真。収容される際、子どももいずれ残虐されると分かっており、母親自ら子供を殺めることも。
画像2 もう二度と同じことが起きないようにと祈る母と子共の像。この家族のストーリーを聞いた後、ここで立ち止まらずにはいられない。
画像3 S-21では収容しきれなくなったため郊外につくられたキリングフィールド。犠牲者たちの遺骨が集められていている。周囲の土地からは、毎年雨季の後いまだに骨や歯、衣服が浮かんでくるそう。
画像4 元々は学校だった。日本の学校と何も変わらない見た目だが、事実は全く異なるのだ。子どもたちは、将来復讐に来る可能性があるため、収容者の家族や親族など多くの子どもたちも犠牲になった。
画像5 教室を11₋16人部屋に仕切った部屋。大きさは一畳ほど。そこに一人もしくは二人で入っていた。場所によっては、窓もなく光が当たらない暗闇。
画像6 9歳の時にプノンペンからベトナムへ疎開したガイドさん。一つ一つ丁寧に説明をしてくれました。
画像7 収容初日に身体測定・写真撮影が行われる。たくさんの写真を見ることが出来るが、残っているのは一部であり、全体像は掴むことはできない。収容時、自らの死を悟っていたであろう気持ちは、我々には想像を絶する。
画像8 ここに収容されていた約20,000人の中で、生き残った7名の大人。彼らがのちに手記を出したり、当時のことを後世に残してくれている。
画像9 VIP収容室。一人部屋。かつてポルポト政権の一員であった者たちは、VIPとして収容される。収容期間も他の人たちよりも数カ月長く6カ月程度あった。いずれにしても残虐されたことに変わりはないが…
画像10 当時のベッド、足枷、トイレ用の小さな箱が置かれている。壁には、収容者の死後の写真がある。また至る所に残虐の跡が残っている。

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