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【朝読書】やっぱり苦労するより楽したい

「苦労は本当によいことなのか」

なぜか、この質問に惹かれてしまいました。

そもそも苦労ってどういうことなんだろうと思い、調べてみました。

① (━する) 仕事、生活、心配ごとなどのために肉体や精神を使って、疲れたり、苦しい思いをしたりすること。また、そのさま。心配やほねおり。労苦
※運歩色葉(1548)「苦労」
※足利本論語抄(16C)季氏第一六「苦労して天道を学び知る者は中賢の以下上賢の次ぞ」
② (多く「ごくろう」の形で) 人に、せわをかけること。やっかいになること。また、そのさま。せわ。
浄瑠璃・鳥羽恋塚物語(1681頃か)四「又ぞや参り御くらうに罷成申べし、もはやおいとま申さん」
[語誌]字順の異なる「労苦」は、「苦労」よりも古く平安時代前期の「田氏家集‐上」に既に見られるが、中世では、「苦労」の方が一般的であった。近世初期の仮名草子にも両者が使われているが、「労苦」が地の文に、「苦労」は会話文に使用されている。

コトバンクより(URL:https://kotobank.jp/word/苦労-486931)

多くがこの①の意味で使われると思います。

この苦労って良いことでもあり、悪いことでもあると思います。

特に僕がよく勘違いしてしまうのは、悪い方です。

この苦労をしたり、苦労話を持っているとなんだから話すネタができて楽しいように感じてしまいます。
さらに言えば、この苦労をしている最中なんて、「オレ、今めっちゃ頑張ってるじゃん」みたいな感じになって、努力していると勘違いしてしまうことです。

そして、どMのように困難な仕事を頑張って頑張ってどうにかやり遂げてやるみたいになってしまいます。

でもこれまでの人間が進歩してきたことを考えると全く違いますよね。

  • 歩くのがめんどくさい ➡️  馬車や車を作り、飛行機を作った

  • 遠くの人に会いに行くのがめんどくさい➡️  電話を作り、スマホを作った

  • 料理がめんどくさい➡️  カップ麺を作り、冷凍食品を作った

これらの共通点は、どれも「めんどくさい=楽をしたい」という気持ちから生まれたものだと僕は思います。

これまでの人間の進歩を考えてみると、やっぱり「楽したい」があり、そのためにいろんなものを発明したりしています。

そういった背景から考えると「いかに楽をして仕事をするか」「どうすればこの仕事がもっと楽になるのか?」って考えるのは至って普通の考えです。

だからこそ、わざわざ苦労することって本当に良いことなのか?という質問に惹かれたんだと思います。

僕なりには、楽するために苦労したり、頑張ったりするのは全然OKなのかなと考えています。

元々めんどくさがりの僕ですが、いつの間にか苦労したい病にかかっていたのかもしれません。

この質問と出会って、また今日から「どうすれば楽になるか?」をどんどん追求していきたいと思います。

以上、今日はここまでです。

読んで頂いた方はありがとうございます。

ちなみに、今日読んだ本は"エフォートレス思考"という本です。

気になった方は読んでみてください。


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