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[暮らしっ句]蝉時雨2[俳句鑑賞]

 木魚打つ ポックリ寺の蝉時雨  松本五軒町

 一見するとユーモラスな句。木魚の音の「ポクポクポク」に「ポックリ」が掛けられている。
 しかし木魚もれっきとした法具。意味が必ずあるはず。「ポクポクポク」、「ポクポクポク」とやって「チーン」となりますよね。あれはおそらく「無音」を聞かせるための手立てだと思います。
 無音というのは科学的には音がしていない状態。にもかかわらず、時にそれを人は聞いている。どうやって調べたかというと、音を断続させたようです。すると無音を聞いてるとしか思えない反応が確認されたと。
 ただ、まぜかえすようなことをいえば、音が消えてもしばらくは耳をそばだてているわけで、それだけのことじゃないかとも突っ込めそうですが、そこがたぶんポイント。
 耳が音を拾えなくなると、必ず他のセンサーの感度が上がります。目が使えれば目を凝らすし、人によっては鼻を働かせる人もいるでしょう。それに加えて、いわゆる第六感のスイッチを入れようとするのではないか。
 第六感は何のためのセンサー? 法具に関係が深いとすれば、あの世とか霊的な存在を知覚するセンサーかもしれませんね。
 そう思って句を見直すと、お寺さんとしてはちゃんとあの世とつないでくださっている、と思えてきます。お寺にはそういうノウハウがある。
 本当に「ぽっくり」逝かせたりしたら殺人か自殺幇助になってしまいますので、感覚的にあの世とつなぐお手伝いをされてこられたのかもしれません。それが死への恐怖感を和らげてくれるなら、それでいいわけですから。

 なんてことをいちいち説明したりせずに、さりげなく冗談めかして云っておられるわけですね。いいお寺さんだ。
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 蝉時雨 子は担送車に追ひつけず  石橋秀野

 担送車(ストレッチャー)ですから、病院までは救急車でそこから手術室に向かったということでしょうか。いや、そうじゃないな。救急車に乗せるまでの光景だ。病院の中なら蝉時雨は聞こえませんから。
 ともかく子どもさんが担送車の後を追った。黙って追うことも考えにくいので懸命に呼びかけもしたと思います。しかし、蝉時雨にかき消されて声は聞こえなかった……。だからこそ淡々と描写できたのでしょう。抑えたことでかえってイメージが鮮明に。
 が、敢えて言えば、その光景はたぶん重要ではありません。この句が発しているのは、もっと普遍的なこと。

 世の中には、今のこの瞬間にもどこかで誰かが苦難に直面しているわけです。しかし当事者以外にとっては、その重大事も蝉の鳴き声のようなもの。情報社会で、たくさんの事件の報道に接していると、蝉時雨のようにまとめて聞き流してしまう。それで良いのかと。
 仕方がない面もあるんですよ。蝉時雨の中で一つ一つの声に耳を傾けることなど不可能。ただ、理屈で考えると無理でも身近で起こったことには目を背けまいと。何も出来なくとも寄り添おうと。その意志が問われている。
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 病む姉に小さき嘘や 蝉時雨  長浜好子

「だいじょうぶ。今は暑いからしんどくて当たり前よ。気候が良くなるまでの辛抱だから。先生もそうおっしゃってたもの」
 その声は小声であってはなりません。一点の曇りもない快活な声でなければいけません。しかし派手にやればやるほどボロが出ます。姉だってそうです。騙されたふりをするのもラクではありませんから。
 そんな二人の苦しい演技をカバーしてくれたのが蝉時雨。めちゃめちゃに騒ぎ立てているようで、それが救いになっていた。
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 蝉時雨 棺の釘打つ音高く   長浜好子

 お姉さん、夏を越えることが出来ませんでした。蝉と云えば短命の象徴ですから、はかなさが際立ちます。しかし、それはたぶん表の意味。
 蝉時雨のおかげで遠慮なく釘を打てたとか、八つ当たりするように打ったことも隠してもらえたとか、それも表の意味。
 じゃあ、ほかにどんな意味があるというのか?
 蝉時雨といえば「騒音の中の静寂」を示唆する言葉でもあります。それに倣えば、「意味の中の無意味」というものもあるかもしれません。
 たとえば、姉と作者の最期の時間はすべて蝉時雨に刻まれました…… こんなことを云うと、はぁ? となる人も多いかと思います。そんなこと云っても何の意味もないでしょ! と。
 でも、大切な人を亡くされた方であれば、スイッチのことをよくご存知だと思います。アルバムや書いた物だけでなく、あの頃に一気に戻してくれる魔法のスイッチがある。

 あの年もひときわ暑かった…… 姉の好物だったスイカを欠かさないように冷蔵庫に用意した…… でも少し口をつけるだけということが多くなって…… そのくせ梨が食べたいと云ったりした…… 銀座にでも行けば、梨が買えたのだろうか…… いや、そういうことじゃなく、秋まで生きたいということだったのか…… それに対してわたしはちゃんと応えたのか? 気休めを云って取り合わなくなったのは自分がラクしたかったからだ…… あの時、姉は何を思っていたのだろう…… そういえば、はじめは朝顔を数えていた…… それがわたしが数えて報告するようになって…… 摘んで枕元に活けると喜んでくれたが、その夜には、かわいそうだからもうやらないでと云った……

 蝉の声なんか覚えていない…… なのに蝉の声を聞くと蘇ってくる……

出典 俳誌のサロン 歳時記 蝉時雨

蝉時雨
ttp://www.haisi.com/saijiki/semisigure1.htm

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