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[魔っ句]無花果[俳句鑑賞]

 俳句鑑賞についてはこれまで[暮らしっ句]というシリーズ名で連載してきましたが、怪しい話が多くなってきたので、そっちは別シリーズにすることにしました。

 今回は、次第に「エデンの園」に向かっていきます。深夜の動物園のように印象の違う光景が……

※「エデンの園」についてのトンデモ話がありますので、キリスト教徒の方は読まないで下さい。ふざけてるつもりはありませんが……

※「魔」は悪魔のことではなく、人ならぬ力のことです。
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 妻が好きなりし 無花果供へけり  宮津昭彦

 普通なのにすっと共感できる句。不思議ですね。ステレオタイプなこと云ってると感じられる作品もあれば、何も変わったことは云ってないのに心にすっと入ってくる句もある。この後紹介する句を見ていただくと、この句の素直さがむしろ特別に感じられるかと思います。
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 門前に無花果熟れて 赤子泣く  渡辺菊子

 これだけだと「?」「無花果」と「赤子」にどんな関係が? 「赤子」が顔が紅くて熟れた「無花果」に似ている? それだけ? 
…… 次の句をご覧下さい。
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 無花果の乳噴き出すは さびしけれ  大島雄作

 これも状況を特定するにはあまりに手がかりが乏しい句ですが、一つ考えられるのは死産……。子を失った母体のことを「無花果」にたとえているのではないかと。そう思って先の句を読み直すと、上の句では母親の不在が読み取れます……。思っても口を慎むべき解釈かも知れませんが……。
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 ぶしつけな老い 無花果の中覗く  直江裕子

 変なことを云うのも歳のせい~ それはともかく、
「無花果」を詠んだ句には「秘密」に重ねる句がたくさんありました。
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 尼僧院 無花果は充分に熟れて  野田田美子

 男がこんなことを云うとセクハラものですが、そういう意味じゃないのかも知れませんが、そんなふうにも読めますよね。
 この「尼僧院」を「母子寮」(昔はそんな福祉施設があったのです)と置き換えれば、偏見とか好奇の視線になって作品ではなくなるでしょう。「尼僧院」が効いているのは実際の「尼僧院」には立派な方が多いと云うことと、もう一つは「エデンの園」に掛けた表現になっているから。
「エデンの園」に掛けた句はたくさんありました。
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 エデンの園 無花果低く実りけり  中島陽華

 一応、お復習いをしておくと「エデンの園」は神が作られた最初の人間、アダムとイヴに与えられた居場所。「楽園」といわれたりしますが、どちらかというと果樹園っぽい。二人は住み込みの管理人。真面目にやっていればノルマは少ないし病気もしない。死ぬこともない。その意味での「楽園」。
 そこに蛇が現れ「知恵の実」を食べるよう唆(そそのか)します。「知恵の実」を食べることは神から厳しく禁止されていましたが、二人は結局、食べてしまい、それが追放へとつながっていきます。
 事情はもう少し複雑で、罰として追放されたというよりは、今度は「生命の実」まで食べてしまうんじゃないかと。そこを警戒されて追い出されという面もあるようです。何かピンと来ません?
 そう我々は今「生成AI」という「知恵の実」を食べつつあるわけです。その次には必ず永遠の生を望むことでしょう。「生命の実」、すなわち「ALife」!
「ALife」の研究はまだまだのようですが、しかし、自己増殖し進化するプログラムはとっくの昔に開発されています。ウウルスのようなものはすでに作成済みかも。もし旧約聖書の神が存在すれば「追放」される局面……。

と話が少し逸れましたが、多少なりともリアリティを感じていただかないと、この世界はわからないと思います。

「無花果」が低いところに実っている…… つまり「知恵の実」は手の届くところにあったんでしょ? と作者はツッコミを入れてる。
(※「知恵の実」の正体ははっきりしていませんが、リンゴは後世ヨーロッパで広まった説。古代ユダヤでは少なくともリンゴは自生していなかったし栽培もされてはいなかったとか。「無花果」説のほうが有力)

話を戻します。
 小さな子どもの手の届くところに刃物やライターを置いといて事故になれば、絶対、親の責任が問われます。それと同じで、どうして「無花果」を手の届くところに実らせたのかと。神の真意を疑っているわけです。
 蛇が唆かす以前に、神よ、あなた自身がアダムとイヴを試そうとしていたんでしょ? そして、結果も見通していたんでしょ? と責めている。

「裁判官! ワタシたちの祖先は嵌められたんです!」

 何やら物騒な話になってきましたが、この作者がトンデモということではなく、センサーの感度を上げて、先入観にとらわれない自由な発想を心がけていれば、思いもよらなかった光景が見えてきた…… そういうことだと思います。
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 どんな闇を閉じ込めているのだ 無花果  増田幽黙
 無花果や エデンは白き闇の中  中田禎子

 上の句は「無花果」の「花」が内部にあることに掛けたものです。
 隠された「闇」とは何か?
 下の句の作者はそれを「白き闇」を表現されました。

「云いつけを守っていれば生活が保障される」というのは、近い将来、導入されるベーシック・インカムを彷彿とさせます。
 ベーシック・インカム? 何それ? という方は生活保護を受給するにはどんな条件を満たす必要があるのかと考えていただければいいでしょう。
 預金や価値ある物の所有は申告せねばならないはずです。エアコンですら認められない自治体もあるとか。
 ベーシック・インカムの時代になると、その管理がはるかに強化される。家畜を連想する方もおられる。その観点から考え直すと……

「エデンの園にはプライバシーが無かったの? というか収容所?」

 信仰のある人からすれば、「エデンの園」に限らず、どこで何をしてもすべて神様はすべてお見通し、ということだと思います。だから悪いことは出来ないし、やってはいけないと。
 でも、そうではない者にとっては、監視カメラが無数にあって行動がすべて記録される場所には居たくはないなあ……ということになりませんか?
 作者の深意はわかりませんが、「白い闇」ってまさに「監視社会」にピッタリな表現。カメラやネットやカードの向こうには必ず「目」があるんですから。
 従順にしていれば明るい平穏な暮らし。しかし国の方針を「忖度」しなければ「追放」。しかもその内容は法律のように明示されたものではなくブラックボックス。AIによる判定。信用スコアによる累積退場~

 それもこれも「エデンの園」から、あったこと?
 園の主が人間に代わるだけ?
 いや、AIを盾にしたブラックボックスで中身は「闇」……

と、ここまで云うと、インボー論か。

 宗教的に考えれば、試練が与えられたのだ。感謝すべし!
となるのでしょう。精神的にはそのほうがよさそう。

 いずれにせよ、下手なSFやトンデモ歴史(いずれもわたしのことです)より、はるかにスケールの大きな話になりました。俳句にはそんな魔界に誘うチカラもあるようです。
 俳句だけが「魔」に通じるのではなく、アートや創作に手を染めると「魔」にふれてしまうんじゃないでしょうか。オカルトなんかにはまったく関心が無くても、

 出典 俳誌のサロン 歳時記 無花果

無花果
ttp://www.haisi.com/saijiki/itijiku.htm

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