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うがい薬問題で思うこと

なんか世の中モヤモヤする出来事が多いですね。そしてそのモヤモヤを教育問題につなげてしまうのは悪い癖だなと自覚しているのですが、やはり今回も自分の中でつながってしまいました。

大阪も日に日に感染者数が増え、府の取り組みに対しても疑問の声が上がっている中での吉村知事の「うがい薬(ポビドンヨード)」発言だったのかと思います。国民の目線を反らし、ポジティブな空気を作りたかったのかもしれません。その真意はわかりませんが、いずれにせよ研究が途中の段階で、エビデンスが不足している中での影響力あるリーダーの発言としてはお粗末だったのではないかというのが個人的な感想です。(上記の記事のように、現在一生懸命火消しをされているようですが、批判を受けて当然だと思います)

ただ、それ以上に思うのが、この報道を全く疑うことなく信じ込み、ドラッグストアでうがい薬を買ってしまう人々の情報リテラシーの低さです。中にはうがい薬を買い占めて転売を試みようとする人までいるらしく、暗澹たる気持ちになります(医薬品の転売は犯罪とのことです)。

このリテラシーの低さはどこから来るんだろうと考えたのですが、やはり教育に依拠するのではないかと思いました。

日本の学校教育では、往々にして答えが一つの問題に取り組み、その答えを当てることが評価につながります。逆に正解以外の答えに価値が置かれることはほとんどありません。

授業では先生の言っていることが絶対であって、先生と異なる考えや意見を言うことは基本的にタブーです。部活でも同様に顧問の先生や先輩の言うことが絶対であり、思考停止に陥りがちです。

このような環境の中で、批判的思考力(クリティカル・シンキング)を高めなさいというのは無理難題だと思うのですが、この変化の激しい社会で常に新しいことに直面していくうえで、この批判的思考力の低さは致命的だと思ってしまいました。

クリティカル・シンキングとは自分の主観や感情に左右されずに、多角的に物事を判断しようとする思考プロセスですが、ネガティブな面を批判するだけではなく、さまざまな角度から多角的に物事をとらえることができる力です。多様化し、情報があふれている社会においては生きていく上で必須の力だと思います。

このクリティカル・シンキングとも密接にリンクするのがメディア・リテラシーだと思います。メディアで騒がれている情報やセンセーショナルなニュースなどに疑いなく飛びつくのではなく、multiple views(複数の視点)を持って物事を判断する必要性を学校で教えるべきだと思っています。

また、批判的思考力を涵養するには、多様な価値感が存在する環境を当たり前のように整え、物事にいろいろな側面があることを肌で感じて生活することが必要だと思います。そのために学校や先生たちは自分の価値観を生徒に押し付けるのではなく、彼らのバラバラな個性を享受していくことが肝要ではないでしょうか。

学校でなくても、家庭でも子供のクリティカル・シンキングを鍛えることは可能です。例えば、Closed Question(答えが限られた質問 )ではなく、Open Question(答えが無限にある質問)を大事にすることは、子供が多様な価値観を育むのに重要だと思います。とりわけ”WHY?”の気持ちを失わないようにすることは大切だと思います。小さい頃は誰でも持っている「なぜ、どうして」の気持ちは成長するにつれて、どんどん消えていってしまいます。ただ、”WHY”に秘められた探求心があれば、自分でどんどん積極的に物事を調べ、多様な考え方や価値観を身に着けていくはずです。

上記のように多様性の乏しい社会や画一的な学校教育は我々から今後生きていくのに必要とされる力を奪っているのは間違いないと思います。であれば、それらを変えていかなくてはならないわけで、まずは自分のやれることをしっかりやっていきたいと思いました。