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世界で学ぶ意義 『グローバル化する進路指導』

日本はすでに先進国ではない

ここ数年で本気でそう思うようになりました。もちろん多くの方が異論を唱えるでしょうが、自分の専門である教育分野や経済界を見るにつけ、その思いは年々強まっていきました。

日本は戦後世界が驚くような高度成長を遂げ、瞬く間に世界2位の経済大国になりました。その恩益を受けて日本人は「国民総中流階級」と呼ばれるほど、皆が中流の、つまり豊かな生活を手に入れて、国は右肩上がりで発展していきました。

しかしながら、1900年代後半のIT革命をきっかけに加速度的に広がったグローバル化の波に日本はまんまと乗り遅れ、今では経済だけでなくあらゆる分野で世界に置いていかれようとしています。

例えば、グローバル化の一つの象徴ともいえるダイバーシティ(多様性)。日本は島国という地理的環境や農耕社会・村社会という文化的背景などを背景に非常に強い均質性・画一性が求められる社会が成り立っています。言い換えれば、個人よりも集団が優先される集団主義が社会の根底にあります。集団が重視されるばかりにその分『個』が軽視され、多様性が失われていきました。そうやって変化を拒む、硬直化した社会が出来上がってしまいました。

「出る杭は打たれる」し、「朱に交われば赤くなる」社会のなので、周りから抜きんでることも、集団から逸脱することも『悪』とされ、人と同じでいることが『正義』だとされる社会であり続けるなら、この国には残念な未来しか待っていないのではないかと思います。経済力をバックに世界でも存在感を発揮していた先進国から、BRICs(Brazil, Russia, India, China, South Africa)のような新興国に抜かれ、「後進国」になり下がったとしても何の不思議もありません。

ここまで経済の側面を中心に見てきましたが、本題の教育に話を移します。『日本の教育は150年間変わっていない』というのはよく聞く話です。戦前・戦時はお国のために仕える兵士や労働者の育成、そして戦後は復興のために質の高い労働者を育成することを目的に、規律と集団性を重んじた画一的な教育が長い間実践されてきました。私はこの『20世紀型』の教育のすべてが悪いとは思っていません。実際に海外3か国の学校で教えた時に、日本の教育の素晴らしさを強く感じました。もし日本の人口が増え続けていて、国内のマーケットだけで生きていけるなら日本の教育もこのままでもよかったかもしれません。しかし世界は変わりました。それなのに、日本は、そして日本の教育は変わっていません。変わらなければならないと思います。

20世紀型教育

一方通行型・講義型授業、知識重視=暗記が命、協調性・規律優先、同調圧力強め、集団至上主義、など

21世紀型教育

相互通行型授業、アクティブラーニング、PBL(Project Based Learning)、思考力(論理的・批判的・水平的思考力)、4技能英語教育、ICT教育、プログラミング教育、STEAM教育(Science, Technology, Engineering, Art, Mathematics)、SDGs、など

20世紀型教育の良い部分、例えば「規律を重視」「他人に配慮し、互いを思いやる」、そして「集団で何かをなしえることの大切さ」などはこれからも日本人のストロングポイントとしてしっかりと教育していきながら、今後変化の激しいグローバル化した世界で生きていくために上記のような21世紀型の教育をしていかなくてはいけないと信じています。

ちなみに私の勤める学校では上記の21世紀型教育を積極的に取り入れ、成果を上げています。しかしながら、全国的にみると、いまだに一方的に先生がしゃべり、生徒がノートを取って暗記するという20世紀型の教育が一般的です。このままでは答えを見つけるのが上手な子供は育っても、答えのない問題に取り組む力を持つ生徒や自分から問題を創造する生徒はなかなか生まれてきません。解なき問いに対して立ち向かい、自分の解を導き出せる人間がこれからの世界では必要です。そのための選択肢として、『グローバル進学』(海外の高校への留学・海外の大学への進学)を私の学校では生徒たちに勧めています。

むやみやたらに欧米礼賛主義を取っているわけではなく、海外3か国の学校で教えた経験と100校近くの海外の高校や大学を視察してきた中で、20年以上身を置いた日本の教育と比較したときに、もしできることなら留学や進学を選択肢に入れるべきだと強く思うのです。(もちろん経済力が大きなカギになるので、だれでも行けるわけではありません)

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例えば高等教育に目を向けた時に、一度入ったらほぼ誰でも卒業できる日本の大学と、入るのは比較的容易だが進級・卒業が難しい海外の大学ではどちらが得るものが多いかというのは自明の理な気がします。もちろん海外の大学だからよい、日本の大学ではだめだという単純な話ではありませんが、上のグラフからもわかる通り、日本の大学生は一般的に勉強をしません(6割の学生が1週間の学習時間が5時間以内です。これは小学生よりも学習時間が少ないです)本気で学問を学びたい場合、海外の大学で志の高い仲間たちと素晴らしい環境(少人数の授業、充実した設備など)の中で学ぶことは意義深いことだと考えます。(18歳人口が減り続けているのに、大学の数は増え続けていることも大学生のレベルを下げている要因だと思います)

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また、日本はOECD32ヵ国中教育にかける公的支出が最下位なのは有名な話です。国として本気で教育を変えようと努力しなかったツケがいま回ってきていると言っても過言ではないと思います。

だからこそ今国を挙げて大学入試改革や教育のグローバル化を図っていますが、今回のコロナ禍の政府の対応を見てもわかるように、危機意識とスピード感の欠如は著しく、日本の教育が変わるにはまだまだ時間がかかることを覚悟せざるを得ません。

勘違いしていただきたくないのは日本の教育がすべて悪いと言っているわけではありません。むしろ初等教育は世界に誇るべき高水準のレベルだと思いますし、中等教育も多くの志の高い先生たちが一生懸命自分の生徒たちのために日々努力をされています。(このGW中に縁あって多くの先生方とつながることができ、その志の高さに触れて自分のモチベーションがブーストしています)やはり変わるべきは大学入試制度を含む高等教育で、改革のスピードをもっと上げるべきです。(大学入試に関しては、韓国や台湾なども国を挙げて日本型の入試制度から欧米型(AO入試スタイル)に変えています。こちらはまた今度詳しく書きたいです)

最近では滋賀大学や横市がやっとデータサイエンス学部を創設したり、早稲田が政経学部の入試で数学を取り入れたり、MARCHでも新しい学部が出来たりと大学側の努力も見て取れます。ただ、150年間も変わってこなかったのだからもっとスピード感を持ってドラスティックに変えていってほしいです。そうやって日本の高等教育の質が上がっていき、同時に海外大学・大学院で学んだ学生が日本に帰ってきてその力を母国で十分発揮してくれたら、日本の社会はより明るくなっていくと思います。

賛否両論あると思いますが、私個人としては、このグローバル化した社会の中で、進路指導も今まで国内大学一択だったところを、世界に飛び出し、より厳しい環境で自分を高めていくという選択肢を多くの教員が持っていてほしいと願っています。