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【散文】笑っている君が好き

元々、歯並びが悪かったけれど私はクラスでは人気者で小学生時代も無敵だった。けれど、小さな町に大きな歯医者ができてそこの息子が転校生としてやってきてから世界は暗転した。
学級委員をやっていた私は転校生に学校の場所を案内するよう先生に言われたので、トイレや理科室、体育館、音楽室など走ってまわっていった。
最後に教室に戻ってきたとき彼が笑顔で言った。
「とてもわかりやすかった。ありがとう! ところで気になっていたのだけど、どうしてかわいいのに歯を治さないの?」
「え……」
私にはそれまで「歯を治す」という発想がなかった。歯列矯正をしている女の子はいたけれど、別に気にしたことがなかったし、その子は歯医者さんにワイヤーしめつける度に痛くなると言っていた。お母さんに言われて仕方なくしているとも言っていた。
とてもお金もかかるし、うちは貧乏だったのでお母さんに連れて行かれることはないと安堵していたくらいなのに。
転校生の子が「かわいいのに」と言ってくれたことよりも「歯を治さないの」の一言が重くのしかかる。治すか治さないかは病気のときに使う言葉だ。怪我をしているともいう。私の歯は健康ではないし、不自然ということだ。彼がそれから「うちのパパならすぐに治せるよ」と自慢しはじめたけれど、頭に入ってこず曖昧に笑ってごまかした。
それから私は人前で歯をみせて笑うことを控えた。たしかに歯が前に出ており口が閉じないという弊害がある。今までどうやってこの歯をみせて笑っていたのかわからなくなり、言葉数が減った。

中学校に入り私は根暗な子になった。本をひとりで読むのが好きになった。ブスという部類は勉強するしかないと考え、大学でも真面目に勉学に励んだ。恋はしてこなかった。
社会人になり、私は地元を離れて大手企業の経理課に就くことができた。独り暮らしするだけでも大変だった。そのうち、同じ経理課の上司だった人と結婚する。けれど、彼は結婚一年目で、別の課の女の子にセクハラをしたとかでクビになり私の愛も冷めた。離婚を渋っていた彼が吐き捨て様に「出っ歯のお前と結婚してやれるのは俺くらいだ。せいぜい後悔しろ」と身体的特徴をあげつらった。たしかにな、と冷めた感じで考えた。この歯でどうして結婚できたんだろう。ぎこちない笑いしかできない私は口に手をあてて「おほほ」と笑うことがクセになっていた。なので写真は滅多に撮らない。誰がなんのために見る必要があるのかわからないからだ。風景や食べたスイーツの写真ばかりが携帯に入っている。

離婚して慰謝料なし、無職で地元に戻った。結婚はもうしないでいい。すでに父は亡くなったので母ひとりいる家に戻った。年齢はアラサーだったけれど、今から行こうと思った。
転校生だった彼がいた歯医者「きさらぎ矯正歯科」。如月くんは歯医者になったかは知らない。仮にいたとしても私のことなど覚えていないだろう。お前のせいでこうなった女の末路、とくとご覧あれとか考えながら無料みつもりOKということで院内に入る。
子供が遊べるキッズスペースが待合室にある。矯正歯科以外に診療しているそうだ。平日だけど人が混み合っている。女性のスタッフが多く安心できる。マスクをした小学生の女の子が待合室で足をぶらつかせながら母親に話していた。
「ここの先生、イケメンだったね」
「そうね、ここに通うことにしてよかったね」
イケメンだからここに通うことにして良かったのか。腕だろ、着目点は。笑顔だから痛くなかったのか。それともイケメンだと下手くそでも許されるのか。ルッキズム社会はこれだから困る。顔の美醜によって人生は大きく変わる。だから私は昔にあった整形番組が嫌いだった。醜い人が涙ながらにひどい人生を語る。そして整形外科はいかにあなたが醜く、美しさから遠い存在で施術が難しいのか語ったあと恩着せがましくアフター写真をみせながら、ここをこうしましたと説明して感謝させるまでの茶番がいやだった。そして、人生が本当に変わってしまうという事実も。

わかっている。出演者は自分の人生を切り売りし顔を全国にさらすというリスクと引き換えに美しい顔を手に入れる。それでウィンウィンじゃないか。きっと私はそれが羨ましかったのだと思う。

「東海林さん~東海林あす香さん~」
感傷に浸っていると名前を呼ばれた。私は意を決して出陣する。
案内されたのは個室だった。まず写真撮影をしますと言われた。レントゲンだそうだ。写真をとって施術椅子に座って待っていると先生がやってきた。
女性スタッフが写真を渡す。
マスクをしているメガネをかけた先生。転校生の子かはわからなかった。弟が継いだとか、全く違う人なのか。たしかにイケメンだったけれど、眼の前に映されたレントゲンの写真の歯並びがいびつすぎて目が離せなかった。
お見積りとかかる年月。毎月一回から二回の通院。保険適用外なので金額がかかることと、医療ローンはあるけれど基本的に分割払いという概念がなく一括でのお支払いをおすすめされる。お金ならある。会社員のときに稼いだ貯金だ。ワイヤーが一番安価であることを説明され、私は契約をしてしまう。別にお金も時間もあるし、見られて恥ずかしいとか人目を気にする人もいない。
歯並びをみて先生が「これは上顎と下顎のずれがひどいですね。時間かかりますね」とニコニコしながら言った。やりがいがあるというより、困ったな大変に歪んでいるぞと思っていそうだ。
別に構いませんと言い、お金はカードで一括支払いしますと言った。最初は60万円ほど。歯列矯正の器具代だ。そこから毎月一回5000円ほどの施術料金が発生する。最初は月二回だから1万円ほどになるだろう。別にいいか。自分にお金かけたって。

契約書類に名前を書いたりしながら、終わりがけに先生がひとこと言った。
「ようやく来てくれたんだね、あす香ちゃん」と言った。
私は応対した彼がようやく転校生の「如月くん」本人だとそこで知った。契約は交わしたあとなのでここに通うこになる。三年くらいは決定事項だ。
今からでも契約を取り消そうか迷ったくらいだ。
先生ーー如月くんは笑顔で言った。
「これから、よろしくね」
マスクをとった彼はようやく過去の彼と合致した。ニコニコした邪気のない笑顔。けれど、彼は自分の言葉で誰かが傷ついたことなど、まるでわかっていないのだ。私はそれならそれでいいと思った。
これは小さな復讐。綺麗になって、先生を含めて夫も社会も認めさせてやる。三年で変わるーー私はそう決意した。
「ええ、先生。よろしくお願いします」
懐かしいとも何も言わず私は他人行儀に返事をした。

つづく?

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