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くるみの24年間ふり返り【前編】早期教育→サピックス1位から桜蔭→鉄緑会から慶應医学部特待合格まで

こんにちは、慶医中退外銀放逐妻くるみ🐿️&1浪明治夫トマト🍅です。

くるみ🐿️の24歳バースデー企画! ということで、24年間をふり返りました。

【前編】ではサピックス1位から桜蔭合格、さらに鉄緑会から医科歯科蹴り慶應医学部特待合格したくるみ🐿️家の家庭環境や早期教育に触れつつ、 慶應医学部合格までの人生を1浪明治の夫トマト🍅と共にお送りします。


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①幼少期

かなり教育的な家庭に生まれたくるみ🐿️。

父は東大卒でさらにアメリカの大学・大学院に留学。母は仕事を退職して着いていって、アメリカに住んでいました🇺🇸。その時に生まれたのが3歳上の兄です。

(くるみ🐿️は帰国してから生まれたので、残念ながらアメリカ国籍はなく🇯🇵)

英語教育

3歳までアメリカでプレスクールに通っていた兄は当時英語が喋れたので、日本に帰ってきてからも忘れないようにと、帰国後英語教育が始まりました。

それが「ディズニー英語システム」でした。よく巷でPRされている一式100万円くらいのお高いヤツです(我が家もご多分に漏れず妊娠中にサンプル請求して勧誘を受けましたがモノはいい)。

当時はYouTubeもなく今ほど手軽に英語を聞き流せる時代でもなかったので、そういう意味では良かったのかと!多少喋れるようになりましたし。

早期教育

くるみ🐿️家の早期教育は英語に限らず。

勉強面でも3歳上の兄とずっと同じことをやっていて(やらされていて?)、自然と3歳先取り教育になっていました。読み書きも計算も。

私が負けず嫌いで、兄と同じことをやりたい!と思っていたので、やらされていた感はあまりありませんでした。

禁止事項

お金を持ち歩かせてもらえないので、買い食いをしたことがなくて、大人になってから初めて駄菓子屋さんに行きました。

本はいくらでも買ってもらえるけど、漫画は学習漫画以外買ってもらえない。(唯一こち亀は雑学が身につくからと図書館で借りて読ませてもらえました)

知育になるゲームは買ってもらえるけど、そうじゃないゲームは買ってもらえない。(大人になって初めてDSをメルカリで買って、マリオの楽しさに感動しました)

これが明文ではなく暗黙の禁止、という感じで。

同じ親の下で育てられても、兄はこっそりゲーム機を調達してきてプレイして、結果ゲーム系の仕事をしているのが面白いところですね。

私は「真面目に親の言うことを聞かないといけない」という幼少期を送っていました。

②S塾〜桜蔭へ

小学受験をさせる方針の家庭ではなかったので、小学校は兄弟ともに公立小でした。ただその代わり?中受熱はすごくて。

小さい頃から私立中高の文化祭に連れて行かれていて、兄は幼稚園の時から「麻布に入る!」と言っていた逸話があります。

当然の流れで小学校4年生から中学受験最大手「S塾」に入ることに。

無双

「S塾」では無双していたくるみ🐿️。

3年間トップのα1コースをキープし続け、クラス分けテストでは2度ほど全体1位を叩き出しました。

クラス分けテストの順位は基本1ケタか2ケタ。

受験者が数千人いる中で、3ケタ順位を取ろうものなら母に猛烈に怒られました(笑)夜通し説教されたことが何度あったかしら。

「中学受験は父親の経済力と母親の狂気」とはよく言ったものです。

志望校決め

目指すなら「トップを目指しなさい」。

母に偏差値表を見せられてそう言われ、女子校偏差値トップの桜蔭中を目指すことになりました。

このときから「1番上を目指さないといけない」という価値観を植え込まれていて、これから後に脱却するのが大変でした…

桜蔭へ

勉強はできたので、難なく桜蔭に合格し、進学することに。

一見順風満帆に進んできたくるみ🐿️家ですが、家庭環境には不穏な空気が漂い始めていました。

桜蔭受験の前日にも大喧嘩が勃発したのですが、その後も喧嘩絶えず、ここで夜逃げ。忘れもしない中1のクリスマスイブでした。

父が出張中という名目でいなかったのを見計らって、家族3人で引越し。そこからさらにひと悶着もふた悶着もあって、私と母の2人暮らしが始まりました。

③桜蔭時代

生活面

籍は抜いていないけれど実質母子家庭生活が始まったので、身についたのが家事スキル。このときはやらざるを得ませんでした。

学校から帰ったら買い物行って夕飯作って母の帰りを待つ毎日。学校に持って行くお弁当も自分で作っていました。

勉強面

意外に思われるかもしれませんが、桜蔭はあまり勉強勉強、という感じではなく。宿題も少ないです。

そんなことしなくてもみんな勝手に(鉄緑会で)やるので。

私は中学の3年間は塾にも行かずのんびり過ごしていました。勉強も部活もゆるい学校だったので、人生で1番のんびりしていたかも。

お金面

裕福な感じではなかったので、ここで私のベースの金銭感覚が培われました。

お買い物担当になって節約思考が身についたし、小銭を稼ごうとブログでアフィリエイトを始めたのもこの頃。

結果ドケチになってしまったので、お金に困っていない今でもお金を使うのが難しいです(笑)

④鉄緑会〜慶医合格へ

鉄緑会へ

高校に上がる頃、そろそろ受験勉強を始めようと東大進学専門塾「鉄緑会」に入りました。

中学受験の合格発表の帰り道で「合格おめでとう!次は東大!」というビラを配っているあの塾です。

その流れで中1から入る子も多いので、高入組はすでに結構なビハインドを負っていて。追いつけ追い越せと必死でした。

その結果、高2の時点では上の方のレギュラークラスに上がることができて、学力面は順調。ただ、特に将来やりたいことというものはなく、志望校は定まっていませんでした。

ただぼんやりと「1番を目指さないといけない」「いい大学に入っていい職業に就いてお金持ちになれば幸せかな」とは思っていて、今思うとかなり洗脳されていました。

医学部へ

医学部を目指すきっかけになった、そして私の人生を大きく変えたのが慶應病院に入院・手術を受けたことでした。

そもそも周りにも親が医者だとか、医学部志望が多かったので当然の流れといえばそうですが。(そういう理由で医学部を志望するのはいかがなものかというのは置いといて)

いくら「1番を目指せ」と言われても理3は現役では難しそうだったので、東京医科歯科大学とお世話になった慶應義塾大学医学部を受験することに。

そしてどちらも合格しました。

家庭環境的に国立の医科歯科に行く気満々だったくるみ🐿️ですが、ここで人生を変える出来事が起こります…

続きは後編で👋



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