見出し画像

暦はいつどこから伝わったのでしょうか


 日々のスケジュール管理に暦(カレンダー)は重要な存在です。毎日多くの人々が暦を目にしていることでしょう。では暦はどこからいつ頃、日本へ伝わって来たのでしょうか。

 暦は中国から朝鮮半島を通じて日本へ伝わったそうです。大和朝廷が百済くだらから招いた僧侶より暦法(暦の作成方法)を学び、飛鳥時代の推古12年(604年)、日本で最初の暦が作られました。

 この時代に使われていた暦は、「太陰太陽暦」と呼ばれました。1ヶ月を月の満ち欠けの周期に合わせたのです。天体の月は地球を29.5日周期で回ります。そこで、暦の1ヶ月を30日とする月と29日とする月をつくって調節をし、30日の月を「大の月」、29日の月を「小の月」と呼びました。明治時代に太陽暦に改正されるまで太陰太陽暦は用いられたのです。

 江戸時代は天文学が発達していきました。徳川吉宗(8代将軍)は西洋の天文学に関心を寄せ、清国(1616年〜1912年)で編さんされた「暦算全書」の翻訳・研究を学者たちに行わせました。この「暦算全書」は明国(1368年〜1644年)で編纂された「崇禎暦書すうていれきしょ」を基づいてつくられました。「崇禎暦書すうていれきしょ」はイエズス会宣教師のマテオ・リッチ(フランシスコ・ザビエルの成し得なかった中国(北京)での布教を行なったイタリア人宣教師)、アダム・シャル(ガリレオ・ガリレイの天文学を学び、中国暦の改修を行なったドイツ人宣教師)の二人によって編さんされました。これによって西洋天文学が取り入れられたのです。

太陽暦(明治6年(1873))国立図書館デジタルコレクションより
太陽暦(明治6年(1873))国立図書館デジタルコレクションより

 さらに明治時代になると明治政府は近代化を進めるなかで、暦も欧米との統一をはかる方針から、それまで使われていた太陰太陽暦から太陽暦(グレゴリオ暦)への改暦を1873年(明治6年)に行いました。現在に至るまで使用されており、今年は改暦150周年にあたります。

 4月になり、新生活を始められた方もおられることでしょう。新入生、新社会人の方は、それまでとは大きく環境が変化して戸惑いを感じられるかもしれません。しかし、それらの変化の中からあなたにとってかけがえのない出会いがある可能性があります。その出会いが人生を豊かに素晴らしくしてくれるのだとしたら、その存在を知りたくはありませんか。
 聖書に登場するイエス・キリストこそ私たちが出会うべき真の神なのです。この方との出会いから人生を変えられた人は世界中にたくさんおられるのです。
あなたもイエス・キリストと出会ってみませんか。

 聖書には、神(イエス・キリスト)によって人生を変えられて豊かな人生を送った人々の記録が記されています。どうぞ聖書を開いてみてください。

単立バプテスト 苫小牧キリスト教会のホームページではさまざまな情報を発信しております。
どうぞご覧ください。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?