スピノザ往復書簡

題:畠中尚志訳 「スピノザ往復書簡集」を読んで

この「スピノザ往復書簡集」は「知性改善論」と同じ畠中尚志が訳している1958年発行の古い本で、復刻版として入手している。この「スピノザ往復書簡集」はスピノザの書簡の内か個人的な思想とは無縁の記述は削除されているらしい。どうもスピノザの思想を浮き彫りにするために編集されているとのこと。書簡は年代順に並べられて、合計十九人とのやり取りが掲載されている。無論、スピノザ思想の信奉者ばかりではなくて、論敵とのやりとりについても掲載されている。神学者のブレイメエンベルクとスピノザとの間で取り交わされた「悪について」は「スピノザ 実践の哲学」にも簡単に紹介したが、生々しいものがある。ブレイメエンベルクの主張にも納得しかかる。けれど、次第に手紙は俗悪さに満ちてくる。反駁するスピノザは冷静である。常にスピノザは温厚で冷静に手紙を書いている。自らの思想の更なる説明を求められた時も簡明に論理的に書いているが、幾分突き放したように見えるのは既に著書にて説明していると主張しているためであろうか。

なお、この「スピノザ往復書簡集」はスピノザの哲学的思想ばかりではなくて、科学的な内容も結構含んでいる。また、哲学的内容そのものも繰り返されて書かれている。従ってすべてを理解しようとして読んでいると、とても時間がかかるため科学的な記述はおおよそ読んだだけである。もったいないと思うけれど、無制限に時間があるわけではないので致し方ない。感想としては、哲学的な概念について記述した個所の内、気になった点のみを箇条書きにて示したい。なお、引用は本書の文章の接続詞や動詞を省くなどして縮めるなど、若干の操作をしている。また、本書以外の訳文があるかどうかは知らない。最後にほんの少しだけ感想を述べたい。

1) 神とは自己の類において無限で最高完全な無限数の属性からなる実有である。
2) その本質において全然異ならないような二つの実体は存在しない。実体は産出されることができず、存在することが実体の本質に属する。すべての実体は自己の類において無限で最高完全である。
3) 個々の意志発動は、その存在の為に自らの原因を有せねばならぬので自由とは言われ得ず、むしろ必然的にそれらはその原因から決定される通りである。誤謬乃至個々の意志発動は自由ではなく、むしろ外的原因によって決定され、決して意志によって決定されない。

4) 実体の本質には存在が属する。同一本性の実体は多数存在せずただ一つである。すべての実体は無限なものである。
5) 様態の定義は何らの存在を含むことができず、存在していたとしても存在していないものと考えることができる。持続の概念の下に様態の存在のみを説明できるが、実体の存在は永遠の概念の下にのみ説明され得る。
6) 持続と量を任意に限定できるため、時間及び大いさの概念が生じて、時間は持続を、また大いさは量を表象できる。

7) 持続が瞬間からなるというのは単なる零の寄せ集めだけから一定の数を得ようとするのと同一である。
8) 精神の状態から生じる表象力の現れ即ち表象像は未来の物の前兆となる。
9) 神は実体としての精神の原因であるばかりではない、我々が意志と名づけている精神の運動・努力の原因でもある。従って精神の運動即ち意志の中にはどんな悪も存しないか、それとも神自身がその悪を直接的になすかのどちらかである。

10) 存在する一切は他物と関係なしにそれ自体で見られる限りある完全性を含んでいる、単に不完全性の表示に過ぎないところの罪というものは、実在性を表現するあるものの中に、例えばアダムの決意とその遂行の如きものの中には存し得ない。
11) アダムの決意の中に存した悪はアダムがあの行為のゆえに失わなければならなかったより完全な状態の欠如にほかならない。
12) 我々は意志し判断する力を知性の限界内に保ち得る。
13) たとえ混乱した事柄でも、それに同意して自由を行使することが常に無関心であることより、即ち最低段階の自由に止まるより遥かに善い。


14) 三角形の和が必然的に二直角に等しいことを認めるやいなや、それが偶然の結果であることを否定する。
15) 狂人、お喋り女、その他この種の多くの者も、精神の自由意志から行動すると信じ、衝動に左右されているとは信じていない。人間は自分を自由であると信じている。
16) 我々は神の諸属性のうち思惟と延長しか認識得ない。

17) 精神は現実に存在するある物体の観念である。ところで物体のこの観念は延長と思惟以外の他のどんな神の属性も包含しない。
18) 思惟においては絶対に無限なる知性、延長においては運動及び静止がある。
19) 各物は神の無限な知性の中では無数の仕方で表現されるけれど、この表現された無数の観念はある一個の物体の単一なる精神を構成することができず、無数の異なった精神を構成する。異なった無数の属性に関係するこれら無数の観念の各々は相互に何らの連結を有しない。
20) 聖書は聖書のみによって解釈されなければならない。


さて、このように引用した文章にはさまざまな概念が含まれている。自由や意志、持続や瞬間の概念が提示されているのが興味深い。

スピノザは神即自然を根幹とする汎神論と決定論の持ち主であることは、上記の引用文からも窺い知ることができる。上野修著「スピノザの世界」からも若干言葉を借りて、神と人間とを簡単に表現すると次のようになる。私の文章であることに注意されたい。同一本性の実体はただ一つ存在する。実体とは神であり無限の属性を持つ。こうした神は事物に様態化し変状する。神の本性には知性も意志も属さない。在りて在るものはその本性の必然性から一切を生じる。自由とはこの神の自己必然的な様態化である。人間もまた神の様態である。この人間の精神は神の属性の内延長と思惟以外に何らの認識もし得ない。

以上

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詩や小説に哲学の好きな者です。表現主義、超現実主義など。哲学的には、生の哲学、脱ポスト構造主義など。記紀歌謡や夏目漱石などに、詩人では白石かずこや吉岡実など。フランツ・カフカやサミュエル・ベケットやアンドレ・ブルドンに、哲学者はアンリ・ベルグソンやジル・ドゥルーズなどに傾斜。