題:ニーチェ著 原佑訳「権力への意志」を読んで
この「権力への意志」は上下巻で、あわせて1000頁あり、それもアフォリズム(箴言もしくは断章)の形式をとっていて読みにくい、さっと斜め読みしただけである。それでも、疑問を持ったところはドゥルーズ著「ニーチェと哲学」を読むなどしている。すると、ニーチェの思想が見えだしてきたのである。何と言ってもドゥルーズのおかげであろう、今こそ「ニーチェと哲学」を読むと、良く理解できるに違いない。本書の一部、気に掛かる点をごく簡単に紹介したが、その前に、「権力」と言う言葉と本書の編集に関して、更に本書の目次について述べたい。
訳者は「権力」を次のように述べている。即ち、〈Kraft〉(力)と区別せしめる〈Macht〉の適訳を見出せなかったために権力と訳したのであり、『ニーチェにおいて〈権力〉とは、彼の他の用語を借りて言い換えれば、むしろ〈生〉そのものにほかならず、・・』更に『ニーチェ的意味での〈権力〉とは、第一義的に内発する活動する生命の力そのもののことである』 こうした立場に立てば、〈権力〉とは〈力〉と読み替えてもそれほどずれは生じないはずなのである。念のために調べると〈Kraft〉は人間に肯定的で生産的で創造的な、何かを生み出す力である。〈Macht〉は人間に疎遠で対立する力である。〈Macht〉は〈Kraft〉に実体を持つけれども、どこから生み出され、どの方へ作用するか分からない力である。このため日本語では権力などと言う言葉を用いるらしいが、ドゥルーズ著「ニーチェと哲学」においても、すべて「力」と訳されている。言い添えれば、本書は1993年に出版されているが、訳者の解説文は1962年が日付されていて、相当古いこと訳文と見受けられる。ニーチェの新訳があるかどうかは、私には分からない。
次に、本書はニーチェの実妹、フェールスター・ニーチェが草稿を編纂したものであって、彼女による解釈が相当這い込んでいるかもしれないという点である。彼女は、ニーチェの手記、草稿などの夥しい遺稿を管理して編纂している。こうした点を知っても、本書を読む限り、どこがどう記述変更され編集されているかなど分かるはずはない。子細に読んでも分かるのは容易ではない、きっと専門家にさえ困難なはずである。それよりも、本書の目次の草案が、何度もニーチェによって改作されていることの方が大切である。この目次が、あたかも体系的な哲学を記述しようとように見えようとも、訳者が述べるように、ニーチェの性格として、体系的な哲学としては記述できなかったに違いない。「悲劇の誕生」や「道徳の系譜」はそれなりにまとまって記述されている、でも本書はこれらの著作物以上の内容を含み、論理的な展開が想定されている。ニーチェなら記述できるの著作物であって、いやニーチェだからこそできない著作物であったのかもしれない。
ここに目次の案を掲載する。どういう論理的な記述の展開を図ろうとしたのか、一目で分かるはずである。上巻にはいくつもの目次案が示されている、ニーチェが相当考えていたことは確かである。
第一書 ヨーロッパのニヒリズム
Ⅰ ニヒリズム
1 生存のこれまでの価値解釈の帰結としてのニヒリズム
2 ニヒリズムのその他の諸要因
3 デカダンの表現としてのニヒリズムの運動
4 危機。ニヒリズムの回帰思想
Ⅱ ヨーロッパのニヒリズムの歴史
a) 現代の暗鬱化
b) 最近の数世紀
c) 強化の諸兆候
第二書 これまでの最高価値の批判
Ⅰ 宗教の批判
1 宗教の発生
2 キリスト教の歴史
3 キリスト教的諸思想
Ⅱ 道徳の批判
1 道徳的価値評価の由来
2 畜群
3 道徳主義的なもの一般
4 いかにして徳は支配的となるにいたるかの問題
5 道徳的理想
6 道徳の批判への結論的考察
Ⅲ 哲学の批判
1 一般的考察
2 ギリシア哲学の批判
3 哲学者の心理と誤謬
4 哲学の批判への結論的考察
第三書 新しい価値定立の原理
Ⅰ 認識としての権力への意志
Ⅱ 自然における権力への意志
Ⅲ 社会および個人としての権力の意志
Ⅳ 芸術としての権力の意志
第四書 訓育と育成
Ⅰ 階序
Ⅱ ディオニュソス
Ⅲ 永遠回帰
なお、この「権力への意志」の副題として「すべての価値の価値転換の試み」とある。この価値転換の思想が、この目次から容易に読み取れるのである。即ち、ヨーロッパを支配してきたニヒリズムは、キリスト教世界観のうちに実現されていており、道徳的な判断はニヒリズムを含みつねに偽ってきたのである。新しい価値の定立としては、このいままで至高の価値であった古い価値判断を力への意志によって転換しなければならない。力とは内的意志である。そしてニーチェは十字架にかけられた神の代わりに、全く生の宗教的肯定者としての、生の約束であるディオニュソスを語り、永遠回帰を語るのである。なお、永遠回帰とは終局状態に陥ることがない、無限に戯れ続ける円環運動としての世界にほかならないのである。
ここまで書くと、細かい点には触れない方が良い。長い記述になるためである。最後に本書の内から少し気に付いた文章を引用したい。『個人がしばしの間衰退するにもかかわらず、力が増大するときには、すなわち、新しい水準の基礎がおかれる。非経済的な浪費に反対して、小さな業績を保存するための、諸力を集める方策。破壊的本性がこうした未来の経済学の道具となることをさしあたり甘んずる。弱者の保存、というのは、というのは、巨大な量の小さな労働がなさなければならないからである。弱者や苦悩者の生存をなおも可能ならしめる心術の保存。恐怖と卑屈の本能に対抗して連帯性を本能として植えつけること。偶然との、また「偉大な人間」の偶然との闘争』(下410頁)ニーチェの本心がどこにあるか分からないけれども、少しニーチェの毛色が異なってみえるためである。力と超人に、それに内的意志なる思想の基礎となる弱者と偉大な人間、偶然と必然、こうした下敷きとなる小さな記述がほのかに見えるためである。
以上