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塾講師による思想誘導について

 今回は塾講師による思想誘導の問題について考えたいと思います。

 茂木健一郎の偏差値教育批判は有名で、たびたびツイッターで暴言を吐くのですが、それに対して先日ある予備校講師から次のような反論が出ました。

実際の予備校では生徒を煽るようなことはしていないと言っています。かなり疑わしい発言です。しかしこのツイートのリプには注目すべきコメントが付いていました。「もっと上の大学を目指せ!」と言って煽っているのはむしろ高校だというのです。それは確かにそうかもしれないと思いました。

 他にも茂木に対する反感を表明する人は多数いましたが、私が見たところ、その多くは予備校関係者や企業の人事畑の人たちだったように思います。

 さて、次にお見せするのは大手塾の講師という方の発言です。

塾講師が生徒を煽っている実態があることを証言しています。先述の予備校講師が「まったくない」と言っていたことは事実としてあるわけです。

 予備校関係者はよほど予備校の潔白を信じたいようです。予備校講師のツイッターアカウントはかなりの数があります。各教科の解説ツイートには価値を感じますが、このような大局的な話になったとたん、彼らの発言は業界を擁護するポジショントークになりがちです。だから茂木健一郎に対しては一致団結して戦うし、先の「まったくない」という事実に反した投稿にも多くの「いいね」が付く状況になっています。

 私は別にそんな予備校講師たちに水を差したいわけではありません。自分の信念にしたがって指導すればいいと思います。偏差値や学歴が大事だと思うなら堂々とそれを主張して生徒に影響を与えればいい。このテーマに正解があるとも思いませんし、教師は自分の価値観やスタイルで生徒と付き合えばいいと思います。ただ、二番目のツイートのように、業務命令として偏向した思想を語ることを強いられるのは不幸なことだと思います。

 二番目のツイートでは「上の高校に行くことがきわめて重要だ」という話を生徒に繰り返し話すと書いてあります。聞き捨てならない台詞です。たしかによく言われる俗説ではあります。朱に交われば朱くなる。周囲の生徒に影響されて勉強に熱が入る等。しかしエビデンスはあるのでしょうか?私は知りません。逆のエビデンスなら見たことがあります。高校入試時点での成績が、そのまま高校卒業時の成績と強く相関するデータを見たことがあります(米マサチューセッツ工科大のヨシュア・アングリスト教授らと成田悠輔の共同研究 https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/yasashii28/02.html )。つまり、実力相応の高校に進学しようと、背伸びをして受験しようと、その後の学力に有意な差はないのです。それでも大手塾の講師は「上の高校に行くことがきわめて重要だ」と語るのだとしたら、それはなぜでしょうか?何の資格があってそんないい加減な話ができるのでしょうか。それはただのイデオロギーです。世間を知らない子どもたちにイデオロギーを注入しているにすぎません。私だったら、たとえ業務命令でもそんなことはできません。

 次に紹介するツイートは学歴信仰に人生を翻弄された医学部出身者の痛々しい連続ツイートの一部です。

子どもの頃から自己肯定感が低く、受験でうまく行っても、大学でまたコンプレックスを抱え込み、猛勉強して自己肯定感を備給しようとするも徐々にジリ貧になっていく様子を赤裸々に綴っています。

 このような子育てをする家庭がかなりあることを私も知っています。それが受験業界に煽られた結果とばかりもいえないでしょう。すでに日本社会にはそういう価値観が広く蔓延しているからです。それがたまたま強く濃く出る家庭があるということです。
 そのような家庭環境で自己肯定感の壊れた生徒たちを多数見てきました。学校にも通えなくなっている子もいました。まともではない力学が働いているとしか思えません。しかし集団塾や予備校の中でしか仕事をしていない講師たちにはその現実は見えづらいことでしょう。そういう生徒は去ってしまうので付き合う必要がないからです。

 最後にある塾長さんのツイートを紹介します。人の役に立とうとしたら、詐欺ぎりぎりの話法が必要になることもあるという話をしています。

 この人は「人の役に立つ」という言葉を繰り返し用いていますが、何を指して「人の役に立つ」と言っているのは不明で、マジックワードのように使用しています。なので論旨が不明瞭なのですが、文脈から解釈すれば、「欲望に付き合う」「欲望を満たす」という程度の意味だろうと思います。欲望により経済やビジネスが回っている。塾業界もしかり。欲望と付き合うのはきれいな仕事ではない。無垢な子どもに偏向したイデオロギーを注入するのはきれいな仕事ではない。しかし現実に欲望はある。顧客は欲望を抱えてやってくる。この塾長さんが言う「人の役に立つ」とは、そんな顧客の役に立つことを指しているようです。

 でもそれは、肝心の子どもの役にも立つことを意味するのでしょうか?塾長さんの中では意味しているのでしょう。なぜなら「顧客の役に立つ」とは言わずに「人の役に立つ」という言い方をしているからです。詐欺すれすれの話法で生徒を誘導することは生徒のためでもあるという信念があるのでしょう。

 子どもに詐欺的なイデオロギーを吹き込んで受験で成果を上げさせるのも悪いとは言いません。それを人助けと呼ぶなら呼んでもいいでしょう。しかし同時に、詐欺的なイデオロギーに当てられて疲れている子どもたちに、よりまともでバランスの取れた考え方を伝えるのも、人助けでありましょう。そして後者の人助けをするためには、べつに自らが汚れる必要もないのです。ただそのためには、受験産業の甘い誘いによって長く温存されたきた保護者の欲望を、時には思い切ってぶった切って見せる必要があります。それは大きな勇気の要る仕事です。

 塾、予備校の講師たちの発言を取り上げてきましたが、教育者として自信をもって振る舞うためには信念があったほうが好ましいですから、正しいか間違っているかはともかく、あるポジションを取って堂々と意見するのは教師らしい態度だと思います。冒頭の「まったくない」発言の講師も、自身は生徒を煽るようなことを言わないのでしょう。英語のスペシャリストとして知識を授ける仕事に生きがいをもっているのでしょう。そういう講師がいてもいいし、それを「いい人は人を助けられない」と言って揶揄しつつ、詐欺的な話法を使うことも辞さずに子どもに介入していく教育者がいてもいいと思います。スタイルは人それぞれで、子どもたちがいろいろなタイプの指導者を知る機会があれば好ましいでしょう。

 教育者、とくに営利事業としてやっている講師が個性的な主張をするのはそれほど悪いことではないはずです。学校の教師、とくに公立校の教師は、ある程度バランスの取れた態度があってほしいですし、家庭の教育観はより均衡のとれた健全なものであってほしいと思います。つまり、子どもが逃げられない環境であるほど保守的に運営したほうがいいわけで、ハイリスクハイリターンの接し方をするのは、いつでも逃げられる遠い関係性の指導者のほうが都合がよかろうということです。

 結局教師を尊敬できるかどうかは、人徳があるか、もしくは圧倒的な学識があるかだと思うのですが、それは生徒にとっては後から分かってくることであり、大人になって振り返った時に、あのときあの先生がしたことは凄いことだったんだなと気づいたり、逆に、案外つまらない人間だったんだなと思い至るものでしょう。「上の高校に行くべきだ」と語る塾講師が将来尊敬されるかは知りません。

補足

 受験勉強が素直に吸収する能力を図る優れた指標であることは事実でしょう。学歴の高い人のほうが知的な仕事において信用できる傾向もあると思います。それは役に立つので、勉強ができる人はもちろんやったほうがいいと私も言います。問題は、身の丈に合わないほど上を目指すべきなのかどうかです。私はそこに引っかかっています。なので、客観的に見て可能な目標であれば、それを生徒に示して「やってごらんよ」と発破をかけることは賛成です。(もちろん生徒に疲れの色が見えてきたら引っ込める塩梅が大事ですが)


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