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Story of Kanoso#16「忘れ物の焼き付きを歌って」

   彼礎かのそ湾岸わんがん区、シーサイド・メトロギア交通サウスサイド営業所。
ここに今、一台のバスが入ってきた。

前面上部に「回送 Not in service」の文字を灯したそのバスは、海浜公園への運用を終えて営業所に帰ってきたばかりのバスだ。

  バスを指定の位置に止めた後、運転手の小澤丹治おざわたんじは車内の見回りに走る。
忘れ物を探すためだ。
これも運転手の大切な業務の一つで、忘れ物は見つけ次第営業所で保管した後、この地域を管轄する県警シーサイド・メトロギア警察署に引き渡す、と内規で定められている。

    小澤は車両の座席や、床下を見渡す。
車内では「お忘れ物のないようご注意ください」とアナウンスを流しているため、基本的に忘れ物はないものの、それでも「自分はお忘れ物なんてしない」と考える一部の客が忘れ物をしていき、しばらくたってから会社のお客様センターに「忘れ物をした」と慌てて電話をかける。
そういった間の抜けた客を救うためにも、こうした作業は欠かせないのだ。

   車両後方に移った時だった。
小澤の目が、白い紙切れを捉えた。
床が黒いのでよくわかる。
小澤はそれを、手袋をつけた手で拾い上げる。

   拾い上げたのはメモ用紙だった。
中身など本来は見るべきものでは無いのだが、何も書かれていないただのゴミか、何か書かれた落とし物かを見分けるためにも、中身を見なければならない。
  ちらっと中身を見た。すると、彼の視線はその中身に釘付けになった。
 
 「タイトル・焼き付き    焼き付いて離れない
昨日の上司の発言が   焼き付いて離れない
『お疲れ様、じゃあ明日講習会ね』って何だ
疲れてんだこっちは  わかるか
ほんのすこしでいいんだ  休ませておくれよ」

他でもない、それは何かの歌詞だった。
きっとこうして書いてあるということは、未発表の新曲なのだろう。

   「焼き付いて離れない~、昨日の上司の発言が 焼き付いて離れない~」
「『お疲れ様、じゃあ明日講習会ね』って、何だ~」
「疲れ~てるんだこっちは~  わかるか~」
「ほんのすこしでいいんだぁ~  休ませておくれよ~」

   小澤は夢中になって、その歌詞を口ずさんでいた。
本来の業務など忘れて。まるでストリートミュージシャンのように。
そして何かに気づいたかのように我にかえった。

  窓には青い空が広がっている。
青い空は小澤に何かを訴えているかのようだった。

小澤は急いで残りの席の点検を終え、ハンドルロックをつけてバスから脱出した。
あの歌声が誰にも聞かれていないことを祈りながら。


(了)(1067文字)


本作品はフィクションで、実在する人物・地名・各種団体や企業等とは、一切の関係がありません。




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